2000年代 サブカルチャーはどこから来てどこへ行くのか|ニッポン戦後サブカルチャー史

2000年代 情報革命とニューカルチャー

華々しいカウントダウンで迎えた2000年代。テクノロジーの変化と共に、これまでにない全く新しいカルチャーが次々と生まれる革命の時代でもありました。

 

2001年にアメリカで同時多発テロが起こり、日本でも不安感が広がりました。その後、グローバリズムの荒波にのまれ長引く不況に突入。特に製造業の落ち込みは著しいものでした。若者の失業者が増え、非正規雇用の問題も深刻化。

 

そんな中で起こったのがスピリチュアルブーム。社会への不安感の裏返しなのか精神世界、霊的世界への関心が高まりました。パワースポット巡りが人気となり金運、恋愛運、仕事運のアップを願う人たちが押しかけました。

 

そんな世の中の閉塞感を尻目に、テクノロジーの世界は劇的な情報革命に突き進みました。1999年に開設されたネット掲示板「2ちゃんねる」が話題となり、既存メディアに対するカウンターとして期待する声すら上がりました。IT業界では起業ブームが起こり、ネットカルチャーを牽引していきました。ネット上のコミュニティサイトの開設や、携帯電話ゲームサービスも始まりました。

 

2004年「2ちゃんねる」の書き込みから生まれたラブストーリー「電車男」がベストセラーに。流行語大賞では「電車男」「メイドカフェ」「萌え~」などオタク系ワードが並びました。オタクが完全に市民権を得ると同時に経済的な市場価値も期待されました。

 

2006年、IT業界をリードしてきたライブドアによる事件がネットカルチャーに水をさすも、勢いは止まりませんでした。スマートフォンの普及でSNSを利用する人が増え続け、つぶやきは一気に拡散「いいね!」をクリックし共感。インターネットが作り上げた繋がる社会はどこまでも広がり続けます。

 

その新しい形として登場したのがニコニコ動画。動画をユーザーが公開し、それを見た別のユーザーがコメントでつっこみを入れます。ユーザー同士が協力して、映像に字幕や音楽をつけて投稿し直すといったコミュニティサイトとして急成長しました。ニコニコ動画からスターになったのがバーチャルシンガー・初音ミクです。彼女は人間ではなくボーカロイドと呼ばれるコンピューターの音楽ソフトウェアです。音階と歌詞を入力するだけで誰でも自作の歌を歌わせることが出来るのです。

 

初音ミクの歌がサイトにアップされるやいなや、他のユーザーがその歌のイメージでイラスト、動画を作ってアップ。誰もがクリエイターとして名乗りを上げることが出来るネット上で、初音ミクの世界が育っていきました。ついには、初音ミクはパソコンから飛び出し一人のシンガーとしてライブ活動も行いました。

 

2000年代の「気分」とは?

2000年代、それまで日本のサブカルチャーを支えてきた雑誌が相次いで休刊・廃刊に追い込まれました。その一方で、新たな挑戦が始まりました。2010年に出現したのがインターネットによる日本初のライブストリーミングスタジオDOMMUNE。トークやDJライブを平日毎日、全世界に配信し続けています。開局以来の視聴者数は4500万人を超えました。音楽・アート・文学からごく私的な意見までジャンヌを問わず発信するインターネット配信局に成長しました。

 

2000年代クールジャパンに何を見る?

2000年代、忘れてはならないのが日本のオタクカルチャーの世界進出です。毎年パリで開催されるジャパンエキスポ。このイベントは年々勢いを増し、今年は来場者が26万人を超えたと言います。

 

中でも熱気があるのはマンガやアニメ関連のブース。愛するキャラクターに扮したコスプレイヤーたち、アニメソングをカラオケで熱唱して盛り上がります。ロサンゼルスで開催されるアニメエキスポは日本のポップカルチャーに特化し、毎年入場者数を伸ばしています。日本のサブカルチャー情報を海外に向けて発信する情報サイト「Tokyo Otaku Mode」も立ち上がりました。そのフォロワーは現在世界中で1500万人を超えました。アニメ、マンガ情報はもちろん新しい日本のクリエイターたちの紹介にも力を入れています。

 

サブカルチャーはどこから来てどこへ行くのか?

日本の戦後カルチャーは、急激に流れ込んだアメリカ文化の衝撃から始まりました。そして古い世代への反抗心・反発心の一つの形として太陽族が出現。1960年代の高度経済成長は若者たちの闘争の時代でもありました。急速に豊かさを追い求めたゆえの歪みに怒りをぶつけた大島渚。全共闘世代は権力との戦いを描いた劇画、ナンセンスなギャグ漫画に狂喜。猥雑で混乱に満ちたカルチャーが新宿から生まれました。

 

1970年代、政治の季節が去り闘いにしらけた若者たちの心の解放区となったのが、ラジオの深夜放送。そこから聞こえてきたのは音楽文化の革命でした。個人の生活に没頭する人たちの様々な欲望にこたえるように雑誌カルチャーが黄金時代へ。

 

1980年代、日本を席捲していたのはテクノポップ。バブルの到来と共に世の中は何でもアリの時代に。原宿には先鋭クリエイターたちが集まり文化の一大発信地に。大量消費社会で広告カルチャー文化が花開きました。そして渋谷が若者文化の中心地へと変貌をとげました。

 

1990年代、バブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン時代、サブカルチャーは世の中に漂う閉塞感を敏感に感じ取って化学変化を起こし、アニメ界では「新世紀エヴァンゲリオン」による革命が起きました。そしてオタクカルチャーが爆発期を向かえ、その勢いは秋葉原という街を飲み込んでいきました。

 

時代のうねりと共に次々と拠点を変えながら新たなものを生み出してきた戦後日本のサブカルチャーの歴史。そんなサブカルチャーはこれからどこへ向かおうとしているのでしょうか。

 

「ニッポン戦後サブカルチャー史」
第10回 2000年代 サブカルチャーはどこから来てどこへ行くのか ~ゼロ年代~現在