2006年に亡くなった俳優の丹波哲郎(たんばてつろう)さんの代表作といえば「Gメン’75」です。最高視聴率32.2%をたたき出し、7年間も土曜夜9時の顔としてお茶の間を魅了しました。世界的映画「007」シリーズにも出演。出演料は破格の8000万円でした。
そして、西荻窪に敷地220坪の大豪邸を建設。値段は推定5億円。元祖国際スターとして不動の地位を築き上げました。
霊界の宣伝マンに転身
しかし、晩年に突然俳優からの転身宣言。俳優から霊界の宣伝マンに。30代後半から興味を持っていた死後の研究に没頭。65冊もの本を出版し、世間に霊界ブームを巻き起こしました。
しかし、この霊界ブームがのちに家族を苦しめることになりました。
借金8億円
発端は1989年、自らが監督・脚本をつとめた映画「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」で莫大な借金を背負ってしまったのです。その額は推定8億円。しかし、丹波哲郎さんは借金のことを知らなかったと言います。
実は、丹波哲郎さんは俳優になる前はしがないサラリーマンでした。28歳で脱サラして俳優を目指していました。夫の夢を応援していた妻・貞子さんは、丹波哲郎さんにお金の心配をさせたくないとデビュー当時から金銭管理をすべて行っていました。
それは丹波哲郎さんが芸能界で成功した後も続いた結果、映画「大霊界」で事件に発展。丹波哲郎さんは自分の理想を追い求めCGなど当時の最新技術を駆使。そのためかかった制作費は推定15億円。
この莫大な制作費を知らない丹波哲郎さんは翌年「大霊界2~死んだらおどろいた!!」を製作。この作品でもエキストラを1万人出演させるなど大規模な演出を行った結果、制作費は推定18億円に。そして丹波哲郎さんはこの2作品で8億円の借金を抱えることになりました。
しかし、妻の貞子さんは借金のことを丹波哲郎さんに隠していました。それは夫を俳優・丹波哲郎で死なせてあげるため。貞子さんは夫に借金のことを一切知らせることなく8億円をコツコツ返済していきました。
ところが1997年4月16日、丹波哲郎さんをこの世に残し貞子さんが死去。妻の死で丹波哲郎さんは莫大な借金のことを初めて知りました。
そして貞子さんの死から9年後、2006年9月24日に丹波哲郎さんは亡くなりました。
8億円の借金は自宅を売却して完済したそうで、遺産は1円も残っていなかったそうです。
「爆報!THEフライデー」
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