吹田明日香 母を亡くした日航機墜落事故の裏側|爆報!THEフライデー

TBSテレビの「爆報!THEフライデー(ばくほうザフライデー)」大事故に巻き込まれた芸能人で吹田明日香さんが語る日航機墜落事故の裏側について放送されました。吹田明日香(すいたあすか)さんは大事故に巻き込まれたことを機に芸能界から姿を消しました。その事故とは日航機墜落事故。昭和60年8月12日、東京・羽田を飛び立った大阪・伊丹行の日本航空123便が群馬県御巣鷹山へと墜落しました。犠牲者は520名。何と、その犠牲者の中に吹田明日香さんの母親がいました。あの事故から31年、長く沈黙を続けてきた吹田明日香さんがテレビで初めて事故について激白しました。

 

数多くのスターを生んだ人気オーディション番組「スター誕生!」この番組で昭和57年、第41代グランドチャンピオンとなったのが吹田明日香さん(当時18歳)です。吹田明日香さんはスター誕生をきっかけにシングル「バ・ケー・ショ・ン」をリリースしアイドルデビュー。はつらつとした笑顔で人気者に。さらに吹田明日香さんは同志社大学に在学中で、インテリ派アイドルとして異才を放ちました。しかし人気絶頂の21歳の時、吹田明日香さんに悲劇が襲い掛かりました。日航機墜落事故です。昭和最悪の事故を起こした旅客機に吹田明日香さんの母が搭乗していたのです。46歳という若さで命を落としました。このあまりにも衝撃的な事故をさかいに、吹田明日香さんは芸能界活動を停止。事故について一切語ることのないままテレビから姿を消しました。

 

吹田明日香さんは昭和39年、京都で生まれました。母・暁子(あきこ)さんが25歳の時に生んだひとりっ子でした。いつも一緒だった2人は、周囲から「一卵性双生児」と呼ばれるほど仲良しでした。暁子さんは若い頃、宝塚歌劇団を目指していましたが、その夢は叶わず結婚を機にあきらめました。そのためアイドルとして飛躍する娘を誰よりも応援していました。そんな2人は吹田明日香さんがデビューして上京したことで離れ離れに。しかし、2人は毎日欠かさず電話でやり取り。1ヶ月の電話代は6万円に達するほどでした。電話口でもいつも優しかった母ですが、吹田明日香さんが弱音を吐いた時だけは厳しく叱ったと言います。そんな深い絆で結ばれた親子を大参事が引き裂きました。

 

昭和60年8月11日、吹田明日香さんは仕事が休みで大阪へ帰省。反対に母は親類を訪ね上京していました。そこで吹田明日香さんはいつものように母に電話をかけました。しかし母は「今泊まってるホテル、火事で燃えちゃったらどうしよう」と変なことを言い出したそうです。そして8月12日、吹田明日香さんは父と一緒に従兄弟の誕生日を祝っていました。そんな時、東京・羽田発/大阪・伊丹行の日本航空123便が消息を絶ったことが判明。しかし、この時点で事故の全容、搭乗者安否の安否は全くの不明でした。吹田明日香さんが最初にその知らせを聞いたのは食事先に知り合いがかけてきた電話でした。吹田明日香さんは慌てて実家へと帰宅。テレビを点け目に飛び込んできたのは搭乗者の中にあった母の氏名でした。

 

事故発生から16時間後、吹田明日香さんは父とともに用意されたバスで御巣鷹山がある群馬県へ。そして8月13日の午後、バスは群馬県藤岡市に到着。現地では約30の小中学校体育館が家族のために開放されました。吹田明日香さんが案内されたのは現場から12kmの所にある上野村小学校でした。安否確認を待つため家族は体育館で待機。しかし、そこは真夏の蒸し風呂状態でした。一方、事故現場では機体の破損があまりにも激しく犠牲者の捜索は難航していました。そして8月14日、続々と遺体発見の知らせが入ってくるように。現場から遺体が見つかると体育館へ収容され、警察や医師、医学系大学教授、赤十字関係者などが集められ身元確認にあたっていました。しかし事故の衝撃で遺体の損傷が激しく、すぐには身元確認が難しかったと言います。そのため犠牲者の家族が顔や体の特徴を目で見て確認しなければならないという残酷な現実が繰り広げられました。確認の結果、自分の肉親でないことも多く、ゆえに家族たちは関係ない遺体を何度となく見ることになったと言います。8月15日、吹田明日香さんの母と思われる遺体が発見されました。父は娘を気遣い吹田明日香さんを置いて身元確認に向かいました。そして遺体が母であることが判明。暁子さんは全身を包帯で巻かれ、父は洋服と持ち物から暁子さんだということを確認したと言います。

 

事故後、吹田明日香さんはあまりの衝撃から立ち直れずアイドルの仕事を全てキャンセルしました。そして喪服のように真っ黒な洋服ばかりに身を包み、母の遺影を眺めては涙する毎日。そのショックの大きさから悲しみをぶつける先を持てず、ただただ母の影を追い夢遊病者のように母のお墓に通っていたと言います。吹田明日香さんの精神はもはや崩壊寸でした。しかしそんなある日、不思議な出来事が起こりました。電話口から母の声が聞こえてきたと言います。その声は「いつまでうじうじしてるの!根性を出しなさい」と言ったそうです。それは吹田明日香さんだけに聞こえた幻の声かもしれません。しかし、天国からの母の声に吹田明日香さんは勇気づけられたと言います。そして一時休学していた同志社大学に復学し卒業。そして選んだ仕事はリポーター。事故をきっかけに社会で起きている現実を自分の口でつたえたいという思いを強くし、リポーターとして多くの事件や事故を伝え続けました。それは大切な人を亡くした自分だから伝えられることがあると思った末の決断でした。壮絶な試練を味わいながらも、今や母の年齢を超え自分も家族を持つまでになった吹田明日香さん。彼女はこれからも母の魂と共に毎日を強く生きていきます。




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