イエスの方舟事件37年目の真相|爆報!THEフライデー

TBSテレビの「爆報!THEフライデー(ばくほうザフライデー)」ワイドショーを騒がせたあの当事者は今…でイエスの方舟の現在について放送されました。

 

イエスの方舟事件の発端は1980年1月、「婦人公論」に掲載された告発記事でした。そこには17歳の娘を謎の宗教団体「イエスの方舟(イエスのはこぶね)」に奪われたと訴える母親の悲痛な叫びがつづられていました。

「娘が監禁されているのを目の前に見ても、私だけの証言では入ることも許されないのです。娘を救う救世主のように見せかける詐欺師的な手口はやりきれません」(記事より)

この告発記事に他のマスコミも興味を持ち、千石イエスという男が何者なのか素性を調べるようになりました。すると、宗教家と思えない裏の顔が次々と報じられました。

 

千石イエスこと千石剛賢(せんごくたけよし)は1923年、兵庫県で米問屋を営む裕福な家庭に生まれました。当時の報道によると、終戦後軍隊を辞め刃物屋を営むが倒産。そんな時、偶然宣教師と知り合い聖書に興味を持ち独学で勉強するようになりました。その後、東京都国分寺市にプレハブ小屋を建て1960年「イエスの方舟」を立ち上げました。この頃、千石剛賢は妻と娘と女性メンバー数人と共同生活を送り、包丁研ぎの仕事で生計を立てていました。一見、地味に思える仕事ですが、この包丁研ぎの仕事こそが信者を獲得する重要な手段だったと報道されました。女性メンバーが一般家庭に包丁を届けるついでに親しくなった客を聖書の勉強会に誘っていたのです。そして、若い女性が勉強会に訪れると千石剛賢は「汚れた俗世間や家庭を捨ててここに来なさい」と勧誘していました。このやり方で次々とメンバーを獲得。やがて女性たちは家族にも知らせず家出同然でイエスの方舟で共同生活を送りはじめました。若い女性の数は未成年者からOLまで10人もいました。

 

1978年4月、後に日本中を巻き込む大事件のきっかけが勃発しました。家出した娘がイエスの方舟にいると知った親たちは団体で押し寄せ娘を返すよう激しく訴えたのです。しかし、千石剛賢は「娘たちはここにはいない」と主張し親たちを追い返していました。これに対し、親たちは娘が監禁され洗脳されていると猛抗議。警察が出動する事態にまで発展しました。すると千石剛賢はとんでもない行動に出ました。

 

1978年5月2日、男女26人のメンバーをマイクロバスに乗せ集団失踪したのです。この突然の逃亡劇に娘の親たちは激怒。婦人公論の告発記事につながりました。そしてマスコミも集団失踪したイエスの方舟を見つけ出そうと連日報道。当時、南米のガイアナ共和国でカルト教団「人民寺院」の約900人が指導者のもと集団服毒自殺をはかった影響もあり、謎の宗教集団「イエスの方舟」の行方に国民の注目が集まりました。しかし、2年以上もイエスの方舟を発見することはできませんでした。いったいイエスの方舟はどうやって身を隠していたのでしょうか?

 

当時、千石剛賢が持っていた資金は包丁とぎで稼いだこれまでの貯えと、メンバーが自宅を売って用意した資金など2千数百万円。これを元手に彼らは次から次へと潜伏先をかえ人々の目を逃れていました。判明しただけでも隠れ家は全国に35か所もありました。千石剛賢が地下に潜って2年、国会でもイエスの方舟問題が取り上げられました。これにより警察の本格捜査が始まり2000人が動員されました。千石剛賢と4人の幹部は名誉棄損、暴力行為の容疑で全国に指名手配されました。

 

その頃、博多に潜伏していたイエスの方舟はいよいよ逃走資金が底をつき生活に困窮。すると千石剛賢は若い女性メンバーに生活費を稼がせるため、キャバレーで働かせました。しかし1980年7月3日、事件は劇的な幕切れを迎えました。千石剛賢の持病の心臓病が悪化しメンバーが119番通報。駆け付けた救急隊員が不審に思い警察に通報し潜伏先が発覚したのです。2年2ヶ月に及ぶ逃亡劇は幕を下ろしました。警察は指名手配されていた千石剛賢の妻など4人の幹部の身柄を確保。その直後、団体は緊急記者会見を開きました。

「責任者を美化して立派な方だと書いてくれとは言いません。ありのままを書いて欲しい。ありのままを報道して欲しいと思います」(女性メンバー)

全メンバーが千石剛賢を擁護。報道されていたカルト教団説を否定しました。そして、名誉棄損容疑をかけられていた千石剛賢は病院から警察へ出頭。しかし、結果は不起訴に。容疑の事実は一切無かったとされ4人の幹部とともに嫌疑不十分で不起訴になったのです。若い女性たちは親に引き取られ無事解放されました。イエスの方舟事件は終わったかに思われました。

 

しかし、千石剛賢が警察に出頭してから半年後、家族の元へと帰っていた娘たちがイエスの方舟に再集結。何事もなかったかのように再び千石剛賢の元で共同生活を始めました。一方、千石剛賢はメンバーたちが暮らす住居を作るため自ら大工となり福岡県古賀市に教会兼自宅を建設。26人のメンバーと共に活動を再開させました。世間を騒がせた千石剛賢は多くの謎を残したまま2001年に多臓器不全で亡くなりました。

 

事件から37年、イエスの方舟は現在も福岡県古賀市に当時のまま教会が残っています。そして今も変わらず活動を続けています。メンバーのほとんどが千石剛賢と逃避行を共にした女性たちです。現在のイエスの方舟の責任者は千石剛賢の妻・千石まさ子さん(84歳)です。

現在、共同生活を送っているのは当時のメンバー13人と事件を経験していない新メンバー3人。彼女たちは口論することもほとんどないと言います。その裏にあるのは千石剛賢が作り上げた4つのルールです。

1、全てのものが共有財産
ここでは個人の財産はなく全てのものが全員の共有財産です。お金は経理係が管理。個人の財布は持たずショッピングはみんなで行き、その時に欲しいものを各々が購入します。部屋は1人1部屋与えられています。食事は週替わりで3人の当番制です。献立は担当の人間が考えますが、盛り付けや片づけは全員で行います。

2、不倫はNG 恋愛は自由
結婚するとここを出て夫婦生活を送ることになると言います。

3、外出する時は必ず2人行動
万が一トラブルに巻き込まれた際、助けを呼べるように作られたルールです。

4、
37年前、キャバレーで働いていた彼女たちは、事件後も働き先がなくお店を作りました。彼女たちは週6日、交代制で働き、その稼ぎがイエスの方舟の活動資金になっています。ちなみに値段はチャージ料8000円で時間制限なし。彼女たちは歌や踊りのショーも披露しています。代表の千石まさ子さんも和太鼓を披露しています。

 

洗脳され家族を捨て共同生活に走ったのか?

千石まさ子さんいわく、イエスの方舟に集まったきたほとんどが人生に深い悩みを抱えた女性たちだったと言います。家族や職場の人間関係に悩み救いを求め決死の思いで飛び込んできたのです。

「自分自身の人生に納得がいかない状態。特別何かがあってという事ではない。何かが違うっていう1つの不足感。人生にたいする不足感を強く思ってた。聖句を読んだ時は目から鱗でした。こういう世界があるんだっていう手ごたえがありました」(40年来のメンバー井上安子さん)

共同生活を送りたいと希望する安子さんに対し、千石剛賢は両親の許可を取るように求めました。しかし、親に理解してもらえず家出同然で家を飛び出したと言います。つまりメンバーたちは洗脳されていたのではなく家族と衝突しながらも自らの意志で共同生活を選んだのだと言います。

 

千石ハーレムは本当にあったのか?

実は元々心臓が弱かったという千石剛賢。さらに事件当時はストレスと心労から持病の心臓病が悪化。病弱の身でありハーレムなどは存在しなかったと言います。




コメント

  1. 被害者家族、霊感商法と戦っている弁護士へのインタビューは一切無く、
    教団のコメントを鵜呑みにしていました。またマインドコントロールという言葉は
    一度が登場しなかったことは驚きでした。
    「自分の居場所を見つけたい人が見つけたのは確か、良い悪いの問題じゃない」
    (見城美恵子氏)、「本人たちが幸せだからとやかく他人が言う問題じゃない、
    日本は変わってきている」(テリー伊藤氏)は、あたかも「ハッピーエンド」のように
    コメントしていましたが、統一教会を始めとするカルト集団による組織的被害の
    拡大は続いています。
    TBSは、オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件に加担した当事者なのに
    カルト教団に対する恐怖心を忘れてしまったということでしょうか。

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