16世紀~17世紀にかけヨーロッパで猛威をふるった魔女狩り。ごく普通に暮らしていた人がある日突然近所の知り合いから魔女と疑われ魔女裁判にかけられる。その結果、殺された人の数は約6万人。なぜ自分の隣人が魔女だと信じ込み、執拗なまでに正体を暴こうとしたのでしょうか?
その謎に迫る鍵は当時ヨーロッパで絶大な影響力を持ったキリスト教の世界観にあります。人間が暮らしを育む世界は神が作ったもの。それは神が生んだ光のもとにある。しかし、光あるところには闇があります。悪の根源サタンは元は神に仕える天使だったにも関わらず神に逆らった裏切り者です。そこから悪魔が神に対抗するために人間をたぶらかし手先としたのが魔女という考えが生まれました。
魔女を生み出すのは悪魔を崇拝する集会「サバト」元々善良な人が悪の誘惑に負け悪魔との性的な交わりによって魔女となる契約を交わします。魔女とは神のおかげで人間として生まれながら悪魔に魂を捧げてしまった裏切り者なのです。
魔女は「魔女術」によって人々に災いをもたらします。例えば天候不順による凶作。食べ物が不足し飢え死にする飢饉。目に見えない原因で次々に死ぬ伝染病。その時、人々は魔女のせいだと考えたのです。
魔女裁判
ある日突然魔女の疑いがかけられます。知り合いの誰かが密告したのです。根も葉もない噂がたつだけでも逮捕され、裁きの場へ。魔女裁判は魔女かどうかを判定する場です。
法廷での尋問を前に全身の毛を刈られます。魔女の毛にそなわっているとされる魔力を封じるためです。そして裸にされ悪魔と契約した時に体についた証拠「悪魔の爪痕」がないか全身を調べられます。悪魔の爪痕とは、ほくろやシミ、イボなど誰の体にもあるものでした。
しかし、裁判の決まりではまだ魔女だと断定することはできません。最後の決め手は自白です。
到底理性的とは思えない残酷な拷問ですが、当時の法律では拷問による自白には重要な必要性があったと言います。
魔女裁判での拷問では容疑者が自白する前に死んでしまうことも少なくありませんでした。
拷問の果て、魔女だと自白した者に待っているのは死刑の宣告のみ。魔女狩りは悪魔と契約し災いをもたらす裏切り者を、神と人間の側へと取り戻す闘いでした。世の中に満ちた不安が無実の人への恐怖と憎しみとなり6万人ともいわれる犠牲者を生み出していったのです。
始まりはたったひとりの男
そもそも魔女とは紀元前の古代ギリシャ・ローマの昔から神話や文学の中に存在していたと言います。おとぎ話にも出て来るような森の奥深くに一人で暮らし、妖術を使うおばあさん。でも、薬草の知識も持っていて人助けもする。悪魔とは関係ない人たちでした。
悪魔と契約した魔女という新しいイメージが世に広まったのは16世紀以降のこと。始まりはたった一人の聖職者でした。15世紀後半にドイツで活動した異端審問官のハインリッヒ・クラーマーです。
カトリック教会が正統と認める教義から逸脱した教えを「異端」とし宗教裁判で裁くこと。いわばカトリック内部の裏切り者を見つけ出し糾弾する裁判官のような立場が異端審問官。
クラーマーは異端審問官としての功績が認められ、ローマ教皇インノケンティウス8世から直接権限を与えられるほど職務に熱心な人物でした。
1485年、オーストリア・インスブルックを訪れたクラーマーは通常とは異なる異端審問を開始しました。魔女狩りです。何と50人もの女性に魔女の疑いをかけ逮捕。本来必要な正式な証人をつけずに尋問を進めるなど異様な裁判を強行しました。
地元の反発を受け、クラーマーは裁判に敗れました。敗北の屈辱、危機意識のない世間への怒り…
世界を変えた禁断マニュアル
そこでクラーマーは魔女の恐ろしさを世間に知らせる本の執筆にとりかかりました。魔女撲滅を目指すための解説書「魔女への鉄槌」です。
「魔女とは何か」「悪魔との関係」「魔女がもたらす災い」「魔女との戦い方」など魔女についての様々な知識が250ページ以上に渡りびっしりと記されています。中には魔女裁判のやり方も記されていて、魔女を見極めるポイントや容疑のかけ方・尋問・拷問のやり方までまとめられています。
魔女術は偉大なる神に対する大逆罪である。そのため、魔女を告発する証人は誰であってもかまわない。例え犯罪者の証言であったとしても魔女に対抗するためには認められるべきだ。
また、この「魔女への鉄槌」でクラーマーは女性全般が悪魔に取り込まれやすいと指摘。その理由は女性への偏見に満ちていました。
悪魔の主な目的は信仰を腐敗させることである。女性は信仰心が少なく肉欲に支配されている。だから悪魔は女性を狙うのだ。
1486年、「魔女への鉄槌」が出版されました。発明されて間もない活版印刷の技術により、当時としては破格の3万部が世に出たと言います。
こうして魔女狩りで悪魔と戦うという発想がヨーロッパの人々に少しずつ浸透していきました。
狙われるのは心の弱さ
出版から100年経った16世紀の終わり、原因不明の不幸がヨーロッパを襲いました。それが引き金となり魔女狩りは爆発的に広がりました。
社会不安がある所に魔女狩りは広がっていきました。「魔女への鉄槌」などマニュアルがあれば聖職者でなくても魔女狩りができるようになり、ついにはそれを仕事として稼ぐ人物まで現れました。
1640年代、イングランドで魔女狩り将軍と名乗ったマシュー・ホプキンス。彼は各地を旅し、その先々で村人から報酬を受け取り無実の人を数百人魔女として処刑したと言います。そのやり方は卑怯にも人の心の弱さを利用するものでした。
なかなか白状しないしぶとい魔女の場合はその子どもを逮捕するとよい。逮捕した子どもをうまく扱えば母親と相反する申し立てをするからである。
ホプキンスの著書より
クラーマーが悪魔との戦いを願って記した「魔女への鉄槌」は無数の人間を互いに裏切り、殺し合う地獄へと引きずり込んでいったのです。
美しい町の悲劇の記憶
ドイツ南部バンベルクは10世紀から神聖ローマ帝国の都市として栄え、今でも中世の古い町並みが残ることから世界遺産に登録されています。この美しい町では1600年代前半に魔女狩りの嵐が吹き荒れ、町のあらゆる階級の約900人が殺されました。
当時のバンベルク市はカトリックの司教が所有する広大な領地の一部でした。この領主である司教に魔女狩り支持者が続いたのです。特にヨーハン・ゲオルク2世は、魔女司教と呼ばれるほど魔女の撲滅を頑なに主張する領主でした。そんなゲオルク2世は当時起きていた冷害、人々の間に広がる不安をきっかけに魔女狩りを開始しました。
1627年、バンベルクの魔女狩りの標的は突然特権階級へと向かっていきました。始まりは市議会議員の長男14歳のハンス・モアハウプトの身に起こったささいな出来事でした。
6月のある日、ハンスは学校で「ファウスト博士」を読んでいました。悪魔に魂を売った男の物語です。すると、「この本は不適切だ。誰から受け取った?」と教師に詰問され、ハンスは「この本はうちの召し使いがくれたんだ」と答えました。召し使いは悪魔の教えを広げる魔女として逮捕されてしまいました。
例え拷問を受けても知らない名前は言いようがありません。彼女は知っている名前、ハンス少年とその母親の名前をあげました。この2人も逮捕され魔女の名を話すように迫られました。
ハンス少年から始まった特権階級の告発の連鎖は、裕福な商人や神学者、政治家へと広がっていきました。
こうした不合理な魔女狩りに反対する権力者がいました。バンベルク市の市長ヨハネス・ユニウスです。しかし、いくら市長が抵抗しようともその上に立つ君主ゲオルク2世が勧める以上、魔女狩りを止めることはできませんでした。
ユニウス市長も捕らえられ厳しい拷問を受けました。度重なる拷問の後、獄中のユニウスから町に残した娘への手紙が残されています。そこに残されていたのは無実の友人たちを巻き込んでしまった悲痛な後悔…
いとしい娘よ
ユニウスから娘への手紙より
私は厳しい拷問、激しい苦痛から逃れるために自白してしまった。はじめに「サバトで誰を目撃したのか」と聞かれた時、私は「知らない人ばかりでした」と答えた。すると次は「市場の通りから町の全部の通りを引きずり回せ」と命じられた。通りを引きずられながら私はそこの家に住む人々の名前を次々に言わされた。それが魔女の名前を自白することになったのだ。
ユニウス市長が名前を挙げさせられたのは35人。その中にはバンベルク市の元市長、司教領宰相などそうそうたる政治権力者まで魔女とされたのです。
1631年、状況は一変しました。バンベルクを脱出した人々が周辺の大都市の権力者に助けを求めたのです。ウィーンやシュパイヤーなど大都市には大学など学術機関もあり、魔女狩りを理性的に否定する知識階級が大勢いました。
最高裁判所は直ちにゲオルク2世に対し、皇帝の名のもと不当な魔女裁判を禁止する命令を出しました。さらに、当時ドイツを中心に争われていた戦争の煽りを受けてゲオルク2世がバンベルクから逃亡。理性的な判断ができない支配者がいなくなった途端、民衆は魔女狩りをやめたのです。
暴走を止めた「人の理性」
時を同じくしてヨーロッパの各地でも魔女狩りの嵐を鎮める動きが強くなりました。ドイツで発表された魔女裁判、関係者からの内部告発「検察官への警告」筆者はドイツ人司祭フリードリヒ・シュペーです。ただし、素性が知られると魔女狩りにあう危険性があるため匿名で発表しました。
告発者シュペーは、処刑直前の人々の最後の告白を聞く聴罪司祭。200人以上の悲痛な叫びを聞き続け、自らの過ちに気づいたと言います。
かつて私はこの世に多くの魔女がいることについて全く疑わなかった。しかし、今となっては魔女はほとんど存在しないと信じている。魔女裁判がこのまま続けば領地の村々は根絶やしとなり戦争の被害よりも激しく荒廃することになるだろう。そうなれば、どこの領主も魔女裁判をやめざるをえなくなるはずだ。
やがて、人間の理性を重視する時代へ。各地で魔女狩りを禁止する法律などが定められると、18世紀の中頃ヨーロッパから魔女狩りは消えました。
新世界でよみがえる悲劇
ところが、魔女狩りは意外なところで復活しました。それは古き伝統のヨーロッパを離れた人々が移り住んだ新大陸アメリカです。
マサチューセッツ州セイラムは、ヨーロッパからの移民が最初に開拓を始めた街の一つです。この小さな村で1692年、魔女狩りが始まったのです。
ある日、集団で異常行動をとりはじめた9~20歳の少女10人以上。
当時、アメリカ各地の入植地では、先住民たちの襲撃や伝染病の流行、農作物の不作など多くの社会不安を抱えていました。
セイラムの魔女狩りは1年半にわたり続き、人口1700人のうち逮捕者は約200人、処刑者は19人にのぼる惨劇となりました。
魔女狩りを進める権力者などはいませんでした。不安を抱えた村人たちの背中を幼い娘が押すだけで大人たちは自分の身を守ろうと隣人同士で殺し合ったのです。
悲劇はいつでもよみがえる
そして21世紀、現代社会のごく普通の人々がある日突然無実の人を集団で暴行。時に殺害に至る事件が世界各地で相次いでいます。原因はSNSに書き込まれた不安を煽るデマ。
2019年のパリ、少数民族ロマに「誘拐犯」というデマが流れ、ロマの人々が襲われる事件が相次ぎました。
2018年のインドでは、見慣れぬ車を住人たちが襲撃。きっかけは一人の住民の「誘拐犯がいる」というSNSへの書き込みでした。車の外で殺害された二人はただの観光客でした。
2018年のメキシコでは、男性2人が集団リンチのすえ焼き殺されました。デマを信じた人々は遺体をスマートフォンで撮影し続けました。
時代や地域、民族、文化を問わず、人々に不安が満ち理性を失った時、魔女狩りはいつ・どこにでも蘇るのです。
「ダークサイドミステリー」
魔女狩りの恐怖
なぜ人は、隣人を追いつめたのか?
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