チック・トゥレット症候群|ザ!世界仰天ニュース

1961年、報道関係の仕事をする父と専業主婦だった母との間に生まれた堀川充さん。小さい頃からスポーツ万能で、運動会ではリレーの選手に選ばれ、クラスの女の子にも人気がありました。さらに勉強もできる優等生でしたが、ある症状に悩まされていました。

 

それは何度も強く瞬きしたり、顔を強くしかめたり、鼻をならしたり、突如甲高い声を出したり。歩く時は気が付けばつま先をすって歩いていました。そして何か気になった物には手当たり次第触るようになっていました。母にはやめるように言われましたが、なぜかやめることができませんでした。

 

あまりに母親が怒るので、やめようと何度も試みました。しかし、我慢すればするほど一度やり出すと止まりませんでした。この謎の症状の正体は「チック症」と呼ばれる病気でした。

 

チック症は、一説には脳内の神経伝達物質が過剰に作用することで引き起こされると言われています。

 

その症状は人によって様々。首を振り身体を叩いてしまう人、椅子に座った状態で飛びはねてしまう人など、これらは運動性チックと言われ、勝手に身体が動いてしまうのです。

 

突然大声を出してしまう人、ビスケットという言葉を何回も繰り返してしまう人など、これらは音声チックと言われています。

 

運動性と音声の両方のチックが慢性的に出てしまう状態をトゥレット症候群と言います。これらの症状は一体いつ、どのようにあらわれるのでしょうか?

 

堀川充さんの場合は5歳の頃でした。朝方、目が覚めると、ふと見たタンスが気になったと言います。特に気になったのは鹿のキャラクター。急に頭の中で触りたいという強い感情に支配されたと言います。しかし、その時は眠気が勝りました。

 

少しして友達と遊んでいる時、またあの奇妙な感覚がおそってきました。今度は地面にものすごく触りたくなったのです。そして軽くタッチしてみると、スッキリした気分に。このときから気になったものには触らずにいられなくなりました。

 

やがて、触り方にも自分なりの決め事のようなものが。十字にタッチし始めたのです。そのうち、触る物はエスカレート。味噌汁に浮かぶ具材や、走っている車など。当然怒られるので、触らないように意識していると舌打ちという別の症状が出始めました。

 

 

母は病院に相談に行きました。すると、チックだと言われました。昭和46年頃、チックは病気と認識していない医師が多かったと言います。その後も母から何度も叱りつけられました。頑張れば数分間は何とか我慢できました。そのため、ただの癖だと周りの人間は思ってしまうのです。

 

高校に進学した堀川充さんは、バスケットボール部に入部。運動神経が良かったためレギュラーとして活躍しました。一方で、チック症状は頻繁に甲高い声が出るようになっていました。顔をしかめるのも激しくなり、チックの瞬間の表情が写真に写ることもありました。

 

何より耐え難いのが電車でした。狭い空間の中で症状が出ないことを祈るしかありませんでした。少しの間なら症状を抑えられましたが、ふとした瞬間に症状がでて、しかも一度出ると止まらなくなるからです。周りに自分はどううつっているのか、他人の視線が痛かったと言います。ストレスは溜まる一方でした。

 

そんな時、家族の「直せないなら病院行きなさいよ」という無神経な一言にキレてしまいました。それ以来、何か気に食わないことがあれば暴れてしまうように。こんな人生が続くなら死んでしまいたいと思ったそうです。

 

悩み苦しむ日々を送る中、さらなる症状を堀川充さんを襲いました。なるべく人前では出さないようにしていましたが、後頭部を何度も打ち付けてしまう症状や机に肘を打ち付けるという症状も出始めたのです。痛くても勝手に動いてしまうのです。他にも太ももを叩いてしまうという症状も。痣ができてしまったことも、小指の骨を折ってしまったこともあると言います。さらに、唇の周りを舐めてしまうというチックが出ると荒れてできたかさぶたを剥がしてしまい大変なことに。

 

そんな堀川充さんの唯一の心の支えはバスケットボールでした。というのもバスケットボールのプレー中は症状が出なかったからです。チック症は何かに集中すると症状が出なくなることがあるのです。

 

堀川充さんは社会人になり運送会社で働き始めました。一人になれる仕事を選んだのです。依然として症状は出ていたものの集中しているからか運転中は出なかったと言います。しかし、いったん信号で止まると後頭部を打ち付けたり鼻やおでこをハンドルに何度も打ち付けました。声も大きく出ました。

 

客前に行く時は、運転席で症状を出し切ってから行きました。短い時間なら客前で症状を出さずに済みました。治らないならうまく付き合っていくしかないと感じていました。仕事の合間をぬって、母校のバスケットボール部のコーチをしていました。

 

そんな時、練習試合に来ていた他校の女子生徒と運命的な出会いをしました。彼女の怪我の手当てをしたことがきっかけで、会えば話す間柄に。そして、彼女の高校卒業を機に付き合うことに。その時、堀川充さんは心の不安を打ち明けました。しかし、デートを重ねると心がリラックスするせいか症状も場所を選ばず出るように。周りからは変な目で見られましたが、彼女は明るく接してくれました。

 

堀川充さんは結婚を意識し始め、そのために給料の良い仕事を探しました。見つけた仕事は生命保険の営業。なぜなら飛び込み営業をしても短い時間なら我慢できるからです。頑張ったかいがあって成績はどんどん伸びていきました。そして、彼女との結婚のためにもチックを治したいと病院にも通いました。しかし、どこに行っても治療法は見つかりませんでした。

 

そんな時、彼女から限界だと告白されました。最愛の人を失うと仕事に身が入らなくなりました。ミスが目立ち成績も下がっていきました。

 

堀川充さんは、自分で事業を立ち上げることにしました。昔やっていた配送系の仕事です。医療系の会社と契約し、血液などの検体を運びました。しかし、突然の契約打ち切りを宣告されたのです。人前では症状を抑えていましたが、一人でエレベーターに乗ると大声を出していました。それにより病院からクレームが来たのです。会社は倒産し、母と弟と暮らすようになりました。

 

そして2000年、チックについてインターネットで検索すると「トゥレット症候群」の文字を見つけました。そこで初めて病気であることを知ったのです。すぐにトゥレット症候群の治療ができる病院も見つかりました。

 

現在、堀川充さんは薬を服用し、症状はかなり軽くなったと言います。病気を抱えながら自分の会社を作り懸命に働いている堀川さんは自身の人生をこう振り返ります。

 

トゥレット症候群がなかったら普通にサラリーマンをやって普通に結婚して普通に子供ができて、お袋は孫と遊んでという普通の家庭になったんだろうなと思う。普通と違う病気を持ってしまったせいで知らなかった世界を知れたというのもあるし、そういう意味では案外楽しい人生なんだけどね。だけど、きつい事はいっぱいあったな。(堀川充さん)

 

今も母と弟と3人で暮らしています。幼い時から人に理解されず苦しんだ約50年。薬の重要さと、この病気への理解が広まる事を願っています。

 

もし子供にチック症状が出始めたら

「温かい無視」を!
注意し過ぎると症状が悪化する可能性もあります。

発症は3~10歳の子供に多く、小児期の10~24%と言われています。しかし、95%は一過性のもので自然に消えていきます。

 

トゥレット症候群患者を救う手術

オーストラリアに暮らすリアム・コーク君(15歳)は、重度のトゥレット症候群を抱えています。首をふり自分の身体を痛めつけてしまうのです。これまで様々な薬を試してきましたが、症状が軽くなることはありませんでした。

 

僕の夢はただ普通の人になること。じろじろ見られたり真似されたりすることがないような。(リアム・コーク君)

 

リアム君は、脳深部刺激療法を受けることを決意しました。これは電極を脳の深部に埋め込み、脳の奥深くに電流を流し続けることで薬物治療でコントロール困難な症状の軽減をはかるというもの。脳を傷つけてしまうリスクもありますが、リアム君はこの手術にかけることにしました。

 

手術は無事成功し、首をふることも身体を叩くこともなくなりました。

 

「ザ!世界仰天ニュース」
身体が勝手に動くチック症

この記事のコメント