新・映像の世紀 第2集「グレートファミリー新たな支配者」|NHKスペシャル

NHK総合テレビの「NHKスペシャル」新・映像の世紀 第2集「グレートファミリー新たな支配者」が放送されました。1919年、連合国のイギリス・フランスは第一次世界大戦に勝利したものの国力を使い果たし消耗しきっていました。一方、戦場にならなかったアメリカではヨーロッパから帰還した兵士たちの凱旋パレードが続いていました。アメリカは圧倒的な経済力と工業力で世界のリーダーに躍り出ました。パリでは敗戦国ドイツの賠償などを話し合う会議が始まろうとしていました。アメリカ大統領ウィルソンを人々は熱狂的に歓迎。しかし指導力を発揮したのはアメリカの銀行家モルガンでした。大統領の方針に反しドイツに重い賠償金を課すよう会議を動かしました。モルガンにとって何より重要だったのは連合国に貸し付けた戦費の回収でした。大統領をしのぐ発言力を持つモルガンは「ウォール街の帝王」と呼ばれました。アメリカを影で動かすモルガンをメディアは追いかけまわしましたが、彼はカメラ嫌いでした。そんなモルガンが世間の目に晒された事件がタイタニック号の沈没です。

 

1912年4月、イギリスからニューヨークに向けて出航したタイタニック号は大西洋で氷山と衝突して沈没。1500人以上が犠牲となりました。船の運行会社のオーナーはモルガン一族でした。救命ボートの不足、金持ちの救助を優先した疑いで関係者はつめかけました。巨額の保険金をかけていたことも人々の怒りをかいました。しかしモルガンは動じませんでした。あらゆる企業がモルガンの投資で巨大化していたため楯突く者はいなかったのです。

 

ペンシルベニアで石油が大量に発見されたのは19世紀中頃。「燃える水」の存在は古くから知られていましたがアメリカで大規模に見つかったのは初めてでした。油田の周辺には一攫千金を狙って男たちが集まり手当たりしだいに地面を掘り起こしました。ジョン・ロックフェラーは石油の採掘そのものには手を出さず人が採掘した石油を買い集め精製し販売するビジネスを始めました。優秀な科学者を雇い、どんな不純物を含んだ原油でも精製できる技術を開発。「自社製品こそが世界標準」と銘打ち、設立した会社はスタンダード石油と名づけました。スタンダード石油は全米の石油産業の90%を支配。石油の富を独占しました。しかし無敵のロックフェラーを脅かす出来事が起こりました。景気が拡大する中、持てる者と持たざる者の格差が広がりヨーロッパでの労働運動の影響も加わりアメリカ各地でデモが頻発。ロックフェラー家所有のコロラド燃料製鉄会社でも9000人の労働者がストライキを起こしました。会社は鎮圧部隊まで動員。労働者やその家族30人以上が亡くなりました。この事件でロックフェラーを激しく非難したのがヘレン・ケラーでした。しかしロックフェラーは意に介さず自動車のみならず戦場では飛行機や戦車が登場。もはや世界はロックフェラーの石油なしには動かなくなっていたのです。

 

移民大国アメリカ

アメリカが振りまく富のニオイは世界中の人々を引き寄せていました。1920年からの10年間で400万人を超える人々が押し寄せました。最も多かったのがイタリア移民。そしてヨーロッパからやってきたユダヤ人でした。ロシア周辺には世界で最も多い700万のユダヤ人が暮らしていました。革命の混乱の時期、ユダヤ人の大量虐殺が起こっていました。犠牲者は10万人を超え、迫害から逃れた人々はアメリカに新天地を求めました。ユダヤ人移民の中で後に世界的な化粧品会社を興すことになるマックス・ファクターもいました。マックス・ファクターはロシアで貴族お抱えの化粧師をしていましたが、妻子と共に決死の覚悟でアメリカに。隙間産業を狙うユダヤ人が目をつけたのが誕生間もない映画でした。当初の映画はニュースが中心で、ユダヤ人は客をよべるエンターテインメントを作ろうと新たな映画会社を設立。そこに立ちはだかったのがトーマス・エジソンです。映画カメラを発明し撮影上映の特許を独占していたエジソンはあらゆる映画製作に対して特許料を要求。支払いを逃れようとするものを次々と告訴しました。ユダヤ人たちはスタジオを捨て西部を目指しました。そして誕生したのがハリウッドです。ハリウッドにはマックス・ファクターも参加。女優の粗隠しのためにメイクアップ術を開発しました。マスカラ、リップブラシなどの化粧用具が瞬く間に一般女性へと広まりました。俳優を志すユダヤ人も多く名だたるスターが次々と生まれました。ユダヤ人が切り開いた映画産業はアメリカが世界に誇る一大産業へと成長していきました。

 

大量生産 大量消費

1920年代、アメリカの国民所得は30%以上増え、史上初めて生活必需品以外のものを買える社会が到来しました。絹の肌触りをアピールしたレーヨン。安価で大量生産できる人工繊維は女性の装いを華やかにしました。セロファンは包み紙を進化させ、店員から渡されていた商品を自由に選べるようになりスーパーマーケットが広まりました。これらを大量生産したのはデュポン社。19世紀から火薬メーカーとして君臨していた企業です。デュポンは第一次世界大戦では連合国に火薬の40%を供給し、「死の商人」とも呼ばれました。デュポンは火薬の原料から合成ゴムやプラスチックなど様々な素材を開発。中でも爆発的に売れたのがナイロンストッキング。デュポンは火薬メーカー以上に利益を上げました。新製品が発売されるたび人々は欲望をかいたてられていきました。週休2日制が広まったのもこの頃で、空前の旅行ブームが到来しました。アメリカ人の憧れは花の都パリ。カフェはアメリカ人で埋め尽くされました。

 

崩壊

1929年に入ってもアメリカの好景気は天井知らずでした。自動車や住宅ローンの普及で当座の現金がなくてもすぐにモノが手に入るという感覚は当たり前になっていました。合言葉は「Buy Now,Pay Later」株式でもわずかな資金さえあれば残りは株券担当に借金をして買える仕組みが広まっていました。1929年10月19日、モルガン商会は景気の過熱を懸念する大統領にレポートを提出。「現時点ではわが国の経済がコントロール不能に陥っていると示唆する要素は何もありません。我々は世界え最強の富と確固たる未来を持っています」と書かれていました。しかしその5日後、大暴落が起こり1週間で数百億ドルが消え去りました。株券は紙くず同然に。借金をして株券を買っていた人々は返済をせまられ次々と破産。石油王ロックフェラーは絶望する人々に向け「長い人生には大恐慌や繁栄が波のように繰り返しやってくるものだ。神と人間性を信じ勇気を持って進もうではないか」とメッセージを発しました。

 

大恐慌のさなか、ロックフェラー家は巨大ビル・ロックフェラーセンターを完成させました。しかし期待通りテナントは集まりませんでした。2代目ジュニアが採算を度外視して建設を始めたのは資本主義の健在ぶりを世界に示すためでした。ビル建設によって7万人を超える労働者が職を得ました。人々は仕事を与えてくれたことに感謝し、ポケットマネーを出し合い特大のクリスマスツリーを中庭に作りました。3代目のデイビッドはウォール街に2つの塔を持つ世界最大のビルの建設を計画。一族の掲げた理想「ワールド・ピース・スルー・トレード」から正式名称ワールド・トレード・センターと名づけられました。1937年、創業者ジョン・ロックフェラーは亡くなりました。遺産を調べると大暴落の時に安く手に入れた優良株を高値で売りさばき損失分をそっくり取り戻していました。

 

アメリカからおこった恐慌の波は瞬く間にヨーロッパを飲み込みました。そして日本にも押し寄せました。資本主義への幻滅が広がり、労働者たちはファシズムや社会主義の方がましだと言いました。イタリアやドイツ、日本では恐慌を抜け出そうとファシズムが台頭。資源と市場を求めて領土拡大に進んで行きました。世界は一触即発となりました。デュポン家は第二次世界大戦の足音が聞こえてくると再び火薬メーカーに。ナイロンストッキングは姿を消し爆薬やパラシュートに生まれ変わりました。そして原爆開発のマンハッタン計画にも参加。モルガンなどウォール街はドイツ、イタリア、日本を資金面で支援していましたが戦争が近づくと態度を一変させました。モルガンはアメリカ政府が発行する戦時公債の販売を引き受けウォール街が一致団結して戦争協力体制をかためました。




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