大田正一 人間爆弾「桜花」発案者の素顔|ETV特集

NHK・Eテレの「ETV特集」で名前を失くした父~人間爆弾 “桜花” 発案者の素顔~が放送されました。戦後ずっと長い間偽名で生き続けた男がいます。男の名は大田正一(おおたしょういち)終戦直後、自殺したはずでした。大田正一は太平洋戦争中、特攻兵器「桜花(おうか)」を発案しました。自殺したはずだった男は、戦後名を変え生きていました。

 

昭和20年3月21日、鹿児島県にある鹿屋基地で日本海軍の期待を背負った作戦が極秘裏に進められていました。新兵器の桜花を使ってアメリカ艦隊を一挙に撃滅しようという作戦でした。参加したのは第721海軍航空隊、別称・神雷部隊の隊員たちでした。桜花はロケット噴射で進む爆弾に羽がついた形状の兵器で、これに人が乗って敵艦まで誘導します。桜花自体には飛ぶためのエンジンはついていないため敵艦隊の近くまでは一式陸上攻撃機によって運ばれます。敵発見とともに搭乗員は桜花に乗り移り、準備が完了したところで桜花は切り離されます。ロケットを噴射して高速で敵艦に突入。一機で大型空母を撃沈できる新兵器として期待されました。この桜花を発案したとされるのが当時海軍少尉だった大田正一です。秘密兵器の桜花は発案者・大田正一の頭文字をとって「○大金物」とも呼ばれました。着陸するための車輪はついていません。切り離されたら最後決して生還できないことから後に「人間爆弾」とも呼ばれました。

 

その大田正一の息子が大阪で暮らしています。大屋隆司(おおやたかし)さんです。15歳の時から母方の大屋姓を名乗っています。隆司さんにとって父は面倒見の良い優しい人でした。

「子煩悩やったっていうのは思いますね。結構あっちこっちね、連れて行ってくれたりとか。毎朝早う起きて天王寺動物園の周りをぐるっと散歩がてら一周して、柵だけだから中の動物とかが結構見えるんですよね。それが小さい頃の記憶やけど割合鮮明に残ってますね」(大屋隆司さん)

隆司さんは父の名が偽名だとは知らずに育ってきました。

「一番初めに聞いたのは父親からではなくて母親からでした。横山道雄っていうのは、お父さんが勝手に名乗っている名前で本当のわしの名前は大田正一っていう名前なんやと。神雷部隊の桜花に最後は所属していたっていうのは言ってたって。その桜花を考え出したのはわしだって言ってたっていう話を記憶では中学校ぐらいに母親から聞いた」(大屋隆司さん)

父は非人道的な特攻兵器の発案者でもありました。

「高校生のころ本屋さん行っていろいろ本めくっていろいろ調べましたけれどね。結局人間が乗って敵に突っ込んでいく、必ず死ぬ、それだけの道具ですよね。本当に非情な道具。人間爆弾っていうそれを考え出すその人間性というか、それを自分の親が考えだしたんだって。そういう兵器を考え出せるということについて人間性を疑う」(大屋隆司さん)

父の死後、その素性を調べる中で家族に隠してきた事実が少しずつ分かってきました。大田正一は昭和3年、15歳の時に海軍を志願。日中戦争にも参加した叩き上げの軍人でした。大田正一は魚雷や爆弾を投下する攻撃機の搭乗員でした。7人乗りでそれぞれが操縦、射撃、電信などの役割を担います。大田正一は行く先を指示する偵察員として戦火をくぐり抜けていました。しかし昭和17年、ミッドウェー海戦に敗北以降、各地で消耗戦が続き戦況は悪化する一方でした。そんな中、戦局を挽回する秘策を思いついたのが大田正一とされていました。当時、航空技術廠で技官だった内藤初穂さんが戦後、桜花関係者に取材しまとめた著書の中に、発案当初の大田正一のエピソードが残されています。

 

童顔の廠長と向き合いっていかつい肩の男が座っていた。差し出された名刺は海軍少尉・大田正一。その右肩にペン書きで第1081海軍航空隊とある。
廠長「一発必中の爆弾なんだかね」
三木忠直「それで誘導装置は?」
大田正一「人間が乗ります」
三木忠直「なんだって?何が一発必中だ。そんなものが作れるか。冗談じゃない」
廠長「三木部員、技術的な検討だけでもしてあげたらどうかな?」
三木忠直「技術的に見てもこれは兵器と呼べる代物ではありません。少尉、君は体当たり体当たりと言われるが一体だれを乗せるつもりだ」
大田正一「私が乗って行きます。私が」
三木は絶句した。切羽詰まった戦局を打開しようという一念とはいえ、こともなげに命を捨てるという相手に虚を突かれた。

 

大田正一の案は現実のものとなりました。桜花の構想は海軍に採用され昭和19年秋には茨城県神ノ池に訓練基地ができました。各地から搭乗員が集められ神雷部隊が誕生。大田正一は発案者としてこの部隊へ特別待遇で迎え入れられました。一人表札が掲げられ個室が与えられました。しかし昭和20年3月21日、初めての桜花攻撃を行いましたが、2トンを超える桜花をつり下げその重みで動きが鈍くなり桜花は母機もろとも撃ち落され1機も敵艦に到達することができませんでした。もともと桜花攻撃では桜花を吊るして動きの鈍い攻撃機を、その4倍の数の戦闘機で護衛するはずでした。ところが実際に援護にあたった戦闘機は半分にも満たなかったのです。敗戦までに神雷部隊は期待された戦果を上げることができず829人が戦死。アメリカ軍は桜花のことを日本語のバカを引用して「Baka bomb」すなわち「バカ爆弾」と名付けました。

 

大屋隆司さんは戦中の父を知る人物を訪ねることにしました。桜花に乗る神雷部隊の隊員だった佐伯正明さん(90歳)です。佐伯さんが部隊への志願を持ち掛けられたのは昭和19年の夏。桜花を使っての作戦は全ての特攻の先駆けとなる極秘の作戦でした。佐伯さんはどんな兵器かは聞かされないまま部隊へと移動。そこで初めてそれが桜花という生きて帰れない兵器であることを知りました。

「大田少尉のことはね極端に言うたらボロクソやった。あいつがこういうことを発明したから。戦場へ送られなかったらわしも生き残っとったのにというのがやっぱりかなりおったはずです」(佐伯正明さん)

大田正一は「自分が乗っていく」と言っていたにも関わらず出撃隊員になることはありませんでした。しかも作戦の失敗が続いた後も大田正一は新聞に英雄として登場していました。このことがさらに隊員たちの気持ちを逆撫でしました。

大田正一は終戦の3日後、遺書をしたため自決をはかりました。ゼロ戦で飛び立つ大田正一を搭乗員は冷ややかな目で見送ったと言います。

「神ノ池の飛行場のね滑走路をゆらゆらしながら上がって、ちょうどボロの古いミシンでねキレを縫っていくように上がっていくでしょう。そのうちに飛行機の姿が見えなくなったんですよね。死のうと思うたんでしょね。飛行機が海中へ突っ込んだからね。助けたんですがと漁船から知らせがあって、あんたのお父さんはね救い上げられたんやね」(佐伯正明さん)

 

隊員たちの中には発案者・大田正一の責任についてかばう人もいます。田浦研一さん(93歳)は桜花を運ぶ攻撃機の搭乗員でした。戦後、田浦さんは当時の仲間が集まる戦友会であることを耳にしました。

「誰もさこんな大それたですね人間爆弾と呼ばれるような大戦略をですね彼が作り上げたってそんなことはできるわけないですよ。それが取り上げられることはないですよ。たかが成り上がりの少尉がですよ何ができるんですか。僕は彼が犠牲者だと思っているんですよ。責任を負わされているみたいな感じがする」(田浦研一さん)

 

大田正一が桜花を発案したとされる昭和19年、不利な戦況を前に政府はどうにかして国民の士気を高め、もう一度戦局を打開できないかと模索していました。実は軍や政府は死と引き換えに大きな戦果をあげる新兵器の登場が国民の戦意を高揚させる手段になると考えてきました。しかし生還の可能性がない作戦を上から命令することはできません。ちょうどその頃、死を前提とした兵器を現場から提案していたのが大田正一でした。当時、基地で大田正一と一緒だった堀江良二さんの手記によると、大田正一は新兵器の必要性を仲間にといていたと言います。

 

海軍で新兵器採用の窓口を担当していた伊東祐満は、大田正一の熱意が桜花採用の決め手になったと戦後手記に記しています。

「私は大田が操縦者であるなしを正さなかった。大田自身が操縦者であり、己が一番乗りをする立場に立ちうるものでなくして必死兵器を進言できるはずがないからである。私は操縦者の意思の代表として彼の発案を喜んで実現の促進に努力する腹を決めた」(昭和57年 伊東祐満中佐の手記より)

結果的に多くの戦死者を出して終わった桜花による特攻。発案者である大田正一は自ら桜花に乗ることはなく終戦をむかえました。大田正一は終戦の3日後、ゼロ戦に飛び乗り自殺を図りました。大田正一は死亡したとされ戸籍も抹消されました。しかし、大田正一は全国各地で目撃され、北海道で引き揚げ者に混じって新しく戸籍を得たというウワサも流れました。青森駅で目撃したという者、千葉の木更津駅で会ったという者、かつての搭乗員の元に現れては金の無心をしたという話も残っています。大田正一の自殺は狂言だったとまでささやかれました。しかし行方は誰にも分かりませんでした。

 

大田正一は昭和26年頃から大阪でひっそりと暮らしていました。素性を隠し大屋義子さん(91歳)と出会い家庭を築きました。戸籍がなかったため婚姻届は出せず仕事も安定しませんでした。家計は義子さんが支えました。義子さんはなぜ偽名なのか、戸籍がないのか、その理由を聞いたこともありました。しかし、肝心なことは教えてくれず、義子さんも深入りはしませんでした。

 

大屋隆司さんは元桜花隊一飛曹の植木忠治さん(91歳)を訪ねました。植木さんは戦後間もなく桜花の訓練基地があった近くで大田正一を見かけました。

「そんとき大田さんは軍服着てたんですよ。いま何しておられるんですかって言ったら牛を飼ってんだと。牧場をやってるんだと」(植木忠治さん)

死を前にした搭乗員たちと同じ基地で過ごしていた大田正一は何を感じていたのでしょうか。出撃を前に次第に殺気立っていく搭乗員。そんな中、訓練中に起きたいざこざが大事件に発展しました。植木さんはその時の大田正一のふるまいが忘れられないと言います。

「20年のね1月初めというか10日ごろだったかな。桜花隊でね騒動が起きちゃったの。結局、士官とな下士官との騒動が起きただよ。(下士官が)抜刀しちゃってね(士官の元に)押しかけた時に大田さんが出てきて一番先に立ってきて『俺を斬ってから行け。俺を始末しろ』それで下士官は引き上げただよ。大田さんはこれ乗ってった連中の気持ちも十分承知してんだよ。自分の親、兄弟を守ること、国のためではない。親兄弟を守るためにみんな一生懸命だったんですよ。そのためにどうするかってことですよね。自分1人だけ死ねば、おふくろやおやじは火薬の臭いを嗅がないで生きていけるのかと、その気持ちしかなかった」(植木忠治さん)

植木さんは出撃の機会を待ったまま終戦を迎えました。その間、多くの戦友を見送りました。

「大田さんは戦争に一生懸命だったと私は思うんです。上部としてもね。ああいう特攻しかもうないというときだったと思うんですよね。だけど上部でそういうことを先にこういうものを作っちゃって『乗れ』『飛んで行け』って言ったらこれはやっぱりいくら軍国主義でもね問題になると思うんです。これ私の主観ですよ。俺なんかだって上のほうの参謀やなんかが作って『これで死んでいけ』って言ったら文句あるよ。はじめからね人を殺す。それは文句あるよ。だから大田さんにしとけば下の実戦をやってきた人の一つの考案だっていうことにすればそんな問題にならないでしょ」(植木忠治さん)

 

大田正一は戸籍がないため20以上の職を転々とし、近所の人ともあいさつ程度で友人と呼べる人はいませんでした。いつも一人椅子に座りずっと空を眺めていました。大田正一は平成6年12月7日に亡くなりました。

大田正一は亡くなる7ヶ月前、一人だまって訪れていた場所がありました。真言宗の総本山がある高野山です。ここには様々な慰霊碑や墓がたてられ戦争にまつわるものも多くあります。大田正一は宿坊を訪れていました。宮島基行さんは当時ここで宿泊者のお世話をしていました。大田正一は宮島さんに自分が桜花の発案者だと話していたそうです。高野山を後にした大田正一は和歌山の三段壁を訪れ、自殺を図ろうとしていました。地元の警察に保護され、迎えにきた息子の前でせきをきったように泣いたと言います。大田正一の死後、埋葬された墓には横山道雄とも大田正一とも刻まれることはありませんでした。


  1. WikiとEテレの特集見ました。
    確かに息子さんの仰る通り、「そういう兵器を考え出せるということについて人間性を疑う」行為だと思います。
    しかも自ら上申してる訳ですから…呆れる。
    戦争という非常事態が彼を狂わせたのだとしても、皆が皆そうなった訳ではないでしょうし。
    当時の前途ある若者の尊い命が、このような無謀かつバカげた作戦で失われた事に、同じ日本人として無念でなりません。
    故人の事を今まで悪く言ったことはありませんでしたが、酷いようですが、自らの汚点で歴史に悪名を残すくらいなら無名のまま死んだ方がましだと、この事でつくづく思いました。
    こんなに腹が立ったのは久しぶりです!

  2. 本当に馬鹿な兵器。息子さんが生き残った人の話を聞いていた。なんとも言えない気持ちだ。涙が出てきた。当時の政府もおかしい。どうして無駄死することを考えたのか死んで国の為という教育とは恐ろしい。腹立たしい。命は何よりも大切だ。

  3. とても不快感が残る番組でした。
    何が言いたい番組だったのか全くわかりません。
    上の方のような感想を持たれることが目途だったのでしょうか?
    大田さんも真面目ゆえに、責任感の強さゆえに、社会の犠牲者だったのではないでしょうか。
    その大田さんに報えるのはまた、社会だけでないのでしょうか。
    金の無心をした、狂言だった、うわさが流れた。ましてこの文字テロップのうしろには中国の戯曲のようなものを流し。どれだけ馬鹿にしているのでしょうか。これらすべて推察でしかないにもかかわらず、この構成ではさもそれが真実かのような扱われ方をして。

    植木さんの言葉のひとつひとつに涙がでました。「わかるかね」という言葉が耳に残ります。つよくももに手を置き力を込めたその力強さに涙がでます。

    せっかくの題材、もっとこんな単純化した扱いでない、今の時代だから振り返られる見方がされた番組であってほしかったです。

  4. 昨日、BSで見させて頂きました。
    彼は指名手配犯のような気持ちで生活をしていたのだと感じました。
    交番に貼ってある指名手配犯を見ると生きているのか分からないくらいの歳の方もいます。その人達は、もし、生きていたとしたら、どのように過ごしているのかと思ったことがあります。今回も、指名手配で追われた感じで、償いの気持ちを忘れず、生きていたのと感じられます。

    桜花を発案したとか、行われたことは、置いといて、次に今の時代を書くことにします。私は、酒場で米国人と飲む機会がありました。その会話の中で、「今、イスラム国などが行っている自爆テロは、日本が行ったことが基となっている」と言われたことがあります。私もそう感じることがあります。自ら命を捨ててまで、敵につっこんで倒す。自爆テロと似ていると感じます。今、このように書いていますが、複雑な気持ちです。
    現在起こっていることを止めさせるならば、特攻隊や桜花など、日本が人の命を捨てて戦ったことを事実に、命の大切さを強調した映画やドキュメンタリを作って、海外に広めることが必要だと思います。それが、彼にさせた償いと亡くなられた方々の償いだと思いました。

  5. 「少尉に何ができる」と言う方がいたり、
    「上層部より少尉が発案者である方が」という気持ちがあったという話のほうが腑に落ちます。

    検証無しの噂を並べるのでなく、発案が採用になるまでの当時の海軍の背景をもっと掘り下げないと、個人批判や、命は大事だという道徳の話にとどまってしまい、視聴者に誤解を与え、故人やご遺族を瀆すことになってしまいます。

    上に故意に書いておられるのか分かりませんが、特攻兵はテロリストではありません。その一番大きな理由は、特攻の攻撃の対象は日常を営む非戦闘員(民間人)でないということです。よく言われていることです。これも家族のために若い命を賭した方々を穢さないよう気をつけるべきです。
    私も同僚の欧米人たちと戦争を話す事がありますが、各戦闘の捉え方の違いに辟易することがあります。そこで、事実を淡々と伝える事が私の戦死した祖父兄弟にしてあげられる供養の一つだと考えています。

    先週、元特攻兵の方のお話を伺ったばかりです。熱く話す語り部でもなく、今の政治の話に関連付けるでもなく、
    ただ、あったことを、淡々と教えてくださいました。

    体験者がいなくなってしまう近い将来、さらに戦争を振り返るマスメディアの責任が問われます。

  6. 息子さんの大屋さんは、話す一言一言から大変誠実で素晴らしい方だと感じました。
    そして長い間苦しんできたのだろうなと胸が痛くなりました。
    大田正一もまた、戦争の犠牲者なのです。戦争が人間の思考を狂わせたのです。

  7. 人間爆弾「桜花」発案者・大田元中尉の、名前を変えて生きた前後の苦悩を描いた番組。でも本当は、この太田という人は、責任を取らされたり、元搭乗員や遺族から追及されることを避けて、逃げ隠れしていただけではないのか?

    (1)自分が桜花に乗っていく、と上司を説得したというが、証拠がない。またそのようにしていないのだから、その発言をしたなら、嘘をついたというだけである。
    (2)番組で紹介されたように、搭乗員たちには反感を得ていた。
    (3)ゼロ戦に飛び乗り自殺を図ったというが、結局漁船に助けられたというので、本気で海面に激突したのでないことがわかる。和歌山の海岸で身投げをしようとしたというが、見た者はおらず証拠はない。
    (4)一度、高野山に行って慰霊碑にお参りをしたというが、それが何か?犠牲になった搭乗員の墓参りをしたとか、遺族を訪ねたこともない。それどころか番組で触れられたように、逆に元搭乗員に金の無心をしたという証言がある。
    (5)反省や償いを記した手記とてない。
    (6)息子にさえ反省の弁を決して明確には話していない。また息子が番組中で父のことをあしざまに言うはずがない。

    なお、(1)桜花は輸送する爆撃機ごと撃墜される事が多かった、(2)訓練中に空しく事故死した例も多い、(3)命中することなく海中に落ちる例も多い、など兵器としては全くの失敗作。非現実的な設計思想と命中率の悪さから、米軍からは「バカ爆弾」と嘲られました。現に、撃沈できたのは駆逐艦1隻のみ。

    とはいえ製造には高度な知識と技術がいるはず。「発案者」とはべつに「開発者」がいたはずだが、番組では触れられていません。

    この大田という人は、戦争の推進に積極的に加担し、多くの兵士を特攻などの無謀な方法で無駄死にさせながら、戦後は責任を取ろうとしない、多くの軍部・政府の多くの中堅幹部の一人でなかったのか?テレビ番組がいかに脚色し、虚像を大きくできるか、の例。

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