80年代 テクノとファッションの時代|ニッポン戦後サブカルチャー史

NHK・Eテレの「ニッポン戦後サブカルチャー史」で第6回 80年代(1)テクノとファッションの時代が放送されました。

 

YMOのテクノポップ革命

1980年、時代を作り上げた大スターが次々と舞台を去り、急速に新たな段階を迎えていました。それは豊かな黄金の時代。重厚長大から軽薄短小へ。高品質のメイドインジャパンが世界を席捲。日本の経済力が世界の注目の的となりました。そんな時代、音楽に革命を起こしていたのがYMO(Yellow Magic Orchestra)です。細野晴臣(ほそのはるおみ)、高橋幸宏(たかはしゆきひろ)、坂本龍一(さかもとりゅういち)らが生み出す新しい音楽は「テクノポップ」と呼ばれ爆発的な人気を集めました。1980年の年間アルバムトップチャートの中にYMOの曲が3枚もランクイン。そして何よりも人々に衝撃を与えたのがコンピューターを使った彼らの演奏スタイルです。コンピューターとのセッションは、これまでの音楽制作の方法論とはまったく違う発想をもたらしていきました。アナログな人間の感受性もデジタルな記号に変換できるのか、コンピュータの登場が表現の可能性を大きく広げようとしていました。

 

テクノロジーは感覚を変えた!?

80年代は革新的なテクノロジーが続々と登場。携帯型音楽プレイヤーは見る景色を変容させました。コンピューターの世界でも家庭用ゲーム機が誕生。さらにマイコンと呼ばれる個人用のコンピューターがブームになり、自宅で自らプログラミングしゲームや音楽を作れるようになりました。こうしたテクノロジーの浸透は私たちの精神や身体に新しい感覚をもたらしていきました。

 

テクノポップのクールで抑制のきいたスタイルは、それまでのほとばしる感情を演奏にのせるような肉体的なロックのあり方とは対極にありました。こうした電子音楽は80年代、世界で同時多発的に注目を集め、その代表的グループがKRAFTWERK(クラフトワーク)です。クラフトワークはドイツ的な工業都市というコンセプトをまとっていました。それに対してYMOがコンセプトにおいたのは東京の「軽薄」「ビョーキ」というイメージです。

 

「シラケつつノル」精神

浅田彰さんの「構造と力」はフランス現代思想を紹介する難解な内容にも関わらずベストセラーとなり、「ニューアカデミズム」と言われる社会現象になりました。そこには「シラケつつノル」と書かれています。かつて60年代、政治と闘争の季節に若者たちは高度経済成長を尻目にあらゆる権威に反抗。70年代、政治闘争の凄惨な結末を目の当たりに個人主義へと没入。シラケ世代と揶揄されました。そして迎えた80年代は未曾有の豊かさと大量消費の時代。全てが満ち足りた社会の中で若者たちは戸惑っていました。そんな時代にどう生き方の選択を行うか。物事を批評しつつ面白がる「シラケつつノル」豊かさの中で完成されたレールをズラす生き方の勧めでした。YMOの「軽薄」「ビョーキ」というコンセプトにも、この時代精神が見え隠れします。変容していく東京の街、豊かさを享受しつつ自己批評する、対象に没入しつつ笑い飛ばすです。

 

黒の衝撃!ファッション革命

経済的な繁栄によって世界の中で日に日に存在感を増していった80年代の日本。かつての貧しかった時代を振り返るドラマが大ヒット。そのことで手に入れた豊かさを実感していたのかもしれません。先進国として確固とした地位を築き、文化面でも世界から注目された矢先、一つの事件が起こりました。80年代初頭、パリコレに現れた日本のファッションが激しい批判を浴びたのです。「そこら中穴だらけ」「ボロボロの新品」など物議をかもしていたのは山本耀司と川久保玲の作品でした。全身真っ黒で、衣装でボディラインを強調しないフォルム、服には破かれたような穴がデザインされていました。それは長い伝統を誇る西洋のファッションデザインの美から大きく逸脱していました。山本耀司は黒という色彩について「私にとって黒は単純なのです。私が作りたいのはシルエットや形なので色は必要ないのです。何らかの色がついているとそうした色によって、様々な感覚や感情がついてきてしまう」と語っています。服とはこうあるべきという常識を壊す、新しいファッションの価値観の提示「黒の提示」それはヨーロッパのファッション界への日本からの挑戦状だったのです。当初批判されたそのデザインは瞬く間に若い外国人デザイナーに影響を与え、パリコレのランウェイには黒が溢れるようになっていきました。

 

パリコレでの黒の衝撃と同じ頃、国内では様々なデザイナーのブランドがブームを巻き起こしていました。いわゆる「DCブランドブーム」です。当時バブルへと向かう豊かな社会が実現し、これまでの大量生産される安い既製服ではなく個性的なデザインの服が人気を集めたのです。ファッション雑誌は次から次へと様々な流行のスタイルを発信。街にはバイトで貯めたお金を服に注ぎ込み、ファッションで自己表現をする若者が溢れました。そんな時代を背景に新しいスタイルの小説が生まれました。「なんとなく、クリスタル」です。当時の女子大生の生活を描き100万部のベストセラーに。流行のブランドやレストランの固有名詞が数多くちりばめられていました。固有名詞には巻末に注釈がつけられ、その数は274個にものぼりました。小説でありながらカタログとしても読めそうなこれまでにない文学でした。この小説が芥川賞候補にノミネートされた時、文壇では賛否両論が渦巻きました。

 

記号化する80’sファッション

80年代のファッションにはわかり易い特徴がありました。当時の若者の流行はアイビー、プレッピー、ハマトラなど細かいカテゴリーに分かれ、それぞれのグループごとにその特徴を示すアイテムやブランドの共通性があり、それが記号化していました。人と違うことを求める差異化。それを皮肉たっぷりに描いたのが「金魂巻」です。金持ちは○金、貧乏は○ビと分け、職業ごとにファッションやライフスタイルを比較。例えば○金のカメラマンはダイバーズウォッチにヘミングウェイ気取りのショートパンツ。○ビのカメラマンはウエストバッグに腕時計はデジタルと特徴を分析。放送作家の○金は服も車も海外の高級ブランド、○ビは長髪にサングラスでテレビ局の袋をぶら下げているといった具合。「金塊巻」はベストセラーとなり「まるきん」「まるび」は流行語に。記号化社会が生んだ伝説の書です。

 

伝説の「コム デ ギャルソン論争」

ファッション雑誌「anan」の特集「インテリしてる」で思想家・吉本隆明が流行のコム・デ・ギャルソンをまとって登場。この姿を文学者・埴谷雄高は皮肉交じりに「ぶったくり商品のCM画像に、現代思想界をリードする吉本隆明がなってくれることに、吾国の高度資本主義はまことに後光が射す思いを懐いたことでしょう」と批判。一方、吉本隆明は「ファッションはさりげない不服従のしるし」だと宣言。ファッションがもたらす大衆の個性化をむしろ解放とみなしました。これは「コム デ ギャルソン論争」と呼ばれ話題を呼びました。ファッションは搾取なのか大衆の解放なのか、80年代のファッションは高度消費社会に対する知識人の認識をも揺るがす力を持っていたのです。

 

80年代から見た未来とは?

1985年のプラザ合意を契機に世はバブル経済へ。日本の経常黒字は史上最高の350億ドルとなり不動産価格も高騰。日本企業が世界の名画を高値で落札し、名だたる企業を次々と買収していきました。世界にとって脅威となった日本経済は戦後一番のピークへと向かいました。そのさなか、つくば万博が開幕。最新鋭の技術が注目を集めると共にテクノロジーが切り開く輝かしい未来に期待が膨らみました。この時メイン会場に置かれたのは当時世界最大級のモニター。そこに映し出されたのは、かつての戦争の断片。このイベントは坂本龍一が音楽を担当しラジカルTVが映像を担当。さらにコンセプトを作ったのは浅田彰でした。輝かしい未来に向けたテクノロジーの祭典でなぜ戦争の映像が映し出されていたのでしょうか?同じ頃、未来のダークサイドを描いた漫画が若者の熱狂的支持を集めました。大友克洋の「AKIRA(あきら)」です。その舞台は核戦争によって一度滅んだ後の世界。ネオ東京と呼ばれる絶望的な世界で若者たちは強く生きていきます。テクノロジーの発展と高度消費社会の裏側で垣間見えた未来とは、一体何だったのでしょうか。

 

戦後、経済的な発展を夢見てがむしゃらに走り続けてきた日本。その頂点で見た風景は消費社会がおりなす夢の世界と同時進行するフェイクなバーチャルワールド、そんな引き裂かれた時代へのささやかな抵抗がシラケつつノルことだったのかもしれません。浅田彰は「構造と力」の中で「熱くなるのはとうに流行遅れ、かといってすべてにシラケきったダンディズムを気取るにも飽き果てたこの時代にあって、他にどんな方法があるだろうか」と語っています。




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