ヘンリー8世と6人の王妃たち  ~英国史上最も美しくスキャンダラスな王~|世界ふしぎ発見!

今から約500年前、中世から近世へ大きな変革が求められた時代、イングランド王ヘンリー8世は類まれな政治手腕を発揮し現在のイギリスの基礎を作りました。一方で、英国王室史上最も美しくスキャンダラスな王とも伝えられています。

 

ヘンリー8世はその生涯で6度もの結婚をし、そのためには手段を選びませんでした。愛情を得るためには国を動かすことをもはばからなかったヘンリー8世。6人の王妃のうち2人は結婚を解消され2人は処刑されています。

 

ヘンリー8世は体がとても大きく、屈強で馬上槍試合が大好きでした。さらに、ヘンリー8世は様々な楽器を弾きこなし歌も上手でした。ヘンリー8世が作詞作曲した曲は今も歌いつがれています。

 

キャサリン・オブ・アラゴン

キャサリン・オブ・アラゴンは、スペイン王室からやってきたヘンリー8世の初恋の人で最初の王妃です。

 

16歳のキャサリンがイングランドへやってきた時、出迎えたのは10歳のヘンリー8世でした。キャサリンは元々ヘンリーの兄アーサー・チューダーにスペイン王家から嫁いできた王女でした。気品と威厳をかねそなえながら小柄で可愛らしいキャサリンにヘンリーは強く憧れましたが、なす術はありませんでした。

 

しかし、兄アーサーが結婚後すぐに病に倒れ亡くなりヘンリーの運命は変わりました。

 

8年後、18歳で王位を継承したヘンリー8世は、キャサリンを妻とすべくローマ法王に特別な許しを請いました。当時、兄の妻をめとることは法律で禁じられていたのです。

 

キャサリンもまたヘンリー8世の熱い想いにこたえました。キャサリンは若い王を支える政治の片腕としても力を発揮しました。2人の安定した結婚生活は20年に及びました。

 

しかし、世継ぎが生まれませんでした。この問題は2人の間の溝となり、日に日に深まっていきました。2人の間にはメアリー・チューダーという娘がいましたが、当時は女性が王となったことはありませんでした。

 

アン・ブーリン

世継ぎが生まれない王の焦りを癒してくれたのがアン・ブーリンでした。アン・ブーリンはフランス宮廷で暮らし、優雅な所作と美しい瞳を持っていました。彼女はキャサリンにつかえる女官でした。

 

アン・ブーリンは賢い女性で、愛人ではなく王妃としてくれるまでは王の愛を受け入れないと言ったのです。一筋縄ではいかないアン・ブーリンに王はますますのめりこみました。

 

ヘンリー8世は、キャサリンと別れアンを正式な王妃にしたいと考えていましたが、当時の国教であるカトリックは離婚を禁じており、ローマ法王はヘンリーの離婚を許しませんでした。

 

そこでヘンリー8世がくだした決断はローマ・カトリックとの決別。そして、国王を長とするイギリス国教会をつくりました。

 

アン・ブーリンは正式な王妃になり、まもなくアンとヘンリー8世の間に子供が生まれました。ところが子供は女の子でした。その後、子供が生まれることはありませんでした。

 

ヘンリー8世の落胆はアン・ブーリンへの失望苛立ちへと転じていきました。

 

ジェーン・シーモア

やがて、アン・ブーリンとは対照的な女性ジェーン・シーモアと関係を持つようになりました。ジェーン・シーモアはキャサリンとアンに仕えた女官でした。

 

ジェーン・シーモアが多産の家系だと知ったヘンリー8世は、彼女こそが息子を産んでくれると確信しました。

 

しかし、愛人の子では例え男の子でも正統な王位継承権が疑われると考えたヘンリー8世は、邪魔になったアン・ブーリンに浮気の疑いをかけ反逆罪などの罪にとい死刑を言い渡しました。

 

アン・ブーリンは無実の罪をきせられ、たった1000日で王妃の座から引きずりおろされたのです。2歳の娘エリザベスを残し歴史を動かした一人の女はロンドン塔の処刑台に散りました。

 

翌日、44歳のヘンリー8世は20代半ばのジェーン・シーモアと婚約を交わしました。結婚後しばらくしてジェーンは懐妊。生まれたのは待望の男児でした。

 

しかし、ヘンリー8世最大の望みを叶えた王妃ジェーン・シーモアは3日3晩の難産がたたり、ほどなくして亡くなってしまいました。

 

ヘンリー8世の悲しみは痛々しいほどだったと伝えられています。ヘンリー8世は自分の死後、ジェーン・シーモアと一緒に埋葬するように言い、実際にヘンリー8世とジェーン・シーモアは隣に眠っています。

 

アン・オブ・クレーブズ

4番目の妻はアン・オブ・クレーブズ。ヘンリー8世は彼女の肖像画をみて、美しさに惹かれ結婚しましたが、実際の彼女は肖像画とはかけ離れた容姿でした。

 

ヘンリー8世はその肖像画を描いた画家ハンス・ホルバインを宮廷出入り禁止にし、政治的思惑から彼女をすすめた側近トマス・クロムウェルを処刑しました。

 

アン・オブ・クレーブズとは1度も寝室を共にすることなく、わずか半年で離婚しました。

 

キャサリン・ハワード

49歳のヘンリー8世の次の相手は30歳も年下のキャサリン・ハワードでした。

 

しかし、キャサリン・ハワードは年老いたヘンリー8世を尻目に結婚前からの恋人たちと密会を重ねました。結局それが明るみに出て反逆罪で処刑されてしまいました。

 

ヘンリー8世はキャサリン・ハワード処刑の翌年、6度目の結婚をしました。

 

キャサリン・パー

最後の妻はキャサリン・パー。ヘンリー8世と出会った時、30歳の未亡人でした。キャサリン・パーはヘンリー8世を説得し、前妻たちの娘エリザベスとメアリーの剥奪されていた王位継承権を復活させ王女として教育しました。

 

最後の結婚から4年目、ヘンリー8世は唯一の男児エドワード6世が王朝を継ぐものと信じて他界。しかし、エドワードは16歳の若さでこの世を去りました。さらに続くメアリー1世もわずか3年の治世で病気により亡くなってしまいました。

 

唯一残されたヘンリー8世の直系は、皮肉にも彼が処刑したアン・ブーリンの娘エリザベス1世だけでした。彼女こそ45年間の治世にイングランドを空前の繁栄に導いた女王です。

 

25歳で即位したエリザベス1世は、ヘンリー8世の威光をかりながら国の支配者としての地位を確立し、イングランドは大繁栄をとげました。

 

しかし、エリザベスは生涯独身をつらぬき後継者を残そうとはしませんでした。ヘンリー8世が必死に守ろうとしたチューダー王朝は幕を閉じたのです。

 

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