神の数式 完全版 第2回「重さはどこから生まれるのか ~自発的対称性の破れ 驚異の逆転劇~」

「この世界は何からできているのか?」

その全てを説明する宇宙の設計図すなわち「神の数式」を求めて、物理学者たちは少しずつその数式を見出してきました。彼らが最大の手掛かりとしたのは美しさ。物理学の言葉で「対称性」と呼ばれるものでした。それが、電子などの素粒子が従う数式や電磁気力の数式を発見する原動力となりました。

質量ゼロの問題

1954年2月、最新の数式を完成させたチェンニン・ヤンは自分の理論を世界の大御所たちの前で発表する機会を得ました。舞台は天才たちが集うプリンストン高等研究所でした。しかし、ヴォルフガング・パウリの発言をきっかけに激しい議論が巻き起こりました。

私が理論の説明を始めると、突然パウリが立ち上がり「その力を伝える粒子の質量はどのくらいか」と質問してきたんです。私も同僚のミルズも答えにつまりました。私たちの理論では、その粒子の質量は0になってしまったのです。

(チェンニン・ヤン)

パウリが問い詰めたのは、ヤンの理論では強い核力や弱い核力を伝える粒子の重さが、どう計算しても全てゼロになってしまうという矛盾でした。重さがゼロなのは光子だけで、他の粒子は全て重さを持つはずだったのです。

ヤンの理論を現実世界に合わせるためには力の粒子に質量を与える必要がありました。しかし、単に質量を書き加えるだけでは美しい対称性が台無しになってしまうのです。

(フロリダ大学教授ピエール・ラモン)

完璧な美しさを追い求めてきた物理学者の前に重さゼロという大きな矛盾が姿を現したのです。

その後、私は同僚のミルズと数カ月に渡って集中的にこの問題に取り組みました。しかし、結局答えは出ませんでした。でも、数式は極めて美しかったのです。私たちはまだ誰も理解していない何かがあるはずだと思いました。現実と合わない質量ゼロという結論を避ける方法があると思ったのです。

(チェンニン・ヤン)

しかし、まもなくヤンの理論について議論するという学者はほとんどいなくなりました。ヤン自身も理論の完成をあきらめました。

カイラル対称性

世界は宇宙時代を迎えようとしていました。1957年10月、ソビエトが人類初となる人工衛星を打ち上げました。このスプートニク・ショックは科学界のみならず社会全体にまで衝撃を与えました。ところが、同じ年ニューヨークタイムズの一面を飾った一つの記事がスプートニク以上の混乱を物理学界に与えました。

それは、とある実験の結果でした。コバルト60という原子の原子核を並べ、そこから弱い核力によって飛び出してくる電子を観察したものでした。飛び出してくる電子は全て左巻きに自転しているというのが、その実験の結果だったのです。

弱い核力を感じるのは左巻き素粒子だけ」という事実を実験は暗示していました。つまり、同じ電子でも左巻きの電子と右巻きの電子は力の感じ方が異なる、右巻きと左巻きでは性質が全く異なるというのです。

自然が右と左を区別しているという事実は、人々にあることを気づかせました。それは、自然が持つもう一つの対称性の存在でした。

(フロリダ大学教授ピエール・ラモン)

右と左を決してごちゃまぜにしないという自然界が持つ美しさは「カイラル対称性」と名付けられました。カイラルとは手のひらという意味です。ちょうど右と左の手の平がどうやっても一致しないように、自然界には右巻き粒子左巻き粒子を区別する知られざる対称性があることが分かったというのです。

南部陽一郎 自発的対称性の破れ

1960年代、アメリカ・シカゴにそれまでとは全くタイプの異なる物理学者が登場しました。日本生まれの南部陽一郎(なんぶよういちろう)です。この異質の天才が美しさに導かれると、なぜか重さがゼロになるという大きな矛盾を解決することになりました。

31歳でアメリカに渡った南部陽一郎は、素粒子に限らず物理学のあらゆる分野に興味を持っていました。その圧倒的な視野の広さが大きなブレイクスルーをもたらすことになりました。

1960年代はじめ、南部が最も興味を持っていたのは「倒れてしまう鉛筆の問題」でした。この現象が重さ矛盾を解くヒントになると南部陽一郎は気づきました。

鉛筆を真っ直ぐに立てる設計図があったとすると、回転対称性を実現するように描かれます。そして設計図通り実際に鉛筆を立ててみると、現実は設計図通りの回転対称性を持った状態にはなりません。

設計図には対称性があるのに実際に起きる現実には対象性はない。その後、ノーベル賞に輝く「自発的対称性の破れ」と呼ばる現象です。南部陽一郎は、自発的対称性の破れが自然界の設計図でも起きえると閃いたのです。

南部陽一郎が初めて示したのは自然界の設計図に対称性があったとしても、我々が観測する物理現象にはその対称性がなくても良いということです。数学的にいえば自然現象を記述する数式に対称性があっても、その数式から導き出される現実には対称性がなくても良いのです。

(スティーブン・ワインバーグ)

強い核力の数式によると、私たちの身の回りの空間では奇妙なことが起こっていると言います。それはクォークとその反粒子のペアが生まれては消えるという現象です。この時、右と左を区別するカイラル対称性があるため、右巻きのクォークと左巻きのクォークが互いに入り乱れて反応することはありません。

南部陽一郎が発見したのは、強い核力の設計図が持つカイラル対称性が自発的に破れるという事実でした。そのため、ごちゃまぜにならないはずの右巻きと左巻きのクォーク同士が現実にはくっついてしまい、異常なペアとして空間上に消えずに残るというのです。しかも、このクォークの異常なペアはどんどん増えていき空間を埋め尽くすと言います。クォークのペアが空間のいたるところに沈殿する、南部陽一郎によるとこれが何もない空間、すなわち真空の正体だというのです。

カイラル対称性が自然に失われていく現象は、垂直に立てた鉛筆の回転対称性が自然に失われていく現象にそっくりだということに南部陽一郎は気づいたのです。

自発的対称性の破れは私たちの真空の概念を変えました。粒子と反粒子にはある種の引力が働きます。その引力が十分強い場合、消えずに残るペアが発生するのです。多くの物理学者がこの考えを疑いました。そもそも真空は観測できないだろうと。しかし、今では全ての物理学者が自発的対称性の破れが起きていることを信じています。 (ローマ大学名誉教授ジョバンニ・ヨナラシニオ)

カイラル対称性の自発的対称性の破れがクォークの重さを生むメカニズム

一つのクォークが真空中を飛んだとします。すると空間に詰まったペアと次々に反応を繰り返し、右巻きと左巻きとが入れ替わりながらクォークはジグザグに移動していきます。重さを持たないはずのクォークは真空によって行く手を阻まれる形となり光の速さでは飛べなくなります。この動きにくさこそが重さの正体であり、南部陽一郎が到達した驚くべき結論だったのです。

たいていの人は素粒子物理だけしか勉強していなかった。僕はそうではなかった。一種のアナロジー(類推)とかいつでも考えているわけですね。

(南部陽一郎)

完璧な美しさを求めてきた結果、重さゼロという壁にぶち当たった物理学者たち。しかし、南部陽一郎は完璧な美しさは崩れる運命にあることを倒れる鉛筆を例に示し、その結果この世界に重さが生まれてくることを証明したのです。

倒れる鉛筆という身近な存在から生まれた自発的対称性の破れは、誰もが予想しなかった大発見だったのです。

弱い核力の粒子&ヒッグス粒子

強い核力からクォークの重さが自動的に生まれることは分かりましたが、強い核力を感じない電子やニュートリノ、弱い核力を伝える粒子などの重さが数式上はどうしてもゼロになるという問題が残っていました。

南部陽一郎が強い核力でやったように弱い核力の式からも自動的に重さが出てくれば問題は解決します。しかし、どうやっても不可能でした。1960年代前半、この問題に正面から挑んだのはシェルドン・グラショウです。

シェルドン・グラショウにとって最大の難問は重さでした。数式が美しい対称性を持っているため、どうしても力を伝える粒子の重さがゼロになってしまったのです。

シェルドン・グラショウは論文で、弱い核力を伝える粒子はwとzと名付けられる2つに分類されると指摘。大きく前進しました。しかし、その重さがなぜ存在するのか肝心の問題は全く解決できないままシェルドン・グラショウはその研究から身を引きました。

風前の灯だった研究を引き継いだのはスティーブン・ワインバーグでした。ワインバーグは、クォーク以外の粒子にも重さを持たせるため、南部が提唱した自発的対称性の破れを応用できないか考えていました。そして、これまでの物理学者が決して踏み出さなかった禁断の領域へと足を踏み入れます。それは、この世には存在しないはずの都合の良い粒子を理論に持ち込むことでした。

私の理論では、ある種の新しい場というか力というか、そういうものを持ち込みました。それがどんな時でも何もない真空をびっしりと埋め尽くし、それが宇宙全体に広がっているという考えです。これが自発的に対称を破るのです。

(スティーブン・ワインバーグ)

スティーブン・ワインバーグが参考にした研究論文が、ピーター・ヒッグスの「ゲージ粒子の質量と対称性の破れ」です。そこにはある都合の良い素粒子「ヒッグス粒子」が存在するとすれば、数式の美しい対称性が自発的に破れ、素粒子が重さを持つようにできると書かれていました。

その都合の良い粒子は、最初は空間にほとんど存在しないのにも関わらず、その後勝手に空間を埋め尽くすような粒子だと言います。

これは最初は完璧な美しさを保っていた世界が、その後勝手にその美しさを失うという南部の考え方を応用したものでした。ワインバーグによると、ヒッグス粒子に邪魔されることで電子などが行く手を阻まれ動きにくくなります。その動きにくさこそが重さの正体だと言うのです。

ワインバーグはヒッグス粒子のアイディアで、電子や弱い核力の粒子にも重さを与えることに成功しました。

ところが当時、ワインバーグの理論の評判は決して良いものではありませんでした。ヒッグス粒子があまりに都合がよすぎるという違和感を多くの物理学者が拭い去れなかったのです。

それは美しくありませんでした。本当に美しいものは一目見てこれしかないと感じさせます。何かを少しでも変えるとたちまち崩れてしまう。ヒッグス粒子には美しさはありませんでした。

(チェンニン・ヤン)

自発的対称性の破れを提唱した南部陽一郎さえ「ヒッグス粒子はあまりに不自然である」と語りました。さらに、スティーブン・ホーキング博士はヒッグス粒子が存在しない方に金銭まで賭けました。

弱い核力の粒子の発見

しかし、その後の素粒子物理学は意外な展開を見せました。1983年、ヨーロッパ合同原子核研究機構(CERN)でワインバーグの予言通り弱い核力の粒子が発見されました。W粒子とZ粒子の重さは数式から導いた予言と誤差の範囲で一致していました。

とても興奮しました。発見したW粒子とZ粒子の重さは数式が予言する範囲にありました。理論への信頼は大きく高まったのです。

(ルイージ・ディラーラ)

美しくないと言われたワインバーグの理論は、次々と実験で確認されました。ひょっとしたら都合が良すぎると考えられていたヒッグス粒子も実際に存在するのではないか、そんな気運が徐々に高まっていったのです。

ヒッグス粒子の発見

2009年、陽子をほぼ光の速さにまで加速し、それを1秒間に4000万回も衝突させるという途方もない巨大実験装置が動き始めました。総建設費46億ユーロ。空間にびっしり詰まっているヒッグス粒子をたたき出すために、人類史上最も巨大なエネルギーが空間の1点に注ぎ込まれました。

そして2012年、ついにヒッグス粒子のシグナルがとらえられたのです。

標準理論の完成

こうして物理学者たちが辿り着いた一つの数式、この世界を作る4種類の素粒子と3つの力を矛盾なく書き表した「標準理論」が完成しました。

ヒッグス粒子を発見したヨーロッパ合同原子核研究機構(CERN)の片隅には、神の数式に最も近いとされるその数式が刻まれました。それは物理学者たちの100年に渡る闘いの金字塔だったのです。

神の数式の美しい対称性がこの世界にどのように反映されているのか?

宇宙は設計図である神の数式に従って誕生し、当初は設計図通りの完璧な対称性を保っていました。そこではあらゆる素粒子に重さがなくバラバラに飛び回っていました。しかし、ヒッグス粒子などが引き起こす自発的対称性の破れによって、素粒子に重さが生まれました。その結果、素粒子がまとまり原子が作られ星々が輝き始め銀河も形成されていきました。

今、私たちの暮らしが存在することも神の数式に織り込まれていたと物理学者たちは考えているのです。

ヒッグス粒子の発見により、標準理論はこの世界に説明できない現象はないとまで言われるようになっています。しかし、標準理論を構築した物理学者たちは理論の完成を喜ぶよりも、その先を目指し始めています。

素粒子の世界では、素粒子があまりに軽いため、それまで考えに入れる必要がなかった重力です。今、物理学の最先端では重力をも取り入れなければ本物の神の数式には辿り着けないという考え方が支配的になっています。

「神の数式」完全版
第2回 重さはどこから生まれるのか
~自発的対称性の破れ 驚異の逆転劇~

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