ナポレオンの幸運の女神ジョゼフィーヌ|世界ふしぎ発見!

TBSテレビの「世界ふしぎ発見!」でナポレンの幸運の女神 バラの女王ジョゼフィーヌが放送されました。

 

ティアラの秘密

ショーメはヨーロッパの王室から絶大な支持を集めるフランスの名門宝石店です。この店の看板商品はティアラですが、実はジョゼフィーヌとティアラには深い繋がりがあります。ティアラは元々ナポレオンの戴冠式でジョゼフィーヌが身に着けたのを機に広まりました。ジョゼフィーヌのティアラは代々ヨーロッパの王妃に受け継がれモナコ公妃グレース・ケリーがつけたことでも知られています。

 

ナポレオンとの愛の館マルメゾン

マルメゾン城はナポレオンが戦争で不在の間にジョゼフィーヌが一目惚れして勝手に購入してしまったものです。ナポレオンもこの館を気に入りパリの宮殿よりもここで仕事をすることの方が多かったと言います。ジョゼフィーヌはカリブ海の島マルティニーク島出身です。

 

16歳でパリへ 波乱万丈人生

マルティニーク島は花の島と言われるほど自然が豊かです。この島で育ったジョゼフィーヌは植物が大好きな明るい少女でした。16歳の時にフランス貴族との結婚のため単身パリへ渡り2人の子供を授かりました。しかし26歳の時にフランス革命が勃発。革命の動乱の中、貴族であるジョゼフィーヌ夫妻も逮捕され夫は処刑されてしまいました。3ヵ月後テルミドールのクーデターが起こり革命の急進派が政権を追われ貴族たちは解放されました。ジョゼフィーヌは処刑をまぬかれたのです。パリでは10年ぶりに社交界が復活。革命の恐怖から解き放たれ街は華やかに賑わいました。この時ジョゼフィーヌは32歳。シングルマザーとして強く生きていく決心をしました。洗練された大人の女性として数々の男性と浮名を流したのもこの頃です。そしていつしかパリ社交界の花形に。そんな時出会ったのが6歳年下のナポレオンでした。

 

ナポレオンとの運命の出会い

2人の出会いのきっかけを作ったのはジョゼフィーヌの息子ウジェーヌでした。当時26歳のナポレオンはバンデミエールのクーデターを鎮圧。武装解除の命令を出し一軒一軒から武器を回収しました。父の形見の剣を返して欲しいというウジェーヌの真摯な姿にナポレオンは心を打たれ剣を返しました。翌日、そのお礼に訪れたジョゼフィーヌと出会ったのです。ナポレオンは地中海に浮かぶ島コルシカ島出身で、軍の有望株だったとはいえコルシカ訛りが抜けずお世辞にも洗練された大人の男とは程遠かったのです。そんな自分にも愛想良く優しい社交界の華ジョゼフィーヌに一瞬に心を奪われてしまいました。そして1796年に2人は結婚。出会ってわずか5ヶ月のスピード婚でした。

 

ナポレオン227通のラブレター

ナポレオンは生涯で227通のラブレターをジョゼフィーヌに送っています。ナポレオンは結婚した2日後にはイタリア遠征へ。毎日ラブレターをしたためました。一方ジョゼフィーヌは友人に「愛しているかと聞かれたら愛しているわけではありません。嫌いなのかと聞かれたらそういうわけでもありません」という手紙を送っています。結婚した時ジョゼフィーヌは32歳で決して若くはありませんでした。子供の将来を考えて結婚したのかもしれません。どんなに激しい戦闘があった日でも、どんなに仕事が忙しい日でもナポレオンが妻に手紙を書かない日は一日もありませんでした。しかしジョゼフィーヌから来る手紙はたまにで短いものばかり。というのもジョゼフィーヌには手紙を書く暇などなかったのです。なぜなら9歳も若い愛人に夢中になっていたからです。早く勝てば早くジョゼフィーヌに会えるという恋のパワーが後押しをしたのかナポレオンが赴任してからフランス軍は破竹の勢いで負け知らずに。歴史的な連戦連勝を重ねました。

 

不倫で夫婦離婚の危機

ジョゼフィーヌの不倫の事実を兄弟から知らされたナポレオンはジョゼフィーヌを家から閉め出しました。それでもナポレオンは妻のことを許し、ジョゼフィーヌの恋多き女の時代は終わりました。その後、ジョゼフィーヌはそれまでの行いを改めナポレオンの夢を支えることに心を尽くしました。ジョゼフィーヌはナポレオンにはない社交性や人脈を持っていました。さらにフランス文化への造詣も深くファーストレディとして社交の表舞台に立ちナポレオンと二人三脚で革命後のフランスの再建に尽くしたのです。

 

ナポレオンついにフランス皇帝へ

内助の功に支えられナポレオンはヨーロッパのほぼ全土を制圧。革命で荒廃したフランスに富と秩序をもたらし民主主義の基礎を築きました。フランスの英雄となったナポレオンは1804年12月、フランス皇帝として即位。しかしジョゼフィーヌには不安がありました。ナポレオンとの間には子供ができず、年齢は41歳になっていたからです。

 

ナポレオンと涙の離婚

戴冠式から5年後、ナポレオンとジョゼフィーヌは離婚しました。離婚式が行われナポレオンは国民に「私の愛するフランスの国民は私が子孫を残すことを強く望んでいる。しかしながら妻ジョゼフィーヌには子供を持てる望みがない。我々の結婚を解消する。付け加えれば愛する妻はこの15年の私の人生をかくも美しいものにしてくれた」と宣言しました。そしてナポレオンは22歳年下のハプスブルグ家のマリー・ルイーズと再婚。ジョエフィーヌは離婚後も公妃を名乗ることが許されマルメゾンに住み続けました。そんなジョゼフィーヌが離婚後もっとも愛していたのがバラでした。

 

皇帝ナポレオン 栄光からの転落

1814年5月29日、ジョゼフィーヌは愛する2人の子供に見守られ静かに息を引き取りました。最期につぶやいた言葉は「ボナパルト」だったそうです。葬儀には政府の要人をはじめ他の国の王族らが集まり彼女を偲ぶ列が長く続いたと言います。

 

一方、ジョゼフィーヌと離婚した後ナポレオンは没落の一途をたどりました。ロシア遠征で敗退しフランスはイギリスなどの連合軍の手に落ちました。ナポレオンは革命があったからこそ下級貴族の家に生まれたのに皇帝にまでなれました。ところがハプスブルグ家の皇女を妻に迎え自分もヨーロッパの君主たちと同等になったと思った時、ナポレオンは自ら持てる力を封じてしまったのです。1815年、ナポレオンはセントヘレナ島に流刑されました。




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