鉄の肺で生き延びた女性 マ-サ・メイソン|ザ!世界仰天ニュース

1948年、アメリカ・ノースカロライナ州に住むマーサ・メイソンは、兄をポリオによって亡くしました。ポリオはかつて世界中で大流行し多くの命を奪った感染症です。

口から感染したポリオウイルスは、喉や腸で増殖し血液中へ。症状は発熱や倦怠感など普通の風邪と同じですが、感染から数日後にウイルスは脊髄に入り込み運動神経細胞を破壊することがあります。それにより手足の筋肉が動かなくなり、やがて呼吸筋に指令を出す神経までおかされると呼吸不全に陥り死にいたります。

日本では1981年以降、生ポリオワクチンにより通常のポリオ感染者は発生していません。

兄の死から3日後、妹のマーサもポリオを発症しました。入院したものの高熱、下痢、嘔吐が続き呼吸筋を動かす神経がウイルスにおかされ呼吸障害を起こしていました。

鉄の肺

鉄の肺は、総重量360kgもある今で言う人工呼吸器です。現在の人工呼吸器は気管内挿管や気管切開で肺までチューブを挿入し機械で酸素を送り込みます。

一方、鉄の肺は患者の首から下を筒の中に入れ、後ろについているポンプを動かすことで筒の中の気圧を上げたり下げたりします。筒の中の気圧を下げると患者の肺が膨らみ肺に酸素が取り込まれます。そして気圧を戻すと肺がしぼみ二酸化炭素が口から出されます。

この機械は18世紀頃からイギリスやアメリカで研究が重ねられ、1928年にハーバード大学でポリオにより瀕死の状態にあった8歳の女の子に初めて使用され、劇的な回復をとげたとして評判になっていました。日本にも数台輸入されましたが、非常に高価なものだったため普及はしませんでした。

鉄の肺の中で生きる

鉄の肺に入ってから1ヵ月後、マーサは驚くほど回復。呼吸も楽になり会話もできるまでになりました。マーサは日に数回、短い時間であれば鉄の肺から出ることができました。しかし、鉄の肺なしで生きることはできないと医師に言われていました。

両親は借金をして高価な鉄の肺を買い取り1年後に退院。マーサは鉄の肺の中で生活しつつも勉強を頑張り高校に進学。遊びに来てくれる友達もできました。そして成績トップで高校を卒業し大学へ。

大学は母と一緒に寮に入り、寮にいても講義が聞けるスピーカーを大学が設置してくれました。大学も主席で卒業しました。

記者に

そんなマーサ・メイソンのもとに地元新聞社の社員が訪ねてきました。記者にならないかというスカウトでした。マーサは記者として働き始めました。

といっても鉄の肺から出られないため自宅での取材。地元の名士や議員についての記事を担当しました。そんな生活が数十年続きました。

1998年に母が亡くなりましたが、マーサは母が亡くなった後も明るく生き続けました。

母の死から7年後、マーサのドキュメンタリー映画が作られました。鉄の肺に入ってから57年。気がつけばこの装置に最も長い間入っている患者になっていました。

この頃、マーサは音声認識ソフトが入ったパソコンを使い人の手を借りずに文章を書き、自叙伝「ブレス」を出版。

2009年、多くの人に見守られながらマーサ・メイソンは息を引き取りました。

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