マリー・アントワネットと石の心臓~知られざる母と子の物語~|世界ふしぎ発見!

TBSテレビの「世界ふしぎ発見!」でアントワネットと石の心臓~知られざる母と子の物語~が放送されました。

 

1795年6月9日、タンプル塔の遺体安置所で人知れず死体の心臓が盗まれました。タンプル塔はフランス最後の王妃マリー・アントワネットとその家族が最後に幽閉されていた牢獄です。その心臓は200年の時を経てサン・ドニ大聖堂に保管されています。サン・ドニ大聖堂は別名「死者の都」と呼ばれ地下には1000年に及ぶフランス王家の墓が安置されています。その心臓はひからびて石のようになっています。この石の心臓は誰のものか200年以上もの間フランス最大のミステリーとされてきました。

 

マリー・テレーズはフランス革命で惨殺されたアントワネットの家族の中で一人だけ生き延びた娘です。マリー・テレーズは「マリー・テレーズ回想録」に家族で過ごした最後の日々を克明に書き残しています。その本にはアントワネットの意外な一面が書かれていました。

 

ヴァンドーム広場は世界に名高い高級宝飾店街です。その中でもパリで最も歴史と権威ある宝石店と言われるのがメレリオ・ディ・メレー。1613年の創業から今年で400年を迎えます。店の地下書庫には3000冊を超える歴代の顧客名簿とデッサン集が保管されています。アントワネットもこの店のデザインが気に入り9代目ジャンバティスト・メレリオは専属デザイナーとして王妃の寵愛を受けたと言います。宝石に目がなかったアントワネットでしたが子どもが生まれてからはさらに珍しい宝物を集め始めました。

 

幼くしてヨーロッパ中の富と権力が集まるヴェルサイユに嫁いだアントワネット。その若さと美貌は彼女を浪費へと駆り立てました。でも、何よりも彼女に期待されていたのは世継ぎを産むことでした。アントワネットは結婚8年目でようやく子どもを授かりました。出産を人一倍喜んだのはアントワネットの母でオーストリアの女帝マリア・テレジア。彼女は娘に出産祝いとして蒔絵(まきえ)をプレゼントしました。蒔絵は漆器に金粉などを貼付け文様を引き立たせる日本の伝統的な工芸品です。この繊細で優美な日本の工芸品にアントワネットはすっかり魅了されました。

 

長女マリー・テレーズを出産したアントワネットでしたが王室の子育ては一般の常識とは大きくかけ離れたものでした。王妃には子育てだけで100人近くの侍女がいたそうです。乳母はもちろんのこと歯科医、ヘアデザイナー、医者、教育係、洗濯係、給仕係、銀器磨き係、案内係、家具職人、ゆりかご係など。ヴェルサイユにおいて子育ては国家の仕事だったのです。そのためアントワネットの仕事は子どもを生んだ時点で終わっていました。しかし、自分流の子育てをしたくなったアントワネットはヴェルサイユの敷地の一角に子育てのための楽園「アモー」を造りました。アモーは莫大な建設費を投じ4年の月日をかけて完成。自然溢れる環境で王妃は自ら農夫の格好をして野菜を育てたり牛の乳を搾ってチーズを作ったりしながら子育てを楽しんだと言います。

 

マリー・テレーズの出産から6年後、弟ルイ・シャルル(ルイ17世)が生まれました。アントワネットはルイ・シャルルのことを「シュー・ダムール(愛するキャベツちゃん)」と呼んでとりわけ可愛がりました。フランスでは男の子はキャベツ畑から生まれると言い伝えがあるのです。庭園にはシャルル専用のお花畑があり毎日自分で摘んだ花を母親に届けていたと言います。しかし、当時のフランスは不作が続き国民は明日のパンすら買えず貧困にあえいでいました。重税に苦しむ本当の農民から見たらアモーで農民の真似事をする王妃は憎むべき存在でしかなかったのです。この頃、街には王妃を批判する新聞やビラが飛びかいました。

 

1789年、ついに民衆の不満が爆発しフランス革命が始まりました。この時アントワネットは34歳。一家はヴェルサイユ宮殿を去り牢獄タンプル塔に身を落とすこととなりました。長女マリー・テレーズは「マリー・テレーズ回想録」に当時の家族の様子を書き残しています。

「1792年8月13日、私たち家族はタンプル塔に収容されました。当時私は13歳、シャルルは7歳でした。囚われの身ではありましたが、ここでは家族が1日一緒に過ごすことが出来ました。毎日決められた時間に家族揃って食事を摂りその後は父がシャルルに勉強を、母が私に刺繍を教えてくれました。夕食後はみなすごろくやトランプをしてからベッドに入るのが日課でした。」

 

しかし、家族がそろって暮らせたのはわずか5ヶ月でした。国王の処遇をめぐって行われてきた裁判の判決が下されたのです。1793年1月21日、ルイ16世は処刑されました。革命はさらに激化し1年間で反革命派4万人が処刑されました。またルイ・シャルルが革命派によって塔の別室に幽閉されてしまいました。そしてマリー・アントワネットは死への通路と言われるコンシェルジュリーへと移され、1793年10月16日に処刑されました。シャルルにはアントワネットの死が伝えられることはありませんでしたが、母の亡き後もタンプル塔の中庭で花を摘んではアントワネットの牢獄の前に置いていたと言います。

 

1795年、シャルル(ルイ17世)はタンプル塔の独房でわずか10歳にして病死したと言われています。「マリー・テレーズ回想録」でも弟の行方は謎のままとされています。ルイ17世の墓はサントマルグリッド教会の共同墓地に残されています。しかし埋葬された遺体はこの場所から見つかっていません。そのため、タンプル塔で死んだ少年は身代わりでルイ17世は無事に脱出したのではないかという憶測がとびかっています。

 

サン・ドニ大聖堂に保管されている石の心臓はタンプル塔で死んだ少年を検死した医者ペルタンが持ち帰ったものでした。当時、高貴な人の遺体には聖なる力が宿るとされ、特に心臓はその人そのものを表すとされました。その後心臓はフランスの2度の革命、2度の大戦を乗り越え盗まれたり発見されたりを繰り返しながらフランスからイタリア、オーストリアからドイツ、スペインとヨーロッパ中を旅したと言います。

 

この謎の心臓をルーヴェンカトリック大学のジャン=ジャック・カシマン教授が解き明かしました。心臓からDNAを取り出し、マリー・アントワネットの母マリア・テレジアが持っていたロザリオに彼女の子供16人分の髪が保存されていることを知りDNA鑑定を行いました。その結果、タンプル塔の石の心臓はアントワネットにとても近い家族のものであることが証明されたのです。100%ではありませんが、99%ルイ17世のものであることは間違いないとジャン=ジャック・カシマン教授は言います。2004年6月8日、ルイ17世と確定された心臓は長い旅を経て歴代フランス王が眠るサン・ドニ大聖堂に辿り着きました。ルイ17世の隣には最愛の母アントワネットと父ルイ16世が埋葬されています。200年もの時を経て、ようやくまた一緒になれたのです。




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