2011年、焼き肉店から大人気メニューが消えました。それは5人の命を奪った事件が起きたからです。激安がうりの人気焼肉店で起きた集団食中毒事件は、ユッケによって引き起こされました。
富山県に住む久保秀智(くぼひでのり)さんは、事件のあった焼肉店を家族で訪れ自身と息子2人が食中毒の被害にあいました。
2011年、富山県小矢部市に住む久保秀智さんは忙しい毎日を送っていました。4月22日、前日14歳の誕生日を迎えた二男の大貴(ひろき)くんを祝うため近所の焼き肉店に行くことになりました。激安で人気があった「焼肉酒家えびす」です。
メニューの多くは1皿100円。一番高いメニューでも1皿380円。人気のある肉だけを大量に仕入れることで激安価格を実現していたと言います。一家が訪れた富山県砺波店も週末の夜ともなれば1時間待ちは当たり前の人気店でした。和牛ユッケは、1皿280円という価格もあって店の人気メニューでした。一家に限らず来店者の多くが注文していました。一家はユッケを3皿注文しました。
夜は特に異常はありませんでしたが、恐ろしい殺人菌は体内で増殖を始めていました。翌日、昼食を食べに出かけると大貴くんの体に異変が。倦怠感と腹痛と頭痛、さらに突然の嘔吐。腹痛や吐き気の症状を抑えるため市販の胃腸薬を服用しました。
翌日になっても大貴くんの体調は悪いまま。腹痛はより悪くなっていました。次の日、母親は大貴くんを近くの病院へ連れて行きました。盲腸かもしれないと検査をしたものの、異常はなく風邪からくる症状だと言われました。この頃には、秀智さんと長男の体にも異変が。
ユッケを食べてから4日目、大貴くんが血便を出しました。すぐに町の総合病院へ。しかし、原因は不明でした。大貴くんも秀智さんも長男も激痛に襲われました。母親は大貴くんを連れ再び総合病院へ。そこでようやく検尿・検便が行われ食中毒であることが判明しました。腸管出血性大腸菌が検出されたのです。
O111やO157が出すベロ毒素は、青酸カリの5000倍といわれる毒性を持ちます。ベロ毒素は大腸をただれさせ血管壁を破壊します。そのため血便や激しい腹痛の症状が出ます。そして、この食中毒で気を付けなければならないのが、溶血性尿毒症症候群を発症することです。
大貴くんから腸管出血性大腸菌が検出されたことにより、家族全員が同じ病院で検査を受けることになりました。すると、全員の体内からO111が検出されました。症状の重かった息子2人はすぐに入院。病院は保健所に届け出ました。
その頃、病院では久保家と同じ症状を訴える患者が相次いでおり、パニック状態になっていました。症状を訴える人たちが共通して注文していたのはユッケでした。しかし、久保さんの妻はユッケを食べていませんでした。それにも関わらず腸管出血性大腸菌が検出されていました。
それは腸管出血性大腸菌の恐ろしい特徴でした。感染力が非常に強く、10~100個の菌を摂取することで感染が成立するのです。汚染された原因食材を直接食べる事なく間接的に摂取することによっても感染する可能性があるのです。久保さんの妻は、ユッケを食べた箸でつつかれたサラダを食べたことで感染したと考えられました。
感染被害は富山だけでなく焼き肉店がチェーン展開する4県すべてで食中毒が確認され、大規模な集団食中毒事件と報じられました。
入院した息子たちの症状は良くなりませんでした。特に二男の大貴くんは症状が悪化する一方でした。ユッケを食べてから6日目、大貴くんは溶血性尿毒症症候群を発症してしまいました。
大貴くんは、痛みが出始めた段階から下痢止めを服用していました。下痢止めを飲むと腸の運動が抑えられ、ベロ毒素が体外に排出されにくくなってしまいます。すると、毒素が体内に溜まり症状が重症化。溶血性尿毒症症候群を引き起こす可能性が高くなってしまうのです。
大貴くんは集中治療室へ。腎臓の機能が低下した大貴くんには血液をろ過し老廃物を排出する治療法が施されました。しかし、大貴くんは意識を失い自発呼吸も停止。5日後、大貴くんは脳死状態に。ユッケを食べてから11日目の事でした。
O111、O157がどこで感染したのかは今も明らかになっていません。食中毒が判明してから9日で富山県と福井県で4人の死亡が確認されました。
入院してから1か月後、長男は退院することになりました。一方、脳死判定を受けてからも大貴くんの延命処置は続けられていました。しかし、秋になっても大貴くんの意識は戻らず10月22日に亡くなりました。
生食肉の規制
2011年10月、この事件がきっかけとなり国は生食肉を規制する法律を定めました。新しい規制では、湯煎で表面から1センチ以上を60℃で2分以上加熱殺菌することなどが義務付けられました。さらに、刑事罰も設けられました。
以来、各地域の保健所の許可なしではユッケを提供できなくなりました。当時、同じように人気があった牛のレバ刺しは今も提供が認められていません。
焼肉店経営者は自己破産を申請。犠牲者への補償は絶望的に。被害者への補償は焼肉経営会社の保険金8600万円から治療費に応じた均等分配がなされただけでした。久保さんたち被害者は、焼肉店経営会社と肉卸業者に対して民事訴訟を起こし、現在も争っています。
後遺症の不安
さらに、今回の事件で命は助かっても、まだ心配な事があると言います。それは25歳の女性が小学1年生の時の食中毒が原因で命を落としたという事件が報じられたからです。その食中毒とは1996年に大阪・堺市で起こったO157の集団食中毒です。
女性は食中毒発生から19年経って命を落としました。当時、女子児童は症状が回復し退院しましたが、食中毒から8年後に後遺症として腎血管性高血圧にかかっていることが分かりました。
女性は血圧を下げる降圧剤を服用し、定期的な検診を受けていました。
しかし2015年、自宅で就寝中に嘔吐。意識を失っているところを家族に発見され病院に搬送されましたが、翌日脳出血のため亡くなったのです。
食中毒患者すべてが後遺症を発症するわけではありません。慢性的な腎臓病になるのは溶血性尿毒症症候群患者の約20~40%。その中でも透析を受けたり経過観察中にたんぱく尿や高血圧などを合併した重症患者の場合には、長期間の経過観察が必要であるとされています。
「ザ!世界仰天ニュース」
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