ギリシャ語で小枝の集まりを意味するクローン。生物学の世界では同じ遺伝情報を持った個体をさします。クローン研究は命はどう生まれ育つのかを探求する学問「発生生物学」から生まれました。
両生類のクローン成功
1951年、アメリカの発生生物学者ロバート・ブリッグスが両生類のクローンの作成に成功。核移植という技術を使ってオタマジャクシのクローンを誕生させました。
核にはその個体のDNA、つまり全遺伝情報が含まれます。この核を卵の細胞から取り除くことを徐核と言います。そして、別の細胞から取り出した核をピペットで吸い込み徐核した卵に注入。これが核移植です。
ブリッグスは分裂を始めたばかりのカエルの胚細胞から核を抜き出し、徐核したカエルの卵197個に移植。その中の27個がクローンおたまじゃくしになりました。
この成功をうけて世界中の発生生物学者がクローン研究に参入。次のターゲットは哺乳類。しかし、哺乳類のクローンには大きな壁がありました。
カエルなど両生類の卵は直径1.5ミリ程度。それに対して哺乳類の卵は0.1ミリ程度しかありません。
クローンマウス誕生
1981年、衝撃のニュースが世界を駆け巡りました。史上初の哺乳類のクローン「クローンマウス」が誕生したというのです。クローンを作ったと発表したのは発生生物学者のカール・イルメンゼー。
1939年、カール・イルメンゼーはドイツのリンダウに生まれました。ミュンヘンの大学に進むと生物学を専攻。1970年代に入るとカール・イルメンゼーはクローン研究が盛んだったアメリカに渡りました。
カール・イルメンゼーが最初に取り組んだのはショウジョウバエを使った核移植でした。ショウジョウバエの卵の大きさは0.5ミリ。ショウジョウバエの卵で成功すれば、さらに小さい哺乳類の卵の核移植に道が開けると考えました。
1976年、カール・イルメンゼーはそれまで誰も成功しなかったショウジョウバエの卵の中の核と細胞質を移植する実験に成功。ショウジョウバエの卵を自在に操るカール・イルメンゼーは「黄金の手を持つ男」と呼ばれるようになりました。
ショウジョウバエの実験で名を上げたカール・イルメンゼーは、マウスのクローン作製に乗り出しました。
この頃、核移植に使う実験装置マイクロ・マニピュレーターの技術革新が起きたこともカール・イルメンゼーの追い風となりました。マイクロ・マニピュレーターは顕微鏡を覗きながら細かい作業を行うための装置。これに手元でピペットを操作するジョイスティックが装備され、より微妙な操作が可能になったのです。
これまでの核移植の常識では徐核の時に1回、移植する核を入れる時にもう1回、合わせて2回も卵をピペットで刺す必要がありました。この方法だと小さくデリケートなマウスの卵は傷つき壊れてしまうことが多くありました。
カール・イルメンゼーはあらかじめ移植する核を入れたピペットを卵にさし、核を注入。そして、そのまま同じピペットで卵の核を吸い出せば良いと考えました。この方法ならデリケートな卵を刺すのは1回ですみます。
363個の受精卵に核移植を行い、成功したのは142個。そのうち分裂がうまく進んだ16個の卵を代理母のマウスに移植しました。2週間後、世界で初めての哺乳類クローン「クローンマウス」が3匹誕生しました。
1981年1月、カール・イルメンゼーはこの実験結果を発表。史上初の哺乳類クローン誕生に世界中の科学者が驚嘆しました。
カール・イルメンゼーはスイスの名門ジュネーブ大学の教授に就任。科学界の大スターとして君臨しました。
不正発覚
1983年1月、事件が起こりました。カール・イルメンゼーが研究成果をスピーチした後、部下の科学者クルト・ビュルキが突然立ち上がりました。
「我々イルメンゼー研究室のメンバーは彼の研究結果を認めない!」
ビュルキが告発したのは、前年にカール・イルメンゼーが行った新しい核移植実験でのことでした。ある時、マイクロ・マニピュレーターのピペットにヒビが入り交換しないと実験には使えないことがありました。カール・イルメンゼーは週末にそのマイクロ・マニピュレーターを使って実験を行ったと主張。しかし、ヒビの入ったピペットは月曜も同じ場所にあり、交換された様子はなかったと言います。
また、研究室の水のろ過装置にトラブルが発生し、マウスの卵をうまく培養できないことがありました。それにも関わらずカール・イルメンゼーは卵の培養に成功したと主張。ある研究生がカール・イルメンゼーが使っている試験管を調べたところ中は空だったと言います。
研究室内での話し合いは決裂し、ビュルキは公の場での告発を決意しました。
カリスマ科学者の捏造疑惑に世界中が大騒ぎになりました。事態を重くみたジュネーブ大学は調査委員会を設立。カール・イルメンゼーの実験の検証も行いました。
カール・イルメンゼーへの不信が高まる中、クローンマウス誕生自体も疑われることになりました。実は多くの科学者がカール・イルメンゼーの実験の追試を行いましたが、成功した者は誰一人いなかったのです。
1984年1月、委員会は結論を出しました。捏造の証拠はないもののカール・イルメンゼーの実験記録には許容しがたい大量の訂正、誤り、矛盾がある。一連の実験は科学的に価値がない。
イルメンゼーは自らの実験の正当性を訴え続けましたが、耳を貸す者はいませんでした。
1984年5月、カール・イルメンゼーにとって致命的な論文が発表されました。「カール・イルメンゼーのクローンマウス実験を再現することはできない」執筆者は発生生物学の世界的権威ダヴォール・ソルター。カール・イルメンゼーの実験を3年に渡って綿密に追試したものの1度も再現できなかったと報告。ダヴォール・ソルターは論文の最後をこう結んでいます。
「核移植による哺乳類のクローンは生物学的に不可能である。」
カール・イルメンゼーに対する研究資金は次々と打ち切られました。1985年6月、カール・イルメンゼーは追われるようにジュネーブ大学を辞職しました。
クローン羊ドリーの誕生
1997年2月、世界中が驚愕するニュースが発信されました。クローン羊ドリーの誕生です。ドリーを生み出したのは無名の科学者イアン・ウィルムット。スコットランドにある農業系の研究機関ロスリン研究所の科学者でした。
イアン・ウィルムットたちは製薬会社をスポンサーに、より良いミルクを出す家畜を作るためにクローンの研究を行っていました。畜産業界は生物学界が断念した後もクローン研究を続けていたのです。
ビジネスにするには成長し、優秀さが証明された家畜からクローンを作らねばなりません。イアン・ウィルムットたちが目指したのは体細胞核移植クローンでした。
それまでのクローンは、受精卵の胚細胞から核を取り出し、それを移植してクローンを作り出していました。これは胚細胞核細胞クローンと呼ばれます。
それに対して、成長した体の細胞「体細胞」から核を取り出し移植して作るのが体細胞核移植クローンです。これが成功すれば、成長し優秀であることが分かった生き物を大量にコピーできます。
イアン・ウィルムットのチームは牛より格段に安い羊を使って実験を続けました。実験を繰り返すうちにイアン・ウィルムットたちは細胞周期に目をつけました。
しかし、条件によってサイクルから外れる休眠状態の細胞が現れます。この休眠状態は条件が整えば元のサイクルに戻ります。
イアン・ウィルムットたちは、休眠状態の細胞から核を取り出し移植する方法を発見しました。細胞を人工的に休眠状態にするには培養液の栄養を減らせば良いことも分かりました。
こうして6歳のメスの体細胞から277個の核を取り出し移植。一匹のクローン羊を生み出しました。
ドリー誕生のニュースは世界中を震撼させました。体細胞クローン技術を使えば独裁者や天才のクローンを大量に作ることができるのではないか…
1998年にはホノルル大学の研究グループが体細胞クローンマウスの作成に成功。続いて牛、豚、猫、犬と体細胞クローンが続々と誕生。良質の肉を生み出すクローン牛の大量生産も始まりました。
クローンのビジネス化
2008年、アメリカ食品医薬品局(FDA)は体細胞クローン牛の肉を消費用に承認。クローン牛の表示義務はなく、店頭で並ぶ肉がクローン牛のものか見分けることはできません。
今、ペットのクローンを作るビジネスが人気を集めています。
命の秘密に迫る科学から食料のための技術へ。そして人間の欲望を満たすペットクローンへ。
クローン人間?
2013年、オレゴン健康科学大学の研究チームがヒトクローンES細胞の作製に成功したと発表しました。細胞レベルではありますが、初めてヒトのクローンが作られたのです。
さらに、中国の研究所がサルのクローン2匹を誕生させたと発表。霊長類の体細胞クローンは世界初のことでした。
「フランケンシュタインの誘惑
科学史 闇の事件簿」
第3夜 クローン人間の恐怖
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