新・映像の世紀 第1集「百年の悲劇はここから始まった」|NHKスペシャル

NHK総合テレビの「NHKスペシャル」で新・映像の世紀 第1集「百年の悲劇はここから始まった」が放送されました。第一次世界大戦は20世紀を覆う不幸の種子を世界にばらまきました。ドイツの科学者フリッツ・ハーバーは初めての化学兵器「毒ガス」を発明。以来、科学技術の最大の目的は戦争への貢献となりました。ロシア革命を成し遂げ世界で初めての共産主義国家を樹立したウラジーミル・レーニンは恐怖政治の創始者でもありました。国民に真実を隠し異議を唱える人物を強制収容所に送り込み20万人を処刑しました。T・E・ロレンスは新たなエネルギーである石油を狙ったイギリスの情報将校としてアラブ社会に食い込みました。今にいたる中東戦争のきっかけを作ったのはロレンスの裏切りでした。

 

1900 前夜

1900年、19歳のパブロ・ピカソは初めてパリにやってきました。華やかな都市に地下鉄、パリ万博では動く歩道も登場。パリは世界の平和と繁栄を象徴していました。このパリ訪問で受けた刺激がピカソの創作の原点となりました。デザイナーのココ・シャネルが活躍し始めたのもこの頃。コルセットで縛る女性服の常識を壊し、スポーティーなデザインでファッションに革命を起こしました。それは女性の社会進出が徐々に始まるなか大評判になりました。アメリカのライト兄弟はエンジンによる飛行機で空を飛ぶことに成功。テクノロジーは人類に幸福をもたらすものと無条件に信じられていました。しかし1913年、イギリスのSF作家H・G・ウェルズは戦争の危険を強く警告しました。ウェルズは20世紀の運命を驚くほど正確に言い当てました。「世界はドイツとイギリスの率いる2大陣営に分かれ世界最終戦争を始める。飛行機が戦争の道具に使われ空爆が始まる。戦車が発明され田園を踏み荒らす。原子爆弾が生まれ文明を壊滅させる」そしてウェルズの予言は翌年的中しました。

 

1914 運命

それは1914年6月、オーストリア=ハンガリー帝国サラエボで起きた出来事が始まりでした。サラエボ訪問中の皇太子夫妻が凶弾に倒れたのです。犯人はセルビアの民族主義者ガブリロ・プリンツィプ。オーストリアの支配に反発する秘密結社の一員でした。亡くなった皇太子の叔父フランツ・ヨーゼフ1世は報復のため直ちにセルビアに宣戦布告。するとバルカンに領土的な野心を持つロシア帝国はセルビアへの支援を表明。ニコライ2世は兵士を総動員し戦争に備えました。列強は安全保証のため軍事同盟を結んでいました。イギリスはフランスとロシアと、ドイツはオーストリアとオスマン帝国と結び2大陣営に分かれました。戦争を望まない他の国々も軍事同盟に縛られ30か国を超える国々が戦火に巻き込まれていきました。オーストリアの同盟国ドイツは8月に入ってロシアとフランスに宣戦布告。8月4日、ドイツは中立国ベルギーに侵攻しました。ドイツ軍は市民にも銃を向け、150万のベルギー人が国外に逃れました。ベルギーと軍事条約を結んでいたイギリスが参戦に踏み切りました。国中が騒然とする中、50万の若者が志願。40年の平和が続いたヨーロッパで戦争の記憶は薄れ、若者は戦争をロマンチックな冒険と考えがちでした。そして誰もが戦争は数か月で終わると信じていました。イギリスでは志願した若者の多くは貧しく失業者も多かったため、ほとんどの兵士は訓練不足のまま前線に送られました。イギリスの新兵はドイツの新型機関銃のかっこうの餌食になりました。機関銃に対する防衛戦法として登場したのが塹壕です。

 

イギリス・フランスの連合軍がドイツと戦う戦場は西部戦線と呼ばれました。塹壕は西部戦線に沿ってヨーロッパ大陸を縦断。700kmも伸びていました。不潔極まりない塹壕で兵士はシラミと病気に苦しみました。塹壕戦が長引きチフスや肺結核などの伝染病が流行。梅毒などの性病も蔓延。20万を超える連合軍兵士が梅毒にかかりました。大戦中、性病を警戒した当局は慰安婦のみならず女性全般への性病予防を強化しました。

 

大戦が始まって1年も経たないうちに戦火はアフリカやアジアなど世界に拡大。日本はイギリスとの同盟を理由に連合国として参戦。ドイツ領・青島へ出兵を決めました。ドイツは1898年から青島を租借し、東洋艦隊の拠点としていました。7月、本国からの指令を受けてドイツの主力艦が次々と出港。日本はドイツの強力な軍隊が留守の間に青島を攻略。ほとんど傷を負うことなく巨大な権益を獲得しました。

 

中央アジアでも戦闘が繰り広げられていました。激突したのはオスマン帝国とロシア帝国。オスマン軍は黒海とカスピ海に挟まれた国境コーカサスへ進軍しました。3000mを超える真冬の山岳へ12万の大軍を送る無謀な作戦でした。1万を超えるオスマン兵が戦闘に参加することなく凍え死に、9割のオスマン兵が戦死しました。開戦後5か月、西部戦線では150万の兵士が戦死。多くの遺体が塹壕の中に放置されました。若者たちを酔わせた冒険への熱狂は急速に色あせました。

 

1915 悪夢

1915年、ドイツで初めて女性として科学の博士号を得たクララ・ハーバーが自ら命を絶ちました。夫は天才科学者フリッツ・ハーバー博士。フリッツ・ハーバー博士は空気中から窒素を取り出す方法を確立しノーベル賞を受賞。彼の研究を応用して窒素肥料が開発され、飢餓に苦しむ世界中の人々が救われました。戦争が始まるとフリッツ・ハーバー博士は極秘の研究に取り組みました。それは毒ガスの開発でした。彼は自ら戦場に赴き実験を指揮し1915年4月22日、化学兵器が初めて戦争で使われました。7kmの前線にわたって168トンの塩素ガスが放たれ600人の兵士が犠牲となりました。兵士は恐怖でパニックとなり周辺の住人も巻き込まれました。ただちに毒ガスから身を守るマスクが開発されました。衝撃を受けたクララは夫に激しく抗議。しかし夫は平然と「毒ガスは戦争を早く終わらせドイツの兵士を救うのだ」と言い放ちました。実際には毒ガスによって戦争は長引き被害は拡大。連合軍も強力な毒ガスを開発し、両軍合わせて6600万発のガス弾がまかれ死傷者は100万人に及びました。5月1日、毒ガス戦の成功を祝いハーバー博士を称える祝賀会が開かれました。その夜、クララは夫のピストルを持ち出し自らの胸に向けました。残されたハーバー博士にも悲劇が待っていました。チクロンBは後にユダヤ人の大量殺戮のために使われた毒ガスですが、もとはハーバー博士が開発に携わった強力な殺虫剤でした。博士自身もユダヤ人でした。自分が開発した毒ガスが同胞の絶滅のために使われるとは思いもしなかったでしょう。そして博士はナチスに迫害され亡命を余儀なくされました。

 

1916 英雄

戦いは地下のトンネルから大空へ向かいました。第一次世界大戦で爆撃機が初めて登場。最新の科学技術が投入され戦争は新たな次元に突入しました。激しい空中戦の中、撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの名が刻まれました。リヒトホーフェンは真っ赤な飛行機に乗っていたためレッド・バロン(赤い男爵)と呼ばれました。操縦席に高性能の特製機関銃を搭載。80機を撃墜しました。リヒトホーフェン率いる飛行部隊は「空飛ぶサーカス」と異名をとり連合軍から恐れられました。リヒトホーフェンは正義感に溢れ勇敢、騎士道精神の鑑とされドイツ女性の憧れでした。ドイツ皇帝ウィルヘルム2世はリヒトホーフェンに軍人として最高の名誉であるプール・ル・メリット勲章を授けました。しかし半数のパイロットが戦死。多くが訓練中の事故でした。仲間が減っていくなか赤い男爵は空を飛び続けました。そして1918年、リヒトホーフェンも撃墜されました。連合軍は敵国の空の英雄に敬意を表し、戦場で丁重に葬りました。

 

戦いは国家の全てを動員する総力戦の様相をていしました。イギリスでは100万人の女性が軍需工場などで働きました。大戦半ば、戦場で消費する砲弾は1日40万発に達し、大戦を通じて14億発が発射されました。国家の生産力はすでに限界に近付いていました。しかし西部戦線の膠着を打開することは出来ませんでした。

 

イギリスは密かに新たな戦術に活路を求めました。謀略戦です。1916年、イギリスはドイツの同盟国オスマン帝国を狙って破壊工作を仕掛けました。その作戦から一人の英雄の伝説が誕生しました。オスマン帝国はドイツと軍事同盟を結び第一次世界大戦に参戦していました。600年の歴史を持ちヨーロッパからアジアにかけて広大な領土を持つオスマン帝国ですが、たびたびの戦争で衰退し「瀕死の病人」と呼ばれていました。当時、オスマン帝国の人口は1800万人。トルコ人とアラブ人が7割をしめクルド人、ユダヤ人など少数民族も暮らす他民族国家を形成していました。イギリスはアラブ民族の独立運動に目をつけました。その動きをたきつけ内部からオスマン帝国を倒そうと企てたのです。狙いはオスマン帝国領内で次々と見つかる大規模な油田でした。イギリスはアラブの有力者と密かに接触。予言者ムハンマドの血を引くフセインと、その御曹司ファイサルです。任務に当たったのはトーマス・エドワード・ロレンス。ファイサルに武器と資金を提供しオスマン帝国打倒を持ち掛けました。イギリス人でありながらアラブ文化への理解が深く、言葉も自在に操るロレンスにファイサルは大きな信頼をおきました。イギリスはファイサルにオスマン帝国を倒したあかつきにアラブの独立国を作ると約束しました。約束を信じたファイサルは反乱軍を組織。反乱軍は巧みなゲリラ戦法でオスマン軍に打撃を与えました。ロレンスの名を世界に轟かせるきっかけを作ったのはアメリカの映画プロデューサーであるローウェル・トーマスです。連合軍から依頼されプロパガンダ映像の製作をうけおっていたトーマスは撮影中にロレンスと出会いました。トーマスはロレンスを砂漠の英雄にしたて冒険物語を作り上げ、ロレンスは一躍世界的なヒーローとなりました。その後、イギリスの大作映画にもなった砂漠の英雄ロレンスですが、アラブの民から見れば裏切りの英雄でした。

 

実はイギリスはアラブ建国を約束する裏でフランスと密約を交わし、戦後オスマン帝国の領土を分け合うことを企てていました。もちろんその交渉はアラブ人には一切秘密にされていました。しかもイギリスはこの地にユダヤ人にも国を作る約束をしていたのです。ロレンスはイギリスの真の目的を隠しながらアラブを助けていたのです。イギリスが乱発した欺瞞に満ちた約束は今に至る悲劇の出発点となりました。イギリスはアメリカにも情報戦を仕掛けていました。狙いは中立国アメリカを戦争に巻き込むこと。そのためにイギリスはウォール街の金融機関を味方につけイギリスの軍需物資の8割を調達し、アメリカの軍需工場で兵器を生産させました。もしイギリスが負ければ大損害を被ります。アメリカの参戦に向けてウォール街とイギリスの利害が一致したのです。ウィルソン大統領は公には国民に中立を約束していましたが、翌年ウォール街の圧力に屈することになりました。

 

1917 革命

ドイツも謀略戦を展開していました。1917年ドイツの手厚い支援を受けて革命家ウラジーミル・ウリヤノフがドイツに向かいました。革命家としての名前はレーニンです。レーニンは1905年にロシア皇帝の反乱に参加。その後、秘密警察におわれスイスで亡命生活を送っていました。ドイツはレーニンをドイツに帰国させるため専用列車まで用意。ドイツの狙いは敵国ロシアを内部から突き崩すことでした。ロシアがドイツやオーストリアと戦う東部戦線で、ロシア軍は絶望的な戦いを続けていました。武器も食糧も底をついていました。戦争への怒りが頂点に達し100万の兵士が脱走。ロシア軍は崩壊しました。首都ペトログラードの女性が食糧難に抗議。軍の逃亡者や労働者が合流し、革命に発展しました。民衆は300年続いたロマノフ王朝を打倒し、臨時政府が開かれました。教会に隠れていた皇帝はシベリアに幽閉されました。ドイツ軍に守られペトログラードに到着したレーニンは兵士を組織し、事実上のクーデターで出来たばかりの臨時政府を倒しました。そして史上初めての共産主義国家ソビエトが誕生しました。ソビエト革命政府はドイツに全面降伏し、ドイツの思惑通りの結果になりました。

 

東部戦線が終結しドイツは兵力を西部戦線に集結させ決戦の時に備えました。連合軍は破産寸前の危機を迎えていました。イギリスの戦費は通常の国家予算の6倍を超え、中立国アメリカは参戦を決断しました。もし連合軍が敗北すれば莫大な貸付金を回収できなくなるからです。大統領はウォール街の圧力に抗しきれなかったのです。6月、アメリカ兵がヨーロッパ戦線へ向かいました。

 

大戦を離脱したロシアでしたが戦いは終わりませんでした。ロマノフ王朝の残党を中心とする反革命軍が共産党ボリシェビキの赤軍を攻撃したのです。そして反革命軍がボリシェビキ以上に標的にしたのがユダヤ人です。社会変革を望むユダヤ人にボリシェビキの支持者が多く、ユダヤ人というだけでボリシェビキの手先と見なされました。ロシアには19世紀以来、世界で最も多い700万人のユダヤ人が暮らしていました。2000年前に国家を失ったユダヤ人は世界各地に散り散りとなりながらも信仰を守りコミュニティを作ってきました。しかし社会に混乱が生じる時、しばしば憎悪は異教徒であるユダヤ人に向けられました。ロシア革命の混乱も例外ではなかったのです。この時、10万人を超えるユダヤ人が虐殺されたと言われています。虐殺を免れたユダヤ人はロシアから脱出し、アメリカとパレスチナで強力なユダヤ人社会を建設することになりました。

 

1918 急転回

5年続いた戦争はようやく終わりを迎えようとしていました。西部戦線ではアメリカ軍が快進撃を始めました。アメリカの資金で量産された600台の戦車、800の爆撃機にドイツ軍は壊滅的な打撃を受けました。10月、ドイツの同盟国オスマン帝国が降伏。最大の軍事拠点ダマスカスが陥落。ファイサルはアラブ民族の独立を宣言しました。協力の見返りに独立を約束していたイギリスですが、イギリスのアレンビー将軍はその約束は果たせないことを初めてファイサルに伝えました。そしてアラブへの攻撃が始まりました。それは大戦中は同じ陣営にいたフランスによる容赦ない空爆でした。アラブの独立は幻に終わったのです。ファイサルは連合国から利用された末に見捨てられました。そしてアラブ人をさらなる裏切りが待っていました。大戦後、パレスチナを統治したイギリス。パレスチナの住人の9割はアラブ人でしたが、イギリスは大戦中この地にユダヤ人の国を作ることを約束していました。ロスチャイルドらユダヤの資本家を味方につけるためでした。ロシアでの大量虐殺から逃れてくる人々など世界中からユダヤ人がパレスチナを目指しました。アラブ人が一度は独立を夢見た土地にユダヤ人が根をおろしたのが後のイスラエルです。21世紀の今も続く憎悪の連鎖はここから始まったのです。

 

1918年11月11日、ついにドイツが降伏しました。勝利者はその後の世界をめぐる画策を始めました。

 

1919 火種

アメリカのウィルソン大統領はパリの講和会議へ向かいました。「勝利なき平和」という理想を掲げ、敗戦国に多額の賠償金を課すことに強く反対しました。しかしウィルソンの理想は英仏の反対によって阻まれました。ウィルソンに代わって賠償委員会で指導力を発揮したのはモルガン商会のトーマス・ラモントでした。そしてイギリスに貸し付けた莫大な戦費の回収を重視した賠償案をまとめました。ドイツに課せられた賠償金は1320億金マルク。ドイツの国家予算の20年分にあたる額でした。イギリスの代表の一員だった経済学者ジョン・メイナード・ケインズは巨額の賠償案に抗議して辞任。ウィルソンを厳しく批判しました。条約を知ったドイツ人は憤激しました。この年、ミュンヘンで講和条約に反対する政治団体が生まれました。そこに参加したのがアドルフ・ヒトラーです。戦争を指揮していたドイツ皇帝ウィルヘルム2世はオランダに亡命しました。

 

1924年、ロシア革命を成し遂げたレーニンが死去。革命のカリスマ・レーニンは恐怖政治の創始者でもありました。レーニンは強制労働収容所を建設し、人種やブルジョア、党に従わない人物8万人を84か所の収容所に送り込んでいました。さらに秘密警察チェカー(KGBの前身)を創設。ポーランド出身の狂信的共産主義者ジェルジンスキーを長官に任命。チェカーはレーニンの時代に20万人以上を処刑。これが世界初の共産主義革命の内実でした。

 

砂漠の英雄にまつりあげられていたロレンスは大戦後、オートバイの事故で亡くなりました。アラブを裏切り激しい罪悪感に苦しんだロレンスは戦後は名前を変え、しばしば行方をくらましていました。世界大戦を予言した作家H・G・ウェルズはこの戦争が「あらゆる戦争を終わらせる戦争になり、その後世界に平和が訪れる」と語りました。しかし大戦によって世界中に紛争が広がり難民が溢れ憎悪が渦巻きました。多くの国家が来るべき戦争に備え、子供たちの間では戦争ごっこが流行っていました。第一次世界大戦の終結は単に長い休戦にすぎなかったのです。21年後、世界は再び地獄の炎に包まれることになりました。

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