テレサ・テンの疑惑の真相 借金地獄?御曹司と婚約破棄?謎の白人青年の正体は?|爆報!THEフライデー

1970年代、欧陽菲菲やアグネス・チャンなどアジア圏出身の歌手が流行していた日本。そんな中、2人を超える人気を獲得したのがテレサ・テンさんです。

 

1953年、台湾で生まれたテレサ・テンさんは、軍人の父と専業主婦の母のもと兄3人、弟1人の男兄弟に囲まれて育ちました。幼い頃から歌の才能を発揮し、14歳の時に台湾で歌手デビュー。19歳の頃にはアジア中にその名が知られ、香港の10大スターの一人に選ばれていました。

 

そして1974年、21歳の時に日本デビュー。「空港」が80万枚の大ヒット。「つぐない」で日本有線大賞を受賞。さらに、「愛人」で紅白初出場も果たしました。そして、「時の流れに身をまかせ」は売上200万枚を超え、今も歌い継がれる名曲に。

 

しかし1995年5月8日、テレサ・テンさんは亡くなりました。旅行先のタイで突然亡くなりました。台湾ではその偉大さから国葬級の葬儀が行われ、遺体に保存処理を施され土葬されました。台湾でこの扱いを受けたのは蔣介石とその息子の3人だけ。葬儀には世界各国から3万人のファンが訪れ、突然の別れを惜しみました。

 

一方、あまりに突然すぎる死によってスキャンダラスな噂も数多く囁かれました。しかし、それらの真相は闇のまま。誰も語ることなく月日は流れました。

 

記念館がゴミ屋敷に!?

そんな中、テレサ・テン記念館がゴミ屋敷になっているという疑惑が。一体、何が起きているのでしょうか?

 

テレサ・テン記念館があるのは台湾の高雄。現在はボロボロの倉庫に。記念館は閉鎖していました。

 

肉親が緊急激白!

テレサ・テンの1番上の兄、鄧長安さん(75歳)が取材に応じていました。

 

兄によると、記念館は3年前に閉鎖。ゴミ屋敷疑惑の写真は閉鎖のさいに展示品をまとめていた時のものだったのです。現在、展示物は香港の倉庫で丁寧に管理されていると言います。

 

今、新しい場所を確保できそうなので、そこに記念館をリニューアルする予定です。

(鄧長安さん)

 

5人兄弟だったテレサ・テンさんですが、現在も存命なのは長男と三男のみです。三男の鄧長富さん(68歳)が死の真相を語っていました。

 

疑惑①借金地獄

疑惑の発端はテレサ・テンさんの死から2年後に報じられた記事。記事によればテレサ・テンさんの死後、莫大な借金が判明。その返済のために、香港の自宅が競売にかけられたと言います。借金の推定額は20億円。その後、実際に自宅は売却されたと言います。

 

そんな話初耳です!借金があったとしたら誰が返すんですか?

(鄧長富さん)

 

借金地獄という噂はデタラメだったのです。

 

香港の家は私の母が生前の間に売却したんです。母は「テレサの物を早く処分してほしい」という希望があったんです。

(鄧長富さん)

 

突然のテレサ・テンさんの死を悲しんだ母は娘を思い出したくないという気持ちから思い出が詰まった家を売却したのだそうです。残された他の家も家族では管理しきれないという理由から売却し、母の死後は兄弟で遺産を均等に分配したと言います。

 

疑惑②御曹司と婚約破棄

記事によれば、テレサ・テンさんは香港の御曹司と婚約までしたものの突然それを破棄したと言います。

 

知っています。家族に紹介してくれました。

(鄧長富さん)

 

なぜ、テレサ・テンさんは恋人との婚約を破棄したのでしょうか?

御曹司との出会い

テレサ・テンさんと御曹司の出会いは日本デビューから5年後のことでした。

 

当時、日本は中国と国交の正常化を行い、中国を国として承認。すると、それまで国交のあった台湾と日本は断絶状態に。テレサ・テンさんの故郷・台湾のパスポートでは日本への入国が困難になりました。

 

そんな状況にテレサ・テンさんは手続きが簡単なインドネシアのパスポートで日本に渡るように。ところが、それが明るみにでて強制国外退去処分に。日本で活動することはできなくなってしまいました。

 

そんな時、香港で友人の紹介で出会ったのが御曹司でした。彼の実家は東南アジアでホテル業や不動産業を営む東南アジア屈指の大財閥。資産は5兆円とも言われました。

 

互いに惹かれ合った二人はすぐに交際を開始。テレサ・テンさんは家族にも紹介し、真剣に結婚を考えていました。そして、交際から1年足らずでプロポーズを受けました。

 

祖母の反対

ところが、彼の祖母から呼び出され、結婚するなら歌手はやめるよう言われました。

 

テレサ・テンさんは海外逃亡を提案。しかし、彼は家を捨てることはできず、テレサ・テンさんも歌を捨てることはできませんでした。

 

こうして生まれたのが名曲「つぐない」です。歌詞には破局してしまった彼への想いが歌われています。

 

この曲で31歳のテレサ・テンさんは日本にカムバック。以後、多くのヒット曲をとばしトップスターの座にかけのぼりました。

 

しかし、その後テレサ・テンさんは中国の民主化運動を支援するようになり、運動のシンボル的存在に。それに伴い次第に日本の表舞台から遠ざかり姿を消しました。

 

疑惑③暗殺説

表舞台から去り数年がたった1995年、テレサ・テンさんは42歳で突如この世を去りました。

 

すると、世間は大きな陰謀に巻き込まれ暗殺されたという噂が流れ始めました。しかも、その実行犯は謎の白人青年。世間ではテレサ・テンさんにつきまとうヒモ男とも呼ばれ、その正体は謎に包まれたままです。

 

暗殺は絶対にありえません。医者から診断証明書も発行されていますから。彼女がタイのチェンマイで亡くなった時は救急車の中で亡くなったのです。

(鄧長富さん)

 

当時、テレサ・テンさんは風邪の療養のためタイのホテルにいました。実は5か月前から咳をしていたテレサ・テンさん。いつになっても風邪は治らぬまま。そして激しい咳に襲われ、救急車を呼びました。

 

ところが、渋滞に巻き込まれ30分後に何とか病院に到着。すぐさま処置室に運び込まれましたが、すでに息を引き取った後でした。救急車の中で無念の死を遂げていたのです。

 

タイでの受診記録を見て初めて彼女が喘息の発作で亡くなったことを知ったのです。

(鄧長富さん)

 

謎の白人青年ピエールはテレサ・テンさんの最後の恋人だと言います。最後の恋人として病床のテレサ・テンさんを献身的に支えていたそうです。

 

さらに、ピエールはテレサ・テンさんの日本復帰を後押ししていました。彼の支えで再び日本で歌手活動を行おうとしていたテレサ・テンさん。曲もできあがっており「泣かないで」という歌で日本復帰をする予定だったそうです。

 

しかし、その矢先に発作を起こし志半ばで亡くなってしまったのです。不運にもその時ピエールは体調を崩していたテレサ・テンさんのために買い物に出かけていました。

 

無念の死を遂げたテレサ・テンさんですが、その晩年は深い愛に包まれた幸せな日々でした。

 

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