悪魔の手術ロボトミー&ウォルター・フリーマン|フランケンシュタインの誘惑E+

アメリカのジョージ・ワシントン大学病院で80年前、歴史的な手術が行われました。患者の病名は激越型うつ病。激しい不安に襲われ取り乱す病です。

当時、不治の病と言われた精神疾患を治療しようというものでした。手術の名前は「ロボトミー」脳を切る手術です。目を覚ました患者は別人のように回復しました。

ロボトミーは奇跡の手術ともてはやされ、アメリカだけで4万人、世界中に広まり日本でも行われました。ケネディの妹のローズマリー・ケネディもロボトミーを受けました。

脳

ロボトミーを広めたのは精神科医のウォルター・フリーマン。ロボトミーを普及させるため、アメリカ中を奔走しました。後押ししたのは当時の社会。しかし、その代償はあまりにも大きいものでした。

母は自分でトイレにも行けなくなりました。すべてを失ったのです。(患者の娘)

救いの神か、それとも悪魔の手先か…

史上最悪の手術と言われたロボトミーは、なぜ生まれ受け入れられていったのでしょうか?

奇跡の手術 ロボトミー

ウォルター・フリーマンは1895年、フィラデルフィアに医者一族の長男として生まれました。孤独を好む少年だったと言います。趣味はカメラでした。そのレンズはしばしば尊敬する祖父に向けられました。

祖父はウィリアム・キーン。世界で初めて脳腫瘍の摘出に成功した有名な脳外科医です。フランクリン・ルーズベルト大統領の主治医もつとめました。フリーマンはそんな祖父に憧れ医学の道を志しました。

フリーマンはとても好奇心旺盛で賢い少年でした。祖父のキーンは素晴らしい業績を持った名誉ある人物でした。フリーマンにとって祖父は人生のお手本だったのです。だから、自分も名声を得たいと強く思っていました。(ジャーナリスト ジャック・エル=ハイ)

フリーマンは名門エール大学を優秀な成績で卒業し医学校へ。専門として選んだのは精神医学。当時、精神疾患は原因が分からず治療法もほとんどありませんでした。狭い部屋に押し込められ、暴れる者は拘束されました。一度入院すると退院できるのは稀で、絶望の施設と呼ばれていました。

当時の精神病院はいわば単なる大きな倉庫でした。治療と呼べるものはほとんど行われておらず、実際には自殺したり他人を傷つけることのないよう保護する、つまり社会から隔離するというのが目的だったのです。治療する場所とはとても言えるものではありませんでした。(医学史研究家エドワード・ショーター)

行われていた数少ない治療も命の危険があるものでした。

  • 電気ショック療法
    激しい痙攣を引き起こすため背骨を折る患者もいた
  • インスリンショック療法
    強制的に低血糖状態にする
  • マラリア療法
    マラリアにわざと感染させ高熱状態にするという荒療治

1924年、フリーマンは28歳の若さでアメリカ最大の精神病院セント・エリザベス病院の研究所長に大抜擢されました。祖父の肝いりでした。

期待にこたえようとフリーマンは治療法を探し続けました。精神疾患は脳に何らかの異常があるに違いないと考えたフリーマンは、死亡した精神疾患の患者の解剖に明け暮れました。しかし、脳に変わったところは見つけられませんでした。

1935年、ロンドンで開かれた国際神経学会がフリーマンの人生を変えました。チンパンジーの脳の一部を切ると狂暴性がおさまるという発表が行われ、そこにある質問が投げかけられました。

その実験を応用すれば人間を救うことができるのではないか?

発言したのはポルトガルの神経科医エガス・モニス。翌年、モニスは精神疾患を抱える患者20人の脳の一部を切ったと発表。精神の病を外科手術で治療する「精神外科」の始まりでした。

モニスが注目したのは欲望や運動、理性を司ると考えられていた前頭葉。その前頭葉から視床へ神経の伝達が過剰に行われると不安や強迫観念が起き、問題行動を起こすと考えました。ならば、その回路を切れは良い…

論文によると約7割の患者が治ったか改善に向かったと報告されていました。フリーマンはこの結果に一早く飛びつきました。

ここには具体的な何かがある。将来の見通しが開けてきた。

フリーマンの自伝より

フリーマンは精神疾患というやっかいな病を解決する治療法を探し続けていました。モニスの論文はその扉を開けるための鍵になると思ったのです。これで祖父のような偉業を残せるかもしれないと興奮したに違いありません。 (医学史研究家エドワード・ショーター)

ヨーロッパから道具を取り寄せ、1936年9月には手術を開始。4か月間で6人の重篤な患者に脳の手術を行いました。その6人のうち3人が退院。治る見込みのなかった患者が社会復帰を果たしました。

フリーマンがこの手術につけた名前は「ロボトミー(LOBOTOMY)」前頭葉(LOBO)切る(TOMY)というラテン語が由来です。

フリーマンはマスメディアを積極的に利用。新聞記者を集めて手術の様子を取材させると称賛の文字が並びました。一躍時の人となったフリーマンのもとに次々と患者が訪れるようになりました。

ジョン・F・ケネディの妹ローズマリー・ケネディもやってきました。家族から知的障害を心配された彼女はロボトミーを受けさせられたのです。

1945年、第二次世界大戦が終結すると病院は戦いで精神を病んだ兵士たちであふれました。公立病院に入院する半分が精神科の患者だったと言います。フリーマンはロボトミー普及のチャンスととらえました。

彼の目標はアメリカ中、さらには世界中の精神病院でロボトミーが行われるようになることでした。そのためには、ロボトミーを改良する必要がありました。それまでのロボトミーには精神病院にはない手術室と外科医、そして麻酔科医が必要だったからです。 (医学史研究家エドワード・ショーター)

改良型ロボトミー

1946年、フリーマンは改良型ロボトミーを考案。それはどこでも手に入るアイスピックを使うというものでした。麻酔の代わりに使うのは電気ショック昏睡状態にして手術を行うのです。そして目の裏側にある頭蓋骨の一番薄い部分にむけてアイスピックを差し込み、そこから脳に分け入り神経組織を掻き切るのです。

10分足らずの簡単な手術でした。この新しいロボトミーに患者であふれかえっていた公立病院が飛びつきました。精神科医一人でできるロボトミーは魅力的な治療法でした。

フリーマンは自慢していました。自分は「医学界のヘンリー・フォードだ」と。ロボトミーの大量生産を考案したからです。 (医学史研究家エドワード・ショーター)

フリーマンは全米各地の病院でデモンストレーションを行うため、ロボトミー普及の旅に出ました。ロボトモビルと名付けた車で自らハンドルを握りました。病院では自分の技術を惜しみなく公開。1日に25人のロボトミーを行ったこともあります。23の州で55の病院を訪れ、ロボトミーとフリーマンの名前は全米各地に広まっていきました。

ロボトミー 暴走の果てに

1949年、エガス・モニスがノーベル生理学・医学賞を受賞。ロボトミーは世界が注目する治療法となり爆発的に広がりました。日本でも日本医科大学の広瀬貞雄教授を中心に精神疾患の治療として積極的に取り入れられました。

しかし、フリーマンとロボトミーに暗雲が漂い始めました。手術による重篤な副作用が問題になり始めたのです。

キャロル・ダンカンソンさんの母アナ・ルースは片頭痛に悩まされロボトミーを受けました。

母は活気あふれる女性で、しかも美しかったのでみんなに好かれていました。学生時代は成績もよく記憶力に優れ数学も得意だったと聞いています。(キャロル・ダンカンソン)

しかし、病院から帰ってきた母親は変わり果てた状態だったと言います。

母は脳をかき混ぜられただけでした。トイレも自分では行けなくなり感情のコントロールもできない。情緒不安定になって自分の身なりもお構い無しの状態でした。もちろん、育児なんてできません。自分のこともまともにできないのですから。(キャロル・ダンカンソン)

しかし、こんな状態でもフリーマンは成功したととらえていました。

確かに頭痛は治まり痛みの不安はなくなりました。だからフリーマンは「約束通りの結果を出した」というのです。(キャロル・ダンカンソン)

その後、母親は離婚。キャロルたち子供らとも離れ離れになり実家で介護を受けながら53歳で亡くなりました。頭痛と引き換えに人生を失ったのです。

ローズマリー・ケネディも手術のあと重い副作用に苦しみ、養護施設に入りました。死ぬまでの60年余りを施設でひっそりと過ごしたと言います。

1954年、抗精神病薬クロルプロマジンがアメリカで認可。ロボトミー同様の効果が得られると年間200万人が服用するほど一気に広まりました。一方、フリーマンはロボトミー手術の対象を広げていきました。

フリーマンはとにかく数を増やすために様々な状況でロボトミーを行いました。(医学史研究家エドワード・ショーター)

フリーマンは当初、ロボトミーは重篤な患者への最後の手段としていましたが初期段階の治療にも有効だと言い始めたのです。(ジャーナリスト ジャック・エル=ハイ)

フリーマンは子供にまでロボトミーを行いました。12歳のハワード・ダリーは父親の再婚相手と折り合いが悪く、暴力的なふるまいをするとフリーマンのもとに連れてこられました。彼女の言い分のみで統合失調症と診断されハワード少年はロボトミーを受けることになりました。

この少年にロボトミーを行ったのは不適切極まりないものです。彼は病気だったわけではなく、ただの思春期の少年でした。ハワードを嫌っていた母親がロボトミーをして欲しいと願い出たのです。(医学史研究家エドワード・ショーター)

ハワード・ダリー(68歳)は今はバスの運転手として働いています。

手術の前に受けた電気ショックがとても怖かったことを覚えています。でも、そのあとはよく分からなかった。とても目が痛かったのですが、なぜなのか分かりませんでした。霧の中にいるようでぼんやりしていたのです。(ハワード・ダリー)

手術後ハワード少年は大人しくなりました。

フリーマンがハワード少年を連れて成果を発表すると轟々たる非難が沸き起こりました。

まだ子供じゃないか!

ひどすぎるわ!

医者失格だ!

フリーマンは逆上しました。

フリーマンは怒っていました。自分がなにか間違ったことをしたのかと戸惑ったことを覚えています。(ハワード・ダリー)

ハワードが数年前にとった脳のMRI画像は、前頭葉の一部に穴が開いています。ハワードは手術後、養護施設を転々としホームレスになったこともあったと言います。

ロボトミーを受けてから精神的に弱く傷つきやすくなったと思います。何をするにも意欲が無くなりました。特にそれを感じます。今でも人生をよりよくしたいと思ってはいるのです。でも、長続きしません。すぐに諦めてしまいます。(ハワード・ダリー)

フリーマンが全米に広めた結果、ロボトミーは暴走をはじめました。反社会的な人物を矯正するという目的で犯罪者同性愛者にまでロボトミーが施されたのです。その実態が1962年に発表された小説「カッコーの巣の上で」で告発されました。

この小説は後に映画化されアカデミー賞の主要5部門を独占。ロボトミーの恐ろしさが世界中に知れ渡りました。

失敗から解き明かされた脳の秘密

てんかんの発作を繰り返していたヘンリー・モレゾンは、1953年に脳の一部を切り取る手術を受けました。手術後、発作はおさまりましたが、重大な記憶障害となりました。

言葉は知能は正常でしたが、彼は今日が何曜日なのかさえ覚えることができなくなっていました。彼が受けた手術は前頭葉を切るロボトミーとは違い、海馬を切り取るものでした。

1955年、脳科学者ブレンダ・ミルナーがヘンリー・モレゾンのもとにやってきました。ミルナー博士が自己紹介をするとモレゾンは「誰かの役に立てることが嬉しいんですよ」と言いました。

モレゾンには古い記憶は残っていましたが、彼の新しい記憶は15秒しかもちませんでした。実験を繰り返した結果、新しく記憶するには海馬が必要なことが分かりました。記憶はいったん海馬に書き留められ、必要に応じて大脳皮質に保存されるという記憶のメカニズムが明らかになっていきました。

モレゾンのもとには100人以上の研究者が訪れました。そのたびに彼は同じセリフを繰り返しました。

「誰かの役に立てることが嬉しいんですよ」

フリーマン ロボトミーへの偏愛

ヘリック記念病院は1960年代にフリーマンのロボトミーを唯一許可していた病院です。1967年2月、ロボトミーを受けた患者が死亡。病院は許可を取り消し、フリーマンのロボトミーは終焉を迎えました。

1968年、72歳のフリーマンは旅に出ました。家も売り払って旅費にあてました。その目的は自分がロボトミーを行った患者を訪ねることでした。

アクセルを踏みたくて足がムズムズする。疲れや空腹などお構い無しに走り続けられる。

フリーマンの日記より

フリーマンは人生をかけたロボトミーがそれほど悪いものではなかったと死ぬ前に自分に言い聞かせたかったのでしょう。あわれなことに彼と患者の関係は逆転していました。彼は自分が行ったロボトミーは患者に効果があったという確信を得たかった。彼が患者を治療するのではなく患者が彼を癒していたのです。(ジャーナリスト ジャック・エル=ハイ)

フリーマンはこの度で600人以上の患者の消息を確認。記録によると、そのうち230人が退院していました。

彼は得意げにその調査を論文にまとめましたが、興味を示す者はいませんでした。

1972年、フリーマンは結腸がんにより76歳で生涯を閉じました。

フリーマンは自分の人生に満足していなかったと思います。彼は一時、祖父と同じ地位にまで上り詰めましたがそこから落ちてしまいました。ロボトミーに執着し、捨てることができなかったからだと思います。 (ジャーナリスト ジャック・エル=ハイ)

1980年、精神疾患について初めての客観的な診断基準が作られました。それは版を重ね現在でも使用されています。診断基準の中心となるのは病特有の症状。しかし、いまだ科学的な原因究明には至っていないのが現実です。

こうした中、アメリカでは強迫性障害の治療に限り脳の一部を切ることが認められました。ガンマナイフ治療は脳のある場所に放射線を当て0.1mmの精度で焼き切るというもの。しかし、その場所は強迫性障害の原因と疑われているだけで科学的に立証されてはいません。

2014年、ガンマナイフ治療の結果が発表されました。効果にバラつきがあり、20人に1人の割合で非常に重い副作用がでました。脳が放射線障害を起こし壊死した患者もいました。

「フランケンシュタインの誘惑 E+」
#4 脳を切る 悪魔の手術 ロボトミー

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