大江戸・日本人はUFOを見ていた!?鹿島灘のうつろ舟の謎|幻解!超常ファイル

NHK総合テレビの「幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー」で大江戸・日本人はUFOを見ていた!?が放送されました。アメリカで空飛ぶ円盤が最初に話題になったのは第二次世界大戦終了直後の1947年。実業家ケネス・アーノルドが9つの謎の飛行物体を目撃し報道されてからのこと。しかし日本ではそれより130年も前に円盤型の乗り物と、そこから現れた謎の女性について記録されていたのです。

 

江戸時代の後半、舞台は茨城県の鹿島灘。1803年(享和三年)のある日、まるで空飛ぶ円盤のような乗り物が浜辺に現れました。「うつろ舟の蛮女」と題された記録には、事件の経緯が生々しく記されています。「享和三年、亥の年の春二月二十二日の正午、常陸国のはらやどりという浜にて沖のかたに舟のごときもの遥かに見えし」記録によると、円盤型の乗り物は幅5.5mで上部には窓が3つついており、素材はガラス製だったと言います。下半分には鉄が段々にはられ縞模様になっていて、船内には謎の文字。奇妙な乗り物からおりてきたのは美しい女性で、そのいでたちは明らかに日本の者ではなかったと言います。髪は赤毛で、付け髪が腰まで伸び、大事そうに謎の箱を抱えていました。村人たちは、この怪しげな女に関われば面倒なことになりそうだと考え、女を舟に乗せ再び流してしまいました。この記録が書かれたのは事件から22年後、江戸で開かれた「兎園会(とえんかい)」ででした。一流の文人たちが奇妙な噂話を持ち寄って披露する風変わりな会です。兎園会の主催者は江戸を代表する作家・曲亭(滝沢)馬琴。事件は馬琴とその息子が披露したものです。滝沢馬伝といえば、代表作は「南総里見八犬伝」彼ならこの怪しい事件を自ら創作していても不思議ではありません。しかし現代、馬琴の創作では説明がつかない新史料が次々と発見されています。2012年、茨城県で発見された絵図や当時の瓦版など、事件は様々なバリエーションで伝えられたことが明らかになったのです。それでも史料を比較していくと、いくつかの共通点が浮かびあがってきます。まず乗り物。丸い形で窓や下半分に縦の線。そして箱を持った謎の女と4つの異形文字。場所は常陸国、茨城県であることは確かですが流れついた浜は架空の地名で書かれているため場所は特定できません。

 

事件から約120年後の大正時代、この絵図の謎を解き明かそうとする人物が現れました。民俗学者の柳田國男さんです。大正15年に発表した論文「うつぼ舟の話」で、柳田さんは「古来日本には海を越えて漂着し人々に何かをもたらした神々の伝承が多い。そして、その神が乗る空洞の乗り物をうつぼ舟と呼んだのである」と記しています。この伝承にもとにあると推測する一方、絵図についてはでっちあげだと切捨てています。4つの異形文字は世界のどこにもない文字ででっちあげの文字だと書いています。しかし戦後、事態は意外な展開を迎えました。柳田さんの頃には存在しなかった空飛ぶ円盤の世界的ブームが到来したのです。この文字が地球上にないからこそ、宇宙から来たと考えるべきだという新説が浮上。しかし、これまで見つかった史料の中には「うつろ舟は海から流れついた」と書かれていても「空を飛んできた」という記述はありません。そもそも空を飛んでいなければ未確認飛行物体とは言えませんし、戦後にUFOブームが起きてから初めてそう疑われるようになったことから考えると結局は後付けのようです。

 

岐阜大学の名誉教授である田中嘉津夫さんは様々なバリエーションの出発点、出所となった史料がどれなのかを考察しています。注目したのは瓦版。そこには事件が起きたのは「去亥」と書かれています。亥の年とは事件があった1803年のこと。「去」という表記から瓦版が次の亥の年1815年より前に書かれたことを意味しています。馬琴の「兎園小説」が書かれたのが1825年なので、瓦版はそれより前に出たものだと考えられます。田中さんはこの瓦版が最も古い出所だとにらんでいます。そして、実際に鹿島灘に調査に訪れた時、瓦版の絵の女性とよく似た女性の絵を見つけだしました。それは鹿島灘に流れ着いたとされる金色姫。彼女は鹿島灘一帯に養蚕をもたらしたと伝えられる女神です。この金色姫と円盤漂着事件にはどのような関わりがあるのでしょうか?鹿島灘にほど近い星福寺は、かつて金色姫を本尊とし今も本堂の奥に大切に祀っていると言います。金色姫の像の手には箱が握られています。中には養蚕で大事な蚕が入っていると言います。箱を持つ女神像は日本では極めて珍しいものです。円盤漂着事件は金色姫の伝承をモデルに作られたと考えるのが妥当のようです。さらに金色姫の御札に書かれたご利益の文章には「曲亭陳人」と書かれています。これは曲亭(滝沢)馬琴の別名です。

 

2014年1月、甲賀忍者の流れをくむ家から新たな史料が見つかりました。忍者の仕事は主君のめいをうけて情報を収集、報告することです。つまり文章を書いた忍者は何か元の記録を見ながら出来るだけ正確に書き写したものと考えられます。注目すべきは4つの異形文字。これまでの史料と違い真ん中の2文字が左右にズレています。この点に着目したのが超常現象の真相究明をライフワークとする皆神龍太郎さん。皆神さんはこの2文字がもともと1つだったのではないかと指摘。そしてこの文字に似たものを発見しました。それは、うつろ舟が来たとされる頃と同じ時期に書かれた浮世絵「六郷渡」です。その蘭字枠が異形文字の元になったと考えています。確かに似たものが見受けられます。柳田國男さんがでっちあげとした異形文字は実在していたのです。

 

一方、田中さんも新史料から新たな手がかりを見出しました。それは舟が流れついた現場の正確な地名です。そこには「常陸原舎り浜」と書かれています。舎り浜という地名は当時の地図にも存在しています。この新史料には初めて実在の地名が記されていたのです。これまで滝沢馬琴の作り話の可能性もあげられてきましたが、新史料のリアリティはその説を揺るがしかねないものです。