工藤夕貴 父・井沢八郎との過去「酒乱・家政婦からの壮絶イジメ・最期の言葉」|爆報!THEフライデー

田舎で自給自足暮らし

工藤夕貴(くどうゆうき)さんは静岡県富士宮市で自給自足の田舎暮らしを送っています。10年前、2階建て6LDKの一軒家を建て、元刑事の夫と愛犬2匹と暮らしています。

 

畑だけでも東京ドームほどの広さ。さつまいもやナスなど20種類以上の野菜を無肥料・無農薬で育て自給自足生活を送っています。さらに羊3匹も同居。そして、自宅の隣には畑で採れたものを使ったカフェ「Cafe naturel」を経営しています。

 

趣味はキャンピングカーで母親と旅をするなど、今では家庭円満にみえますが幼少期には壮絶な過去がありました。

 

父・井沢八郎との過去

工藤夕貴さんの父親は、昭和を代表する演歌歌手・井沢八郎(いざわはちろう)です。1964年に発売された「あゝ上野駅」が爆発的ヒット。戦後復興期の日本の世相を反映させたこの曲は、当時の若者の心をとらえ昭和の名曲と愛されました。

 

この曲で井沢八郎さんは紅白歌合戦に出場。一躍トップスターとなりました。さらに1980年代はワイドショーなどで度々世間を騒がす人気者でした。

 

そんな井沢八郎に育てられた工藤夕貴さんは、涙なしでは語れない父と分かり合えない苦悩の連続でした。

 

工藤夕貴さんは1971年に井沢八郎の長女として東京都で生まれました。母は高級料亭グループうかいの美人令嬢で、2歳下の弟がいる4人家族でした。4歳の時に父が八王子に建てた大豪邸に引っ越しました。

 

家族がまとまっていないというか、不在の家っていうような感じで。

(工藤夕貴さん)

 

井沢八郎は多忙をきわめ家にはほとんど不在。家族はバラバラでした。その上、たまに家にいたとしても工藤夕貴さんにとって父は恐怖の存在だったと言います。

 

酒乱被害

酒乱だったと思います。別人になっちゃうんですよね。嵐が過ぎるのをまま待つみたいな。

(工藤夕貴さん)

 

酒を飲むと豹変。夜中だろうか工藤夕貴さんたちに激しく絡んできたと言います。

 

家政婦からのイジメ

工藤夕貴さんが小学校3年生になると、父と母は不仲となり、母が一方的に家から追い出されました。その結果、やってきたのは父が雇った家政婦。しかし、家政婦から容赦ないイジメが。

 

母が私たちを捨てて出て行ったわけじゃないってことが分かってから、私が母親の味方になっちゃったんですよ。それから酷いことになっちゃったんですけど。

(工藤夕貴さん)

 

母の味方をしたことで家政婦からさらに陰湿なイジメを受けることになりました。

 

「あんた肉嫌いでしょ」って言われて、私だけ目玉焼きでみんながハンバーグを食べてるなみたいな。体に必要な栄養が何にもない状態で。クラスで1位2位を争うぐらい痩せてましたしね。

(工藤夕貴さん)

 

その結果、学校では「ガイコツ女」などと呼ばれイジメられたと言います。学校にも家にも居場所がなかった工藤夕貴さん。本当は父に頼りたかったものの井沢八郎は多忙をきわめ、思春期の工藤夕貴さんにとっては全てが地獄でした。

 

こんな家なんてなくて良いから、父親がいて母親がいて普通に両親がいるお家に育ちたかったなあとは思いましたね。

(工藤夕貴さん)

 

そして、一刻も早く家を出たいと考えるようになりました。

 

芸能界デビュー

そんな中、チャンスが訪れました。12歳の時に渋谷でスカウトされたのです。成功すれば家を出られると思った工藤夕貴さんは、芸能界デビュー。徐々に人気を獲得していきました。

 

どんなことしてでも売れたい、名前を出したい、有名になりたいって思いました。

(工藤夕貴さん)

 

しかし、父はどんなことでもワイドショーなどで騒がれてしまう存在。そのたびに工藤夕貴さんは、コメントを求められ続ける現実に苦しみました。

 

ハリウッドデビュー

その裏で徐々に芸能界で頭角をあらわし、自分と必要とされる喜びを感じていた工藤夕貴さん。25歳の時にハリウッドに挑戦。そして「ラッシュアワー3」「SAYURI」「ヒマラヤ杉に降る雪」などに出演。日本を代表するハリウッド女優として地位を築いていきました。

 

ところが、渡米から10年、父・井沢八郎の食道がんが判明。

 

このままだと恩返しとか何にもできないままに死んじゃったら自分は後悔が残らないんだろうかってすごく思ったんです。

(工藤夕貴さん)

 

工藤夕貴さんは帰国することを決意。仕事の合間をぬって父の看病につとめました。そして帰国から2年、井沢八郎が息を引き取る直前、想像もしなかった最期の言葉を聞き号泣したと言います。

 

井沢八郎の最期の言葉

それは2007年1月17日、くしくも工藤夕貴さんの誕生日でした。危篤状態の父は朦朧としていましたが、工藤夕貴さんは呼びかけました。すると…

「お誕生日おめでとう」

この言葉を聞いた瞬間、工藤夕貴さんは今まで感じたことのない不思議な感情が。

 

それまでもう十何年、父親から「お誕生日おめでとう」なんて言われていなかったので、そのために生きててくれてたんだ、私の誕生日まで頑張ってくれてたんだってたまらない気持ちになりました。

(工藤夕貴さん)

 

2007年1月17日、井沢八郎は亡くなりました。

 

井沢八郎が娘に書いた手紙

後日、工藤夕貴さんは父の遺品から意外なものを見つけました。それは父からの一通の手紙。書かれた日は死の14年前。舞台「魔女の宅急便」で主演に選ばれた抜擢された時に書かれたものでしたが、手渡されることのなかった手紙です。

お芝居見てたけど良かったよ。夕貴に会いたくてホテルのロビーでずっと待っていましたが、どうやら戻って来ないみたいなのでこのまま帰ります。

 

当時は必死に父から離れようと頑張っていた工藤夕貴さん。しかし、父が自分を気にして応援してくれていた事実を初めて知りました。

 

できなかった親について考えるようになってくんだなと思うんです、年取ってくと。不器用だけど父なりに愛情をかけてくれて、ちゃんと父親の中にあったものが自分の中にしっかり残っているんだなっていうのがすごく感じることができるんですね。だから父が父で良かったって思いますよ。本当に両親には感謝しています。

(工藤夕貴さん)

 

工藤夕貴さんは今、井沢八郎の娘として誇りを持って生きています。

 

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