その後のオルカ|ザ・ノンフィクション

フジテレビの「ザ・ノンフィクション」でその後のオルカが放送されました。番組が初めてオルカに出会ったのは2005年の冬。オルカは20歳の時に札幌でホームレスを始め、そのあと全国を流れ歩き4年前に代々木公園に住みつきました。オルカは1個50円のインスタントラーメンを毎食たべています。オルカの仕事場は渋谷です。シャッターのおりた店の軒先で顔を覆面で隠しポーズをきめ投げ銭を待ちます。ここ4年間これ一つで食べてきました。あがりは一日1000円程度。このお金でタバコと酒を買います。一人ぼっちの晩酌がオルカの生きがいです。サバの味噌煮の缶詰を肴に朝まで飲みます。オルカには故郷で帰りを待つ家族がいます。

 

オルカの故郷は北海道の佐呂間町です。母親が番組に出演しました。3人兄弟の長男として生まれたオルカは生まれつき眼瞼下垂という目の病気を持ち、ひどい弱視でした。18歳で受けた自衛隊の試験は弱視で落とされ、札幌の工場に就職したものの弱視でクビに。オルカは20歳でホームレスになりました。母親は「這いつくばってでも帰って来て欲しい」と言っていました。オルカが故郷に帰る日は来るのでしょうか?

 

4月13日の夜、オルカは代々木公園をあとに北へ向かいました。新潟発小樽行きのフェリーに乗り、32時間かけて札幌へ。4年ぶりの札幌は大きく変わっていました。暖かい地下街では座り込むことも寝そべることも禁止されていました。夏になり、また旅に出ることにしたオルカは旭川へ。旭川は客の反応が良く1000円札が次々と入りました。一晩で22170円も稼ぎました。この仕事を初めて以来の大金でした。そして北見へ。

 

しかし北見での仕事中、オルカの指が女性客の額に触れ、女性は暴行されたと警察に通報しパトカーが出動しました。警察で事情を聞かれることになったオルカ。謝罪文を書き釈放されました。そしてオルカは故郷・佐呂間に向かいました。バス停まで母が迎えに来てくれていました。

 

1ヶ月前に母は父と離婚し一人暮らしをしていました。10年ぶりに再会した母と息子。夜がふけるまで語り合いました。母は初めて息子に小遣いをもらいました。母の思いをよそにオルカは3日後に旅立つことに。今度はいつ帰ってくるのか、2人ともその話には最後まで触れませんでした。普通の暮らしに戻って欲しいという母の願い。しかしオルカは旅をやめようとはしません。次の目的地、釧路を目指しました。釧路では全くといっていいほど稼げませんでした。一ヶ月近く食うや食わずで過ごし足止めをくらうことに。手持ちの金はわずかに。そのうえ足の水虫が悪化し膿んでいました。1ヶ月全く風呂に入っていません。「そろそろ安住の地がほしい」というオルカ。傷のせいか年のせいかオルカの心は弱っていました。番組では旅費をたてかえオルカを札幌へ連れ帰りました。

 

オルカは施設に入ることにしました。ホームレスを支援するグループが古いアパートを借り上げホームレスの駆け込み寺となっていた施設へ。すぐに入所が決まりました。その日の稼ぎの半分を食費として施設に入れるのが入居の条件でした。オルカは雪の日も休まず働きましたが、寒さのためか客足は遠のいていました。稼ぎの全てを酒代で使い切り入金ゼロの日が続きました。そしてオルカは施設を飛び出し、再び路上暮らしが始まりました。その後オルカとの連絡は途絶え佐呂間に帰ることもなく姿を消しました。

 

そして10年が経ちました。オルカは今どうしているのでしょうか?オルカは3年前から札幌の1Rに暮らしています。ケガで体を壊し生活保護を受け始めたのです。食うのがやっとですが酒はやめられないと言います。弱視は以前よりひどくなっています。オルカの弱視を心配していた母は6年前に胃がんで亡くなりました。家族から連絡があったにも関わらずオルカはその死を看取ることはなく葬式にも出席しませんでした。母の死を見たくなかったからだと言います。オルカは「親不孝をした」という負い目を抱えて生きています。

 

オルカは今も札幌の街角に立っています。「街角に立ち小銭を稼ぐ。それが自分の選んだ道だから、人が何と言おうと続けると決めている」そんなオルカに母のあの言葉を素直に聞ける日は来るのでしょうか。

「お兄ちゃん元気ですか?相変わらずやってるの?でも、もうそろそろ切り上げて帰ってきて欲しいんだよね」

2016年1月18日、10年ごしのオルカの取材は終わりました。


  1. あ~何か判るような気がする。
    不器用な生き方しか出来ない男だなぁ~!

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