奇跡の医療器具を作った夫婦 国産初のバルーンカテーテル|アンビリバボー

1977年、筒井宣政(つついのぶまさ)さんは愛知県でストローやパイプといったプラスチック樹脂の加工製品を作る小さな町工場を営んでいました。

 

3人の娘がいましたが、次女の佳美さんには生まれつき心臓疾患がありました。精密検査に耐えられる体になるまで成長を待ち、9歳で判明した病名は三尖弁閉鎖症(さんせんべんへいさしょう)でした。

 

娘の命を救いたい 素人夫婦が医療器具の開発に挑む

本来、心臓は全身から戻ってきた酸素の少ない血液を肺へと送り出し、そこで酸素を取り入れ再び全身にいきわたらせています。しかし、佳美さんの心臓は、先天的に三尖弁という弁が閉じているうえ、左右の壁に穴が開いていました。血液が正常に流れない状態が長く続けば、やがて他の臓器にも異常をきたし、様々な合併症を引き起こすという難病でした。

 

手術の成功率は1%以下、例え手術ができたとしても人工血管や人工弁を入れなければいけない。そういった人工物は1~2年持つかどうか。ただし、このまま切らずに温存すれば後10年は生きられる。

 

それは余命10年の宣告に等しいものでした。

 

色んな先生とお会いして、これは全国どこに行っても世界中どこに行っても無理だなって。

(筒井陽子さん)

 

手術はやっぱり痛い思いして短命に終わらせるわけにはいきませんので、大事に温存して10年なんとか一緒に過ごしたいということで、手術は断念いたしました。

(筒井宣政さん)

 

2人は、佳美さんが心臓病だと分かった時から治療費として2000万円以上の資金を貯めていました。2人は佳美さんを診てもらっていた東京の大学病院の医師に研究費として寄付できないか相談しました。すると、医師は「人工心臓の研究をしてみませんか?」と提案してきました。

 

人工心臓とは、弱った心臓の代わりに血液を体内に循環させるポンプの機能をになう医療機器です。当時、アメリカでは実用化されたばかりで、日本でもようやく研究が始まった段階でした。当時の人工心臓はもって1~2年。一生つけ続けられるものではありませんでした。

 

そして、医療とはかけ離れた世界に生きてきた二人が壮大な賭けに出ました。

 

医療の素人が人工心臓の開発へ

1978年、二人は人工心臓の開発に着手。工場の一角に、自作の研究室をもうけ人工心臓の研究を始めました。

 

とはいえ、全くの素人です。名古屋から東京の大学病院へ通っては心臓の医療機器の知識を一から教わり、最適な素材を探すため専門家の研究会にも出席しました。

 

研究を始めてから3年後の1981年、筒井宣政さんは試作段階までこぎつけました。しかし、そこには想像以上のハードルがありました。

 

人工心臓を作るには、元となる金型に特殊な樹脂をコーティングし、樹脂が固まったら型から外し形にしていきます。しかし、金型を一つ作るにも200万円以上も費用がかかりました。しかも、サイズを変えて何個も作り試す必要がありました。

 

さらに、樹脂に不純物が混ざらないよう工場内にクリーンルームを作ったり、人工心臓にとりつけるアメリカ製の医療部品を輸入したりと想像を超える経費がかかりました。

 

やがて、貯めていた2000万円はおろか、自らの貯金もほとんど使い果たし、瞬く間に資金は底をつきました。そこで、銀行に融資のお願いにいきましたが、融資してくれる銀行は一つもありませんでした。

 

そんなある日、投資会社の関係者が訪ねてきて、会社を作った方が良いと言われました。そして、筒井宣政さんは東海メディカルプロダクツを設立。これで、開発資金を捻出できるようになりました。

 

しかし、その後も試作品は失敗続き。いつしか開発を始めて7年の月日が流れていました。佳美さんは高校へ進学しました。

 

その翌年の1986年、筒井宣政さんが作った人工心臓はようやく動物実験の段階にこぎつけました。しかし、またしてもお金の壁が立ちはだかりました。

 

人工心臓のような新しい医療機器を開発する場合、医療機関の協力のもと少なくとも100頭の動物実験と60人の臨床試験を行わなければ厚生省の認可を得ることができません。実験は数年間かけて行われ、その間施設の維持費がかかります。また、経過を常に観察する必要があるため獣医や医師を常勤で雇わねばならず、数十億円がかかります。

 

そんな中、佳美さんは合併症を発症。例え人工心臓の開発に成功しても完治させることは不可能になってしまいました。筒井宣政さんは人工心臓の開発を断念しました。

 

医療の素人夫婦!新たな挑戦へ

筒井宣政さんは、これまでの研究をいかしたいと思いながらも、そのすべを見つけられずにいました。

 

そんなある日、人工心臓の研究に打ち込んでいた時に知り合った医療メーカーの社員から「最近バルーンカテーテルの事故が多い」という話を聞きました。

 

バルーンカテーテルとは?カテーテルと呼ばれる管の先端にごく細長い風船がついた医療器具です。管を血管に通し、ヘリウムガスによって風船を拡張・収縮させることで滞っていた血液の流れを促進させます。心筋梗塞や狭心症などで弱った心臓の働きを補助するためのものです。

 

当時、使われていたのは全て輸入品。しかし、バルーンが動脈をふさいでしまったり、やぶれてガスが漏れたりといった事例が数多く報告されていました。

 

バルーンカテーテルはすでに国内で使用されています。改良なら開発費用は大幅におさえられる上に動物実験も数多くこなす必要はありません。しかも、バルーンの部分は元となる金型に特殊な素材をコーティング、それを乾かし固めることで形を作ります。作り方は人工心臓とほぼ同じで、これまで培った技術や知識をいかせる可能性がありました。

 

1987年、筒井宣政さんは日本初の国産バルーンカテーテルの開発を目指し再び研究を始めました。その頃、高校を卒業した佳美さんが東海メディカルプロダクツに入社しました。

 

開発を始めてから1年半、ようやく0.4気圧の圧力に耐えうる試作品が完成しました。次なる課題は厚生省の認可です。しかし、臨床試験の協力をお願いした教授に実績がないという理由で断られてしまいました。

 

そこで筒井宣政さんは教授にある提案をすることにしました。

 

日本人の体に合わないバルーンカテーテルを使用することによって、本来触れてはいけない動脈に接触。血行障害を引き起こし合併症や事故につながっているのではないかと筒井宣政さんは考えました。実は、日本の医師たちもその可能性について気づいてはいましたが、これまで誰もデータをとったことがなく確信が持てずにいたのです。

 

大学病院は医師を養成する教育機関でもあります。当時の心臓外科は死亡者も多く、論文のテーマに苦労していました。そこで筒井宣政さんは一緒にこれについて研究をしないかと持ち掛けたのです。

 

すると、同席していた医師の吉岡行雄さんが一緒に研究してくれることになりました。2人は51人もの患者の身長や体重、血管の長さのデータを集めました。すると、身長や体重と血管の長さには相関関係があることが裏付けられました。

 

その後、吉岡さんと一緒に研究を重ねた結果、日本人の子供から大人まで、どんな人にも対応できるよう3種類のバルーンカテーテルを開発しました。

 

さらに、吉岡さんの協力のもと動物実験や臨床試験も行いました。結果は動物・人ともに異常なし。こうして1988年12月、国産のバルーンカテーテルでは初めて厚生省の認可を取得しました。

 

12万人の命を救う奇跡の医療機器

国産初のバルーンカテーテルは、全国の医療施設へ広がりました。かつてのような事故も合併症も起きることはありませんでした。医療の素人が不可能だと言われた挑戦に打ち克ったのです。

 

日本初のバルーンカテーテルの完成から3年、佳美さんは静かに天国へ旅立ちました。

 

開発から30年、現在は他の会社でもバルーンカテーテルは製造されています。医療におけるその功績ははかり知れません。事実、筒井宣政さんの会社の製品だけで約12万人もの命を救ってきたと言います。それは娘を助けたいという両親の愛がもたらした奇跡でした。

 

私一人ではできえないこと。ドクターはじめ、医療関係者の本当に多くの人たちの協力のおかげで、ご本人に喜んでもらえるものを作らせて頂けることに大変満足感を覚えております。うちの佳美も今はいませんが同じだと思います。

(筒井宣政さん)

 

現在では筒井宣政さんの会社は、人工透析や脳血管の治療にも使用できるバルーンカテーテルを開発・製品化しています。

 

今も続く奇跡の連鎖

現在、筒井宣政さんが開発したバルーンカテーテルは、国内にとどまらず海外29カ国に輸入されています。中には特別な治療が必要な患者のためだけに採算度外視で作られたものもあります。

 

その一例が小児用に特化したバルーンカテーテル。これにより、症例が少なく両親も諦めざるおえなかったモンゴルの赤ちゃんの命が救われました。

 

こういう難しいものに挑戦してやってることを佳美にも自慢ができるし、本当は見てもらいたいというのが本音のところですけれども。

(筒井宣政さん)

 

「奇跡体験!アンビリバボー」

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