新・映像の世紀 第6集「あなたのワンカットが世界を変える」|NHKスペシャル

NHK総合テレビの「NHKスペシャル」新・映像の世紀で第6集「あなたのワンカットが世界を変える」が放送されました。

 

2001 アメリカ同時多発テロ 世界は引き裂かれた

2001年9月11日、いつもと変わらない静かな朝でした。ローカルニュースはワールドトレードセンターの最後の姿を映していました。すでに事件は始まっていました。アメリカ各地の空港の監視カメラにはハイジャック犯たちがセキュリティチェックを易々とくぐり抜ける様子が映されていました。その頃、ブッシュ大統領は訪問先のフロリダで日課の朝のジョギングに出かけていました。午前8時24分、ハイジャック犯の第一声がボストンにある航空管制室に飛び込んできました。

「我々は複数の航空機を乗っ取った。おとなしくしていれば問題ない。空港に戻る。もし少しでも変な動きをすればお前や航空機は無事ではいられない」

航空管制官はただちに軍に連絡。そして午前8時46分、1機目がワールドトレードセンターに突入。テレビ局はCMを中断して臨時ニュースを開始。世界のテレビ局も次々と中継を開始しました。そして2機目の突入の瞬間を世界はリアルタイムで目撃しました。2機目の突入から56分後、ワールドトレードセンターは地響きを立てて倒壊しました。

3日後、ブッシュ大統領は同時多発テロの現場を訪れました。テロとの戦いを宣言した大統領の支持率は90%に達しました。テレビの通常番組は1週間に渡って中止され、流れ続けるテロの映像によって人々の恐怖と悲しみは憎しみへと変わっていきました。パレスチナ出身でニューヨーク在住のコロンビア大学教授のエドワード・サイードはこの状況に警鐘を鳴らしました。

「報道番組は翼を持ったこの忌まわしい恐怖の怪物を絶え間なくしつこいほど家庭に持ち込んでいる。恐ろしいほどの喪失感、怒り、憤懣、弱みを傷つけられたという感情。復讐したいという欲望。映像は抑えきれない報復の思いをかき立てるだけでなく増幅までしたのだった」(エドワード・サイード)

 

映像プロパガンダ戦 アメリカVSテロリスト

アメリカはテロ組織アルカイダの引き渡しを拒むアフガニスタンへの攻撃を開始。しかしその2時間後、世界のテレビ局の画面は一つの映像で埋め尽くされました。それはアメリカの攻撃のタイミングに合わせて送られてきたアルカイダのリーダー、オサマ・ビンラディンのビデオメッセージです。

「すべてのイスラム教徒は信仰を守るために力を尽くさなければならない。嵐を巻き起こし聖なるムハンマドの地から虚偽を吹き飛ばすのだ」(オサマ・ビンラディン)

圧倒的な軍事力を持つアメリカに対し、オサマ・ビンラディンが武器としたのは映像でした。オサマ・ビンラディンのメッセージをきっかけに超大国アメリカに対し溜まっていた憤懣を爆発させるイスラム教徒が世界各地に現れました。

アメリカはテロとの戦いを拡大。アフガニスタンに続き2003年、イラクに侵攻し独裁者フセインの像が倒されました。イラク国民の喜びを伝えるニュース映像は、アメリカの戦争には正当性があると世界にアピールするものとなりました。しかし戦争は終わりませんでした。イラクはテロの泥沼と化していったのです。さらにアメリカへの憎しみをかきたてる事件が起こりました。イラク人のテロ容疑者など約4000人が収容されていたアブグレイブ刑務所で、アメリカ兵の内部告発により収容者への虐待を示す写真が明るみに出たのです。暴行、レイプなどが度々起きていました。

「虐待は効果的だった。だからもっとやろうとみんなで話していたわ」(虐待を行っていた女性兵士)

アメリカ軍は兵士たちを暴行にかりたてた要因の一つに、テレビドラマ「24」をあげました。「24」はイラク駐留のアメリカ兵の間で大人気でした。主人公の秘密工作員は暴力に訴えテロリストを尋問します。それが兵士に悪影響を与えたとアメリカ軍はテレビ局と制作会社に抗議。

「映像を見た兵士は拷問するようになるか?そんなことはないと思う。極端な行動をしてしまう人は何を見ようが何を読もうがその衝動が心の奥底にもともとあったのだと思う。では映画ロッキーを見た少年はロッキーのようになりたいと思うか?そうかもしれない。映像は人間の感情をかき立てることもあるだろう」(ドラマ「24」のプロデューサー ジョエル・サーノウ)

虐待を知りイラクで巻き起こった怒りのデモはイスラム諸国に広がりました。虐待が発覚して2週間後、インターネットに一つの映像が公開されました。イラクで働いていたアメリカ人がアブグレイブ刑務所と同じ色の囚人服を着せられ殺害される映像です。テレビ局に映像を送りつけるのではなく、独自のHPからの発信でした。このテロ組織は後に自らを「イスラミックステート」と名乗りました。

 

2004 インド洋大津波 映像革命の始まり

スマトラ島沖地震によるインド洋大津波の様子は、市民が撮影した様子が世界のニュースのトップを埋め尽くしました。プロのカメラマンではなく一般の人々が撮影した映像が報道の主役となる最初の出来事でした。このニュースを見ていた一人のアメリカ人の若者はその後、巨万の富を生むアイディアを思いつきました。

「これは市民が撮影した最初の大事件でした。その場には報道陣がいなかったのです。市民の映像はどれも圧倒的でした。そこで誰でも映像を投稿できるサイトを作ろうと考えたのです」(YouTube共同創設者ジョード・カリム)

翌年、ジョード・カリムは仲間と共に動画投稿サイトYouTube(ユーチューブ)を開設。自らが投稿した18秒の映像がYouTubeの最初の映像となりました。当初は動物や赤ちゃんの可愛い映像を楽しむ場にすぎませんでした。しかし、その後誰もが自由に映像を発信できるツールとして急速に進化を遂げていきました。身体能力を極限まで追求するパルクールという遊びはYouTubeによって世界的に広まりました。

「以前は一部の人間が映像を作り、その映像はどこでどう見られるかもコントロールしてきた。しかしインターネットの時代には誰もが映像を作り、そして見てもらう場所も持っている。自分のメッセージや感情、経験や才能を表現できるんだ。主人公は投稿する人々なんだ」(YouTube共同創設者チャド・ハーリー)

誰もが自由に発信できるようになった映像は国家のコントロールも超えていきました。イラクではアメリカ軍のヘリコプターが民間人を銃撃する映像が流出。世界から非難を浴びました。アフガニスタンではアメリカ兵がヘルメットに装備されたカメラの映像を投稿することが流行。軍事情報の流出として問題になりました。そしてテロリストたちもインターネットを利用。次々と投稿された自爆テロの映像はテロリストの戦意を高揚させ世界を恐怖に陥れました。

 

ワンカットが社会を動かす

1分間に数百時間というペースで世界に溢れ続ける映像。その一つが社会を大きく動かしました。始まりは2010年、ある同性愛者のカップルが投稿した1本の映像でした。2人のメッセージから勇気を得て他の同性愛者たちも自分のつらい経験を次々と投稿するようになりました。合言葉は「it gets better(きっと良くなる)」そこに毎週のように投稿を続ける14歳の少年がいました。ジェイミー・ロドマイヤーくんは同性愛を理由に学校で陰湿なイジメを受け自ら命を絶ちました。彼の死を悲しむのは身近な人たちだけにとどまらず、インターネットに寄せられた映像やメッセージは1万件を超えました。同性愛の人たちの苦しみを理解しようとする人が少しずつ増えていきました。そして2015年6月26日、アメリカ連邦最高裁判所は同性婚禁止の法律を違憲とする画期的な判決を下しました。「it gets better」が始まった5年前には5つの州とワシントンDCでしか認められていなかった同性婚が全米で認められた瞬間でした。この夜ホワイトハウスは運動の象徴であるレインボーカラーにライトアップされました。

 

2011 アラブの春 映像がもたらした革命

2011年、一人の若者が発信した映像が独裁国家を転覆させる革命にまで結びつきました。北アフリカのチュニジアから始まったアラブの春です。きっかけはチュニジアの小さな町の果物売りの若者が露店での商売を役人にとがめられ抗議の焼身自殺を図ったことでした。その場面を目撃した人々が役所に怒りをぶつける様子が市民によって撮影されました。地方都市のこの事件を地元メディアは報道しませんでした。

「僕たちは映像を撮影し編集してフェイスブックに投稿したんだ。それが映像を広める唯一の方法だったんだ。自由に発言できるメディアはなかったから」(映像を撮影した人物)

多くの人が役人の横暴なふるまいに苦しめられてきました。怒りを共有した人々は各地でデモを起こし、さらにその映像が次々と投稿され新たなデモを引き起こしました。ベンアリ大統領はデモの鎮静化を狙い、まだ息があった果物売りの若者を病院に見舞いました。その姿は国営テレビで大々的に放送されました。しかし、テレビカメラのない場所では大統領の指示を受けた警官隊がデモ隊に発砲。多くの人々が負傷し死者もでました。その映像もまたインターネットに投稿され、国民の怒りをさらに増幅させました。デモ隊は政府打倒を叫び始めました。権力を前に立ち上がる市民の勇気は兵士たちにも伝播。大統領からの発砲命令を兵士たちは拒否。ついに大統領は国外に亡命しました。若者が焼身自殺を図ってから1ヶ月たらずでチュニジアの独裁政権は崩壊しました。

チュニジアのこの動きはアラブ全土に連鎖していきました。アラブの大国エジプトでも30年に及ぶムバラク政権が3週間で崩壊。しかし、アラブの春は独裁政権に抑え込まれていた急進的な勢力を解き放つことになりました。エジプトでは政治の混乱と治安の悪化の中、軍を後ろ盾とする政権が生まれました。リビアやシリアではアラブの春は内戦にかわっていきました。シリアでは国民の半数が難民となりました。

「シリアは最悪だ。底なしに最悪だ。日増しにひどくなる。政治家たちは平和への解決策を話し合っているというが戦争は終わらず何も進まない。希望も平和もない。日々まわりにあるものが壊されていく。僕の心の中から壊れてしまうようだ」(アラブの春に参加した若者)

若者たちの絶望を飲み込み膨れ上がっていったのが過激派組織IS(イスラミックステート)でした。

 

2013 ボストン爆破テロ 進化する映像技術

2013年4月、ボストンマラソンで2つの爆弾が相次いで爆発。死者3人、負傷者300人が出るテロ事件が起こりました。この事件の犯人を捕らえたのは進化した映像技術でした。ボストンの街には至る所に監視カメラが設置されています。その映像を分析していくと不審な人物が浮かび上がりました。そして逃走する犯人を捕らえたのは赤外線によって温度を感知するサーマルカメラ。民家の庭のボートに隠れた犯人をサーマルカメラはシートごしに見つけ、テロ事件は5日で解決しました。世界では2億5000万台の監視カメラが稼働していると言われています。

テロ組織も映像技術を進化させています。ISの一連の映像はスタジオで撮影されたと言われています。ハッカーが公表した映像によれば合成もできる巨大なセットに照明機材もそろっています。ISにはメディア部門があり、報道機関などで働いた経験のある欧米人が所属しています。彼らは兵士の何倍もの収入を保証されていると言います。プロパガンダ映像には少年兵も多く登場します。ISが次の世代まで続くものだと印象づける狙いがあるとみられます。ISには世界各国から2万人もの戦闘員が集まっています。

 

新たな映像の世紀 世界はどこへ向かうのか

映像は時に世界を引き裂き、時に世界を繋ぎます。映像が誕生してから100年余り。それは人類が蓄積してきた膨大な記憶です。今、映像は世界を動かす巨大なパワーを持ちました。誰もが撮影者となり誰もが発信者となります。新しい映像の世紀に私たちはどんな記憶を刻んでいくのでしょうか。




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