エリザベス1世は大英帝国繁栄の礎を築いた人物とされ、今も絶大な人気があります。あらゆる栄光と権力を手にしたエリザベス1世の最大のライバルが、スコットランド女王のメアリ・スチュアートです。その美貌に言い寄った王侯貴族は数知れず。3度の結婚生活を送り、奔放なる愛に生きた女王です。
白百合の女王 メアリ
メアリ・スチュアートは、生後6日にして父を亡くしスコットランド女王となりました。そして、5歳でフランス皇太子フランソワの婚約者となり、フランスの宮廷で美しさと洗練されたセンスを身に着け育ちました。
メアリ・スチュアートは世界で初めて白いウェディングドレスを着た女性として知られています。白百合のように肌が白く、天上の女神の100倍の美しさだとフランス王家の人々も大絶賛したと言います。
しかし、病弱だった夫の死により18歳で未亡人に。母国スコットランドに帰国することになりました。
薔薇の処女王 エリザベス
一方、エリザベスは過酷な境遇におかれていました。暴君だった父ヘンリー8世は、男子の世継ぎを得るため6度も結婚。そのために離婚が許されないカトリックを捨て、英国国教会まで作りました。
中には殺された王妃もいました。エリザベスの母アン・ブーリンがその一人。エリザベスが2歳の時、不貞をおかしたと断頭台へ送られてしまいました。
エリザベスも王位継承権を剥奪されました。反逆者として塔の中に幽閉されていました。
しかし、王位を継いでいた姉が亡くなると、エリザベスのもとに王位が転がりこみました。25歳の時でした。
2人はなぜ敵同士に!?
当時、ヨーロッパ全土でカトリック対プロテスタントの宗教対立が起こっていました。メアリはカトリック、エリザベスはプロテスタントを信仰していました。
そんな両国を手に入れようと大国スペインが常に狙っていました。二人の女王にもたびたび結婚話を持ち掛け、揺さぶりをかけていました。
そんな情勢を背景にスペインをはじめ各国の王侯貴族が、若くて美しい未亡人メアリ・スチュアートをめぐり争奪戦を繰りひろげました。
ところが、メアリ・スチュアートが再婚相手に選んだは4歳年下のイケメン貴族ダーンリー卿。国の発展よりも目の前にあった愛を選んだのでした。
メアリ・スチュアートは24歳で男の子ジェームズを出産。待望の世継ぎの出産にスコットランドの国民たちは歓喜しました。
一方、エリザベスは国の繁栄に力を注ぐため、大国に乗っ取られてしまわないように誰とも結婚しないことを決意。
「私は国と結婚した」
そんなメアリ・スチュアートとエリザベスはいとこ同士。手紙のやり取りが残されています。
メアリ・スチュアートはイングランド王ヘンリー7世の曽孫で、彼女にも正統な王位継承権がありました。
メアリ女王の転落人生
幸せを手にしたかに見えたメアリ・スチュアート。しかし、そこからメアリの人生は急展開。ダーンリー卿は、粗暴でわがまま。2人の愛は急速に冷めていきました。
そんな時、凄惨な事件が起こりました。ダーンリー卿が嫉妬からメアリお気に入りの音楽家リッチオをメアリの目の前で刺殺。この衝撃的なニュースは、スコットランド国民の間にも広まりました。
その後、ダーンリー卿は爆破され殺されました。メアリ・スチュアートは事件の3か月後に再婚。相手は爆破事件の容疑者ボスウェル伯でした。
粗暴だった年下夫を殺害して新しい夫と結婚したのではないか、そんな疑念から国民の心は離れていきました。
ついに反乱が起き、メアリ・スチュアートはレーベン湖にある孤島に幽閉されてしまいました。メアリ・スチュアートがやって来た時、城の中にはベッドはおろか家具一つなかったと言います。
囚われたメアリの運命は!?
メアリ・スチュアートは王位を剥奪され、1歳だった息子ジェームズとも引き離されてしまいました。この時、メアリ・スチュアートが頼ったのはエリザベス1世でした。エリザベスから届いた慰めの言葉を信じたのです。
「あなたの女王としての立場を守ります」
メアリ・スチュアートは島を脱出しイングランドに向かいました。しかし、待っていたのはエリザベス1世の手痛い仕打ちでした。
メアリ・スチュアートはロンドンから遠く離れた城や宮殿を転々とさせられ、長く軟禁状態にされました。不自由のない生活はできたものの、一挙手一投足は全て監視されていました。メアリ・スチュアートの再三の要求にも関わらず、エリザベス1世は決して会うことはありませんでした。
メアリ・スチュアートはフランス王室時代に習った刺繍を来る日も来る日も続けたと言います。刺繍にはこんな言葉が残されています。
「時間と共に私の悲しみが消えることを願う」
そのまま18年の月日が流れメアリ・スチュアートは44歳になっていました。
ある日、暗号で書かれた手紙が届きました。
メアリの暗号を解読せよ!
イギリスのスパイ機関はメアリとエリザベス、2人の女王の対決から生まれました。
当時、エリザベス1世を殺害してメアリ・スチュアートを救出する計画は20回以上たてられていました。フランシス・ウォルシンガムは謀略からエリザベス1世を守るため1000人以上のスパイを放ち警戒していました。
そんなウォルシンガムの目を盗んで届けられたのが暗号の手紙です。
メアリの暗号は、コードブックの記号とアルファベットを照らし合わせることで読めるようになります。さらに、ナルと呼ばれる意味のない記号をわざと文に挟み込むことで解読をより複雑にしています。他にも、教皇やスペイン王、エリザベス1世などを表す特別なコードも作られていました。
最後に微笑んたのは?
この暗号の手紙もウォルシンガムに見つけられてしまいました。さらに、メアリの部屋から暗号のコードブックも発見され、メアリ・スチュアートがエリザベス1世に反逆した決定的な証拠とされてしまいました。しかし、メアリ・スチュアートは最後まで無実を主張していたと言います。
メアリの死刑執行令状にエリザベス1世はサインし、メアリ・スチュアートは断頭台へと送られることが決まりました。
処刑の日、断頭台に立つメアリ・スチュアートが真っ黒なマントを脱ぎ捨てると、燃え上がるような緋色のドレスがあらわれ、その美しさに見物人はどよめいたと言います。メアリ・スチュアートは処刑人の斧が首をはねるまで女王としての威厳を保ちました。
メアリ・スチュアートが処刑される6時間前にフランス王アンリ3世に送った手紙が残されています。
私は明日の朝、従姉妹である女王の手によって処刑されます。私の息子ジェームズのことをあなたに託します。彼の考えを代弁することは私にはもう出来ませんが、彼の望むことに力を貸してお上げください。
(メアリ・スチュアートの手紙より)
メアリ・スチュアートの処刑の報を伝えられたスペインは、イングランドに無敵艦隊を差し向けました。しかし、エリザベス1世はそれを待ち受けるかのようにアルマダで撃退。この戦いの勝利により大英帝国繁栄の道を開きました。
全てを手に入れたエリザベス1世は、メアリ・スチュアートの死の16年後、69歳で亡くなりました。生涯結婚せず子供がいなかったエリザベス1世。彼女が大英帝国の繁栄を託し王位を譲ったのはメアリの息子ジェームズでした。
これによりイングランドとスコットランドが連合国に。現代にいたるまでメアリ・スチュアートの血筋がイギリス王家に脈々と流れていくこととなりました。
メアリ・スチュアートが残した刺繍にはこんな文字がつづられていました。
In my End is my Beginning
(我が終わりにはじめあり)
「世界ふしぎ発見!」
メアリvs.エリザベス 美しく哀しき女王の物語
この記事のコメント
エステル博士は、どこの博士でしょうか?
私は、大学で卒論で、ジェーングレイについて調べています。ただ、ジェーングレイについての史料が少なく、ふしぎ発見を見て、エステル博士なら知っているのではと、手紙かメールを送りたいと思い、この場をおかりしました。