2012年10月、アメリカ人医師エベン・アレグザンダーが発した「死後の世界は存在する」という言葉が大々的に報じられました。生死の境をさまよった人の不思議な体験、いわゆる臨死体験に関してはこれまで多くの科学者たちが否定し続けてきました。
しかし、衝撃の発言をしたエベン・アレグザンダー医師は脳神経外科の世界的権威。各国の医学会に招かれ数々の賞を受賞。アメリカのベストドクターに選ばれた経歴を持つなど科学的に脳を研究。これまで死後の世界の存在を完全に否定してきた人物だったのです。
臨死体験については現在、懐疑的な見解の方が多いです。しかし、エベン医師は臨死体験はもちろん、死後の世界はあると強く主張しています。
死後の世界を信じることになったきっかけ
エベン医師が死後の世界を信じることになったきっかけは2008年11月10日、54歳の時でした。背中の鋭い痛みで目覚めると昏睡状態に。病名は細菌性髄膜炎でした。
6日経ってもエベン医師は回復しませんでした。それでも奇跡的に回復し後遺症もなく11月25日に退院しました。
退院後、エベン医師は入院中の自分の脳の状態をすみからすみまで徹底的に調べました。昏睡状態にあった7日間、エベン医師の脳は機能を停止していました。
臨死体験は科学的な証明は不可能なので、一般的には何らかの脳の錯覚によるものと考えられています。しかし、エベン医師は脳の錯覚ではなく死後の世界は存在すると主張します。
脳は死の直前にエンドルフィンという物質を放出します。それは死の痛みを和らげる効果があるのですが、大量に分泌されると快楽を与えます。つまり、麻薬のような働きをし幻覚を見るのと同じような状態になるのです。
しかし、昏睡状態のエベン医師の脳は大脳皮質が機能しておらず、脳内で起こったことを映像として認識することが不可能な状態でした。つまり、幻覚を見ることすら出来ない状態だったのです。
エベン医師が見た死後の世界
エベン医師は、闇でありながら視界がきく不思議な世界にいました。まるで子宮の中のように感じたといいます。周りには血管のようなものが浮かび上がっていました。遠くから響いてくる深い音と振動がありました。そしてグロテスクな生き物たちが吠え立ててきました。
その後、美しい光が射してきて美しい旋律が聞こえてきました。光に吸い込まれとても美しい世界の上を飛んでいました。そこには一人の女性がいてこう言われました。
エベン医師は飛び続け大きな雲に到着。その上には輝く光の玉が弧を描いて飛んでいました。上空からは聖歌のような大音響が聞こえてきました。
さらに先に進むと暗闇だけど安心する場所へ。3つの世界を行き来したエベン医師は、降下し病室で自分のために祈る5人の顔を見ました。「帰らねば」と思い甦生したと言います。
このような色彩豊かな幻覚を脳幹で見るとは考えにくいといいます。
脳の再起動現象?
しかし、総合新川橋病院の佐野公俊さんは脳の再起動現象ではないかと言います。一時的に機能を停止していた脳が意識を回復するさい、それまでの古い記憶が支離滅裂に放出されることがあるのです。それが臨死体験をしたと錯覚させているのではないかと言います。これは睡眠時に見る夢によく似ているそう。
夢は体が眠っているのに脳は起きているレム睡眠時に見ると言われています。そのさい、脳が記憶を整理し映像化されたものが夢だと考えられています。
つまり、エベン医師の脳は意識を回復する直前、レム睡眠に近い状態で夢を見るのと同じような現象が起きたと考えられるのです。
しかし、エベン医師は脳の再起動現象では病室で祈る5人を見たことの説明がつかないと言います。エベン医師が覚醒したのは昏睡状態7日目の朝。その時病室にいたのはスコット医師と妻ホリーと次男ボンドの3人でした。もしこの時まで完全に意識がなかったとしたら3人しか認識できないはずです。
ところが、エベン医師は妻の友人シルビアと妻の妹ペギーがいたことも記憶していたのです。エベン医師が見たという5人がそろって病室にいたのは昏睡状態になってから6日目のこと。つまり覚醒する12時間以上前だったのです。この時、エベン医師は完全な昏睡状態で視覚はもちろん聴覚も働いていなかったことが確認されています。
臨死体験中に出会ったのは…
臨死体験を語る多くの人が亡くなった親族や友人と会い言葉を交わす経験をしていますが、エベン医師が臨死体験中に出会ったのは見知らぬ人物でした。この女性がいったい誰なのかエベン医師はずっと心に引っかかっていました。
エベン医師は、生まれてすぐに脳神経外科医である現在の父に引き取られ愛に包まれて育ちました。幼い頃からその事実は知っていましたが、自分が子供を持つようになると実の両親に会いたいと思うようになりました。
そして2000年に養護センターを通じて実の両親に対面を打診しましたが、拒否されました。しかし、それから7年後に再び手紙を送りました。すると実の両親が会うことを承諾。そしてエベン医師は自分の出生の秘密を知りました。
実の両親がエベン医師を生んだ時はまだ高校生でした。子供を育てる経済力はなく、なくなくエベン医師を手放しました。2人はやがて結婚し3人の子宝に恵まれました。エベン医師にとっては実の兄弟です。
しかし、再会を果たす前に妹の一人ベッツィが他界。そのショックで心身共に疲労し両親はエベン医師に会う勇気が持てる状態ではなかったのです。その時、写真を見ることは出来なかったのですが両親には一度会ってみたかったと話していました。
エベン医師が退院して4ヶ月が経ったある日、両親から手紙が届きました。そこにはエベン医師が臨死体験中に出会った女性の写真が入っていました。彼女は実の妹ベッツィだったのです。これによりエベン医師は死後の世界があると信じるようになったのです。
2012年、エベン医師は一連の体験をまとめた一冊の本「プルーフ・オブ・ヘヴン 脳神経外科医が見た死後の世界」を出版し、全米で200万部を超えるヒットを記録しました。
現在エベン医師は世界各地で講演を行い自らの体験を語っています。臨死体験の新しい見解として大きな注目を浴びているのです。
「奇跡体験!アンビリバボー」
この記事のコメント
スピリチュアルリズムをよく読んでいるものですスピリチュアル(霊の世界)の研究は1848年から科学的に欧米で研究が始まりました。ここに登場する脳外科医のエベン・アレクザンダー医師のように霊の存在を全く信じていない有名な科学者が霊などあるわけがないと生き込んで研究にとりかかりましたがほとんどの方がどうしても霊の存在、死後の世界があると仮定しないと話のつじつまが合わないと結論付けています。
霊会からのこの世に対するアプローチとしてポルターガイストや自動書記、など霊の意思が働いて我々にアプローチがなされています。
www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/life-after-death/index.htm このサイトもそのうちの一つで霊媒(霊の意思を地球人の言葉で翻訳発言)を通じて500もの人が死んだあと霊に何が起こったかを話しているものを録音や速記で記録して出版されたものです。これを読んでいたのでエベン医師の臨死体験や見たことのない死んだ妹のはなしなどが普通に認識され彼の言っていることは嘘ではないことがわかりました。霊界は、霊の世界を正確にこの世に把握させようと何百年にもわたって人類にアプローチしております。そのアプローチの仕方が色々と変わってきます。エベン医師の脳は、ここまでダメージを受けたらまともに蘇生することは不可能です。にもかかわらずまともに復活して生活できるのは霊界の意図がはっきりと読み取れます。これまでもいろいろな人が霊の世界、死後の世界について語る人は、多々ありました。しかし、唯物論的思考の科学者が先頭になって否定し、死後の世界などあるはずがないとあざ笑い否定し、生活もできないほど攻撃をされたものです。エベン医師も早速ネット上でも「嘘だと」決めつける人も出てきているようです。霊曰く霊魂は死なない何千年も霊の世界で生き続けています。地球上に生まれるのは、霊の成長のために高々70~80年肉体の殻をもち物質世界に生きて本当の霊の心の浄化に向かった修行の時間であると言います。我々物質世界では、見てなければ何をやってもわからない、夫婦2人なら声が大きく言いくるめたものが勝ちだとか理不尽が横行します。この理不尽の心を成長させるために物質世界の人生があります。人が見ていなくても正しい行いをする心情を生育するために人生があります。霊の世界に戻れば霊の世界では、皆の心が把握できますので隠し事はできません。死後地球上で起こった事象が走馬灯のごとく見返すことができ、夫婦2人での会話自体全くリアルに再現が実感できます。その時点で自分の意見と相手の心情も手に取れるように理解できます。自分がこの女、馬鹿だから適当に言いくるめてやろういう信条やその時の相手が本当にあなたのことを心から考えこの性格を変えないといけないと思いながら喧嘩をしていることなどリアルに見せられ反省を促されます。物質世界の人生はうまく立ち回ったものが得をして要領の悪いものは馬鹿を見ると感じがちですが霊の世界は不公平はありません。肉体を持ち人の気持ちが見えなくなった時点であなたという霊が自分さえよければという利己主義にどれだけ抵抗できるのかが試される世界です。
エベン医師が臨死体験をした人たちが多いのでわかってくれると本を書き自分の仕事や名声が傷ついてもと踏み切ったのは、多分に霊からの人類に対するメッセージの意味が強く、私のように霊について肯定している人達が世界中に多くなったこの時代での新しいアプローチとして霊としては、もうそろそろ死後の世界があると認め死が怖い事でもなくほんの70年くらい身体という殻をかぶって自分の個性として正しいことが行える自分の魂の修練時期なのだと考えられる時代になってほしいとの計画の一部だということがわかります。