バイアエ 古代ローマの陰謀と退廃の街|地球ドラマチック

NHK・Eテレの「地球ドラマチック」で古代ローマ 陰謀と退廃の街 ~海に沈んだもうひとつのポンペイ~が放送されました。イタリアのナポリ湾に世界有数の海底遺跡が眠っています。失われた古代ローマの街バイアエです。紀元前1世紀から古代ローマ帝国の高級リゾート地の一つでした。しかし、繁栄の影には暗い側面もありました。皇帝を含めた古代ローマの特権階級の人々にとってバイアエは様々な陰謀、あるいは邪悪な殺害計画の舞台ともなりました。ところが、バイアエは大災害に襲われました。街の半分は海に沈み、その存在は1000年以上も人々から忘れ去られていました。

 

特権階級のリゾート地

古代ローマ帝国の都であったローマは、想像を絶するほどの富と権力の中心地でした。当時の栄華の名残は今も数多くの遺跡にみることができます。政治家や大富豪はさらなる権力を得るために日夜策をめぐらせていましたが、厳しい元老院の監視の目が届く所では限界があります。しかし、一握りの人々は不可能なことなどないある場所の存在を知っていました。バイアエは特権階級の人々だけがハメを外すことができたリゾート地です。ナポリ湾に面しポンペイやベズビオ山のすぐ近くに位置していました。約半分が海底に沈んだバイアエの遺跡はこれまでほとんど調査されていません。しかし、ここは古代ローマの歴史において重要な舞台の一つでした。ローマのエリートたちはバイアエでバカンスを楽しみました。バイアエは世間の目を気にせずに己の快楽を密かに追及できる場所でした。常軌を逸した行為、飲酒、浜辺や船の上でのバカ騒ぎ、ここでの出来事が外に漏れることはありませんでした。地上に残る豪華な遺跡にバイアエの繁栄の跡を見ることができます。しかし、バイアエの真の姿は長年にわたり海底に隠されたままでした。街の半分以上が海に沈んでしまったからです。その海底遺跡の広さはポンペイの約3倍もあります。

 

海底遺跡の調査開始!

世界中から集まった学者のチームがこの忘れられた遺跡の調査に乗り出しました。遺跡はいずれ海の中で崩れ去ります。その前に調査を終えなければなりません。調査チームは遺跡の保全をはかりながら調査を進めています。このプロジェクトにより海底に沈んだバイアエの3Dモデルが完成します。考古学者たちを驚かせたのはバイアエには公共の建物らしきものが一つも見当たらないことでした。広場も神殿も市場もありません。どこもかしこも豪華な別荘ばかりです。別荘の一つに保存状態の良い大理石の像が残された謎めいた部屋がありました。一体何のための部屋で誰が所有していたのでしょうか。遺跡の断片的なデータを繋ぎ合わせることで2000年前の部屋の様子が再現されました。考古学者たちの考えでは、この部屋は泉の女神ニンフを祀る人工的な洞窟でした。洞窟には水がはられていて大勢の客がプールに入ったまま水面に浮かんだご馳走を食べました。それは明らかに途方もない財力を見せつけるものです。彫像の一つが小アントニア(第4第皇帝クラウディウスの母)でした。この彫像から、ここは第4第皇帝クラウディウスの別荘だったと考えられます。バイアエの海辺に別荘がどのようになっていたのかを知るのは簡単ではありません。しかし、近郊には災害を免れた遺跡があります。この遺跡から当時のバイアエの光景を推測することができます。贅を尽くした別荘は巨大で、それ自体がまるで小さな町のようでした。

 

別荘での豪華な暮らし

地下19メートルの地点で発掘されたのは海辺の壮大な別荘の食堂です。壁が全て美しいフレスコ画で装飾されています。古代ローマにおいて絵画はとても高価なものでした。特に高価だったのは青や緑です。壁画にはスタッコと呼ばれる漆喰を使った立体的な装飾も施されています。海辺のリゾート地は特権階級の人々がローマでの日常から逃れるための場所でした。人々はここでハメを外したのです。

 

海の幸への情熱

バイアエの大富豪は新鮮な魚介類をいつでも食べられるよう個人の別荘のいけすに海水をため、魚介類を養殖していました。いけすは大富豪たちが好きな魚介類を食べるため、どれほど莫大な財力を使ったかを今に伝えています。とはいえ、牡蠣などの貝類はいけすでは養殖できません。裕福さを示すため富豪たちは1度に100個もの牡蠣を食べたと言います。一方でバイアエの贅沢の裏側には暗い側面もありました。

 

皇帝ネロが愛したバイアエ

悪名高い皇帝ネロは、キリスト教徒を迫害しローマに大火事を起こしたとされる人物です。バイアエはネロにとってローマから逃れ、自らの残虐な欲望を思うがままに実現できる場所でした。ネロは贅を尽くした宴にも大金をつぎ込みました。バイアエはネロのお気に入りの遊び場でした。大国を統治しながら退廃的な日々を過ごす場所となりました。

 

街を沈めた火山の力

しかし、古代ローマの富が集まったバイアエの街は壊滅の時を迎えました。4世紀に襲った大災害によって街の約半分が海へ沈んだのです。街は破壊されましたが、一方でその歴史は海底で長い間眠り続けてきました。街の壊滅は避けられない運命でした。バイアエは火山活動が極めて活発な場所に位置していたからです。バイアエはベズビオ山とソルファターラ山を含む24もの火山に囲まれています。溶岩の地下の火山ガスが生み出す圧力が地面を動かし壊滅的な結果をもたらしました。約4万年前に誕生したソルファターラ山は現在も活動を続けています。

4世紀、地下のマグマ溜まりから溶岩とガスが大量に噴出し、地盤が20メートルも沈下しました。緩慢地動と呼ばれる現象です。豪華な別荘が立ち並ぶバイアエの街は約半分が海に沈みました。その後、マグマ溜まりには溶岩とガスが再びゆっくりと溜まっていき、バイアエの海底遺跡を海面近くにまで押し上げました。

バイアエに特有の魅力をもたらしたのは、こうした火山活動による破壊的な力でした。火山活動が活発な地域では天然の温泉が湧きます。

 

バイアエの天然温泉

古代ローマの技術者たちは自然に湧き出してくる熱湯を利用した浴場を作りました。天然の温泉はバイアエの大きな魅力でした。古代ローマ人は温泉の出るところなら何処でも浴場を作りました。今はほとんどが遺跡と化していますが、唯一「ネロの蒸し風呂」と呼ばれる浴場だけは2000年後の今も現役です。

沈没をまぬがれたバイアエのドーム型の遺跡は、何世紀にもわたって「メルクリウスの神殿」と呼ばれてきました。ドームの下には熱いサウナに入った後、体を冷ますための部屋があります。この革新的な建物は世界で初めてのコンクリート製のドームで、バイアエの街の重要性を物語っています。

 

真水を確保するために…

無限に湧き出る温泉がある一方で、バイアエは真水が乏しい街でした。真水は飲料水や調理、洗濯だけでなく別荘の噴水やいけすなどに欠かせません。一定の真水を確保するために人々は巨大な施設を作りました。ミラビリス貯水槽です。西暦1世紀当時、ローマ帝国において最大の貯水槽でした。水は約140キロ離れた山の上からミラビリス貯水槽に運ばれバイアエの街へと送られました。

ルシウス・カシウス・ケリアレスはアウグスタ水道の管理者でした。非常に重要な役職だったため強い権力を持っていました。なぜなら、この水道はバイアエを含むナポリ湾周辺の全ての街にとっての生命線で、管理者はその水をコントロールできたからです。通常なら元老院議員がつく役職です。しかし、ケリアレスは貴族どころか、かつで奴隷だった人物の息子でした。なぜネロは権力のある重要な役職に階級の低い者を起用したのでしょうか?

ネロと元老院の対立は急速に深まっていました。政策や人間性でも反感を買っていたのです。ネロは信頼のおける人物を自分の近くにおこうとしました。かつての奴隷であれ何であれ家柄など気にしていられませんでした。信頼にたる人物なら要職につけました。ネロはバイアエでは自分に忠実で信頼できる人物を権力のある地位へと昇進させました。しかし、ローマから離れた僻地で皇帝としての役目を果たすことはできたのでしょうか?

 

近くに国際貿易の中心地も!

当時、バイアエからナポリ湾を横断してプテオリという街まで道路が通っていました。今ではプテオリは静かな港町ですが、2000年前はローマ帝国の港湾都市として栄えていました。当時、ローマには巨大な商業船が停泊できる港がありませんでした。そのため、プテオリは首都ローマにとって交易には欠かせない重要な都市だったのです。

人口が密集するローマでは年間25万トンもの穀物を海外から輸入していました。輸入されたのは穀物だけでなく、あらゆる種類のスパイスも入ってきました。プテオリは穀物などの必需品から様々な贅沢品まで、あらゆる物が集まる港だったのです。プテオリは国際的な交易の中心地であり巨万の富と人が行きかう街でした。

 

ローマに続く運河を建設!?

ネロはプテオリの港とローマを運河によってつなげる計画を立てていました。距離にして約250km。古代における最も大規模な土木プロジェクトの一つです。完成すればローマからプテオリ、バイアエを直接つなぐルートができあがります。ネロはイタリア全土から罪人を工事に駆り出し、運河を掘らせようとしました。しかし、人々はそのような長い運河など自然に反する行為であり、不可能だとこぞってネロを非難しました。そして、最後にはネロの誇大妄想の一つだと結論づけました。

 

ネロの暗殺計画!

運河の建設はスタートしたものの、あまりに無謀すぎて完成には至りませんでした。ローマの支配層の間に不穏な空気が流れ始めました。ネロはローマから逃げ出すかのようにますますバイアエで過ごすようになりました。そして、たびたび友人ガイウス・カルプルニウス・ピソの別荘を訪れるようになりました。あまりに寛いでいたため護衛もつけず過ごすことも多くネロは無防備な状態でした。

実は、ピソは仲間と共にネロに対する謀反を企てていました。自分の別荘でネロを暗殺し、自らが皇帝の座につこうとしていたのです。古代の記録には暗殺計画については記されているものの別荘の位置までは書かれていません。海底調査でピソと書かれた水道管が見つかり、ピソの別荘を特定することができました。

ところが、ピソは突然心変わりをしました。自分の別荘にネロの血が流れれば美しい別荘が汚れてしまう、暗殺は別の場所で行おうと言い出したのです。計画が遅れたことで計画はネロの知るところとなりました。ネロはピソに自害を命じました。

 

ネロ 母親を暗殺

ネロの母親である小アグリッピナは冷酷で野心的な女性でした。息子ネロを皇帝にするため前皇帝を毒殺したとされ、その後も表舞台から身を引こうとはしませんでした。当初、ネロは小アグリッピナを最高の母親と評していました。しかし、小アグリッピナは内心、実権を握っているのは自分だと考えていました。ネロは操り人形にすぎず、実際に帝国を治めているのは自分だと思っていたのです。皇帝の座について5年が経つ頃、ネロは母親の介入に我慢できなくなりました。2人の対立は修復不可能なものとなり冷酷な権力闘争へと発展しました。

ネロはバイアエを舞台にした暗殺計画を練りました。ネロは母親を豪華な宴に招き、宴が終わると港へとエスコートしました。そして、母親を海に出ると沈むように細工された船に乗せました。計画通り、小アグリッピナを乗せた船は沖合で沈没。しかし、小アグリッピナは通りがかりの船に助けられ九死に一生を得ました。一方、ネロは母親の死の知らせを今か今かと待ち構えていました。母親が助かったと聞いたネロはパニックに陥りました。ネロは母親のもとへ刺客を送り込みました。刺客が近づいてくると小アグリッピナは自分の衣服をまくり上げました。そして、「刺すならここを刺しなさい」とネロが誕生した場所である子宮を指さしました。小アグリッピナは子宮を刺され暗殺されました。

 

皇帝ネロの最期

残虐で悪名高いネロの13年に及ぶ統治はやがて終わりを迎えました。西暦68年、ローマの元老院はついにネロを国家の敵と認定しました。ローマから逃亡したネロは、逃亡先で自ら命を絶ち30年の生涯を終えました。

 

古代ローマが生み出した陰謀と退廃の街バイアエは、今もなお多くの謎を秘めたまま海の底で眠り続けています。

UNDERWATER POMPEII
(イギリス/イタリア/アメリカ 2017年)




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