モスクワ劇場占拠事件|ザ!世界仰天ニュース

2002年10月23日、ロシアの首都モスクワに住むタマラ・スタルコヴァは、夫と娘と共にミュージカルを楽しむ予定でした。劇場は午後7時に開演し、900人を超える観客が集まりました。

上演されたのは「ノルド・オスト」という第二次世界大戦中のソ連を描いた作品。かつてはソ連の愛国心のシンボルともいわれた物語です。

午後8時45分、第2幕が開演。ところが突然、舞台上に迷彩服の男が乱入し発砲。役者たちをステージから下ろし始めました。誰もがミュージカルの演出だと思っていましたが、迷彩服の男たちが舞台上に乱入し様子がおかしいことに会場が気づきました。

そして、黒づくめの集団が観客席の周りを取り囲みました。謎の黒尽くめの集団は全員女性のようでした。こうして総勢42人からなる武装集団は、あっという間に劇場を占拠しました。武装集団の目的は「チェチェンからロシア軍を撤退させること」でした。

ロシア連邦を構成する共和国の一つチェチェンは、ソビエト連邦が崩壊した1991年、周辺の共和国が独立する中、民族も宗教もロシアとは一線をかくし400年以上も前から支配への抵抗を示していたため独立の声を上げました。

しかし、ロシアにとってチェチェンはカスピ海に集められた石油など、天然資源のパイプラインの経由地であるため、独立を認めるわけにはいきませんでした。

そんな中、1994年には当時のロシア大統領だったエリツィンが軍を投入。以後8年にも及ぶ紛争により、チェチェンでは20万人の一般市民が犠牲になりました。

武装集団は、用意した爆弾を劇場のいたるところに仕掛けていました。舞台中央と客席中央には大型爆弾、さらに黒尽くめの女性全員に爆弾が巻かれ、彼女たちは何かあれば自らの起爆装置ですぐにでも爆発するつもりでした。

彼女たちは「黒い未亡人」と呼ばれていました。チェチェンでは、一般人も戦闘の被害になる人が多く身内を亡くした復讐心で兵士になる女性も少なくありませんでした。武装集団には、祖国のため仲間を殺された復讐のため、死をもいとわない覚悟がありました。

そして、携帯電話を持っている観客に警察に連絡するよう促しました。それにより事件が発覚しました。

午後10時、ロシア当局は機動隊と特殊部隊を動員し、すぐに現場を包囲。そして、劇場から数百メートルの場所に司令本部を設置しました。指揮をとったのは、ロシアのテロ対策責任者ウラジミール・プロニチェフ将軍でした。

犯行グループのリーダーはモフサル・バラーエフと判明。彼は25歳ながらチェチェン武装勢力の幹部となった男で、ロシア当局がマークしていた最重要人物の一人でした。

午後11時、プーチン大統領が声明を発表。プーチン大統領の下した決断は「テロリストの交渉には応じない」というものでした。この声明を受けリーダーであるバラーエフは観客にこう告げました。

「政府は交渉する気がないらしい。強行突入になれば、まずお前らから殺す。」

人質たちは生き残るために家族や友人に連絡し、突入をやめさせるよう必死に訴えました。これを受け人質の家族や友人が直接現場に駆けつける騒ぎに。彼らが突入を恐れるのには理由がありました。

この事件の7年前、同じくチェチェンの武装勢力がロシアの病院を占拠。特殊部隊の突入によって人質100人以上が犠牲となった事件があったからです。

バラーエフは人質の中でロシア人以外の者12歳以下の子供を解放。劇場内では人質の動きは厳しく制限されていましたが、トイレに行くことだけは許されていました。

午前3時30分、近所に住むオリガ・ロマノアが劇場に侵入しテロリストたちを罵倒し殺されました。午後1時、極度の緊張からか劇場内では体調を崩す人も。救助のため赤十字の職員たちが劇場内へ。その後、数人の議員も中に入ることを許されました。

彼らの交渉の結果、病人・老人・子供たちが数人解放されました。こうして2日目の夕方までにテロリストたちは39人の人質を解放しました。しかし、ロシア政府からの返答はなく膠着状態のままでした。

そんな中、トイレに行くと見せかけ2人の女性が脱出。この出来事でトイレは使用禁止に。人質はオーケストラピットと呼ばれる舞台前方にある隙間で用を足さなければならなくなりました。

司令本部ではプーチン大統領の許可のもと「人質を解放すれば第3国への亡命を許可する」とテロリストに交渉。しかし、彼らはこの提案を拒否し、外国人ジャーナリストを招いて犯行声明の撮影をしました。戦うべき理由とその覚悟を全世界に発信。これもテロの大きな目的でした。しかし、ロシア政府は沈黙したままでした。

事件から3日目、司令本部では極秘作戦が話し合われていました。それは、劇場に催眠ガスを流し制圧するという作戦。しかし、ガスは開発されたばかりで実践では使われたことがないものでした。その上、ガスが効果を発揮する前に気づかれると劇場を爆破される恐れもありました。

そんな中、また劇場に侵入者が。それはゲナジ・ヴラフという男で、息子が人質に取られていると勘違いし、単独で救出に来たのです。そして2人目の犠牲者となりました。

人質たちも次第に冷静さを失い、タマラの後ろにいた男性がテロリストに向かっていきました。しかし、男性に向けた銃弾がタマラの腹部に命中。さらに、別の男性の目にも命中。すぐにタマラたちはテロリストが呼んだ赤十字の手によって病院へ搬送されました。しかし、目を撃たれた男性は亡くなりました。

武装集団の全ての命令はバラーエフが出していることをロシア政府はつかみました。バラーエフなしで爆弾が使われる可能性は極めて低いと思われました。そこで、プロニチェフはバラーエフに「交渉に応じる」と伝えました。もちろんロシア政府はテロリストの要求に応じるつもりなどなく、バラーエフを油断させ舞台を離れさせるための作戦でした。

そして午前5時10分、バラーエフが舞台を離れました。特殊部隊はすぐに劇場の換気口に進入し、催眠ガスの散布を開始。それはすぐに人質たちの体に異変をもたらしました。

この催眠ガスは強力なもので、吸引すると中枢神経に働き、昏睡状態に陥るものでした。テロリストたちも次々に意識を失い、特殊部隊が劇場内に進入。突入から20分でテロリストたちは1人残らず射殺されました。

人質はかろうじて歩けるものもいましたが、ほとんどが昏睡状態でした。救出に向かったレスキュー隊員たちは、極秘作戦だったガスについては聞かされておらず、解毒剤も持ち合わせていませんでした。そのため対応に遅れが生じ、129人もの人質が亡くなりました。主な原因は気道がふさがれたことによる窒息死でした。

テロリストの制圧には成功したものの、その裏で100人以上の犠牲者を出したのです。結局、ロシアが使用したガスの成分は明らかにされないままでした。2011年、遺族の訴えが認められロシア政府に賠償金の支払いが命じられました。

腹部を撃たれ病院に運ばれたタマラ・スタルコヴァさんは助かりましたが、劇場に残った夫と娘はガスによって命を落としました。今もモスクワに残る劇場の慰霊碑に、タマラさんは毎年祈りを捧げています。

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