魔女狩りの恐怖 セイラム村の魔女裁判|幻解!超常ファイル

NHK総合テレビの「幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー」で実録!魔女狩りの恐怖について放送されました。今から300年前、アメリカの小さな村に悪魔の手先、人々に不幸と絶望をもたらす恐ろしい魔女が現れたと言います。魔女の恐怖がもたらしたのは20人が殺されるという血塗られた惨劇でした。

 

アメリカ東海岸の港町セイラムは1620年代ヨーロッパからの移民が最初に入植した街の一つです。通称「魔女の街」です。魔女はセイラムのシンボルで年間100万人の観光客が訪れます。300年前、魔女をめぐる惨劇が起こったのは隣町のダンバースです。当時はセイラム村と呼ばれ人口1700人の小さな村でした。事件の始まりは少女たちに起きた異変でした。

 

1692年1月、セイラム村の有力者パリス牧師の家で娘エリザベス(9歳)と姪アビゲイル(11歳)が突然奇妙な行動をとり始めました。何かを恐れるように叫びながらうろつき部屋中の物を投げつけたのです。異常な行動はまるで伝染するかのように10代の少女たち10人以上にまで広がっていきました。原因は一説には集団ヒステリーではないかと言われていますが、今なお特定されていません。医者が治療を施したものの効果はなく「魔女がとりついている」と診断しました。魔女はキリスト教社会において人間が悪魔と契約を結び、その手先となった者をさします。妖術で人や家畜を呪い殺し、疫病を流行させ天候を操って穀物を枯らせ不安と恐怖をまきちらす憎むべき存在です。かつて中世のヨーロッパでは盛んに魔女狩りが行われ処刑された者は10万人にのぼったと言います。しかし、時代が近代に近づくにつれこうした魔女狩りは減少していったはずでした。歴史家のマリリン・ローチさんによると、当時の人々にとって魔女は現実的な存在だったそう。自分たちの暮らしに災いをもたらし現実的な影響を及ぼすのは神よりも悪魔だったからです。セイラムのキリスト教徒ピューリタンは真面目で神の意思に従おうとするからこそ魔女の存在を意識していました。少女たちにとりつき苦しめている魔女は誰なのか聞き取り、少女たちは3人の村人の名前を魔女としてあげました。村の役人が逮捕にむかい魔女狩りが始まったのです。

 

1692年3月1日、尋問が始まりました。告発されたのは物乞いの女性や嫌われ者の老婆など村で弱い立場にいる人たちでした。その一人、奴隷の召使いティチュバにも治安判事から厳しい質問が浴びせられました。始めは無実を訴えていたティチュバですが、やがて悪魔と契約したと言い出しました。なぜ彼女はありもしない事を語ったのでしょうか?歴史家のマーゴ・バーンズさんによるとティチュバは奴隷で社会的に地位もなく権力もなくとても弱い立場だったため、「お前がやったのか?」と聞かれたら「はい」と答えねばならなかったのだそう。例えでっちあげの告発でも上の人が望む答えをすれば自分は許されると思ったのです。さらにティチュバからは「悪魔と契約をした時、そこには魔女が5人いました」という驚きの証言が飛び出しました。この一言はセイラム村を混乱の泥沼へと引きずり込んでいきました。

 

当時セイラムの人々は社会的な不安の中で暮らしていました。母国イギリスとフランスの戦争、アメリカ先住民たちの襲撃、伝染病の流行、農作物の不作など。こうした不安に拍車をかけたのが村人たちの対立です。最初に村を作ったのは60年前から移住を始め農地を切り開いた開拓者と、その子孫たち。やがて新たな移住者が加わり、彼らは商売や土地を買い取ることで財産を蓄え力を持ち始めていきました。昔からの住民と新しい住民は村の運営で対立し、お互いを警戒していました。魔女狩りは村人たちの不安と疑いを火種に激しさを増していきました。

 

1692年3月半ば、少女たちは敬虔なキリスト教徒で村人の尊敬を集めていたレベッカ・ナースを魔女としてあげました。39人もの人が無罪放免を求める嘆願書を出しました。しかし、魔女に対する恐怖心が村人から理性的な判断を奪っていきました。少女たちが「あそこにレベッカの生霊が」と叫び裁判は混乱。さらに必死の弁明をするレベッカの身振りと同じ動きを少女が始め、レベッカが少女に生霊をとりつかせたと思い込み魔女の証拠となってしまいました。3ヶ月に及ぶ審議の結果、6月28日レベッカ・ナースは有罪にされてしまいました。さらに少女たちは容疑者が5人を超えても告発をやめず村人たちが次々と裁判へ引き出されていきました。裁判で無実を主張すれば、待っていたのは残酷な拷問。大きな石を乗せられたり体中を針で刺されたりして無理やり自白へと追い込まれました。ひとたび告発されたら最後、逃れる術はありませんでした。

 

これに対し、「少女たちに原因がある」と主張した男もいましたが少女側からの告発を受け魔女とされてしまいました。やがて魔女狩りはボストンなど周辺の街へと拡大。少女たちに告発された容疑者が自分への疑いをそらそうと他人の名をあげることで広がっていったのです。1692年の夏頃にはより多くの、そしてお金持ちや地位の高い人、有名人まで告発されました。どんなに疑わしくない人でも裁判に引き出されれば100%有罪でした。裁判のやり方や結果に対して疑問の声をあげれば今度は自分自身が魔女の疑いをかけられるかもしれません。「次は自分の番ではないか」という恐怖から静かにするしかなかったのです。7月19日、最初の処刑が行われました。そこには敬虔なクリスチャンとして尊敬を集めていたレベッカ・ナースもいました。この頃には人口1700人の村で100人以上が魔女として逮捕され、辻褄が合わない異常事態に疑問の声が上がり始めました。8月19日に隣町の牧師が処刑寸前に聖書の一節を唱え始めました。魔女が聖書を読み上げることは出来ないと考えられていたため、彼は魔女ではないのではないかと思い始めた時、魔女研究で有名な神学者コットン・メーザーが「悪魔は時に天使を装って私たちの前に現れるのです」と言い出しました。こうして魔女狩りは最後の歯止めを失いました。処刑者19人、拷問による死者1人、逮捕者約200人。惨劇は異常事態を知った州知事が裁判の中止を命令するまで1年半も続きました。セイラムの人々は魔女狩りを自ら止めることは出来なかったのです。

 

セイラム州立大学のエマーソン・ベイカー教授によると、魔女狩りは社会の不安をそらすための生贄で、嫉妬、憎しみ、差別などの意識が魔女という意識を作らせるのだそう。私たちは誰でも心の弱さを抱えています。そうした人の心の弱さにつけこみ恐ろしい世の中へと暴走させてしまう存在を魔女と呼ぶのだとしたら、魔女は今でも私たちの身近に潜んでいるのかもしれません。




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