アンリ2世の正妻カトリーヌと愛人ディアーヌの愛憎劇|世界ふしぎ発見!

フランスのロワール川の中流域ロワール渓谷には、古城が大小合わせて100以上も建っています。そんな古城には様々な物語が秘められています。

 

国王を虜にした絶世の美女

そんな古城で最も優雅で美しいと言われるのがシュノンソー城。シュノンソー城の美しさの秘密は城主にあります。16世紀から19世紀まで6人の城主は全て女性で、彼女たちが代々自分好みに改築してきたのです。

 

それまでの城は、部屋と部屋が直接繋がっていて手前の部屋を通り抜けなければ奥の部屋に行けませんでした。しかし、それではプライバシーが守られないということで最初の女性城主が廊下をもうけました。

 

建設当初から女性らしさが特徴のシュノンソー城でしたが、それをより優雅に改造したのが2代目城主のディアーヌ・ド・ポワチエでした。彼女は国王アンリ2世の愛人でした。シュノンソー城はアンリ2世がディアーヌにプレゼントしたものだったのです。

 

ディアーヌ・ド・ポワチエは、驚いたことにアンリ2世より20歳も年上でした。しかし、類稀な美貌知恵を併せ持つディアーヌは国王を生涯虜にしました。

 

アンリ2世は幼い頃に母親を亡くし、7歳の時に当時領土争いをしていた神聖ローマ帝国へ人質にとられました。その出発の日にアンリにかけより誰よりも別れを悲しんだのが当時27歳のディアーヌでした。

 

貴族の家庭に生まれたディアーヌは、アンリの亡き母に侍女としてつかえていたことからアンリを我が子のように可愛がっていたのです。捕われの身となったアンリは母を想うように、いつもディアーヌの面影を追っていたと言います。

 

そして4年後、領土問題が解決してアンリがフランスに帰ってくると、ディアーヌは彼の教育係を命じられました。当時ディアーヌは31歳でしたが、その美貌はいっこうに衰える気配がありませんでした。しかもディアーヌは知性的で優しく、アンリの気持ちが思春期に恋心に変わるのは自然の成り行きでした。

 

正妻VS愛人の戦い

カトリーヌ・ド・メディシスは、1533年にイタリアの大富豪メディチ家から同い年のアンリのもとに嫁ぎました。しかし、この結婚はカトリーヌにとって最初から不幸なものでした。

 

結婚後もアンリは20歳年上のディアーヌに夢中で、カトリーヌには目もくれませんでした。それはカトリーヌの正妻としてのプライドを大いに傷つけました。

 

アンリが逞しい青年になるとアンリとディアーヌは結ばれ、ディアーヌはアンリの愛人になりました。この頃ディアーヌは38歳でしたが、美貌にはさらに磨きがかかりシワ一つない肌は透き通るように白かったと言います。

 

一方、カトリーヌは結婚してから9年間、子宝に恵まれませんでした。世継ぎができないプレッシャーも加わり、ディアーヌに対する嫉妬と憎しみが燃えたぎっていました。

 

ディアーヌはアンリにカトリーヌの寝室にもっと頻繁に通い、早く世継ぎを授かるように勧めました。しかし、そこには彼女のしたたかな計算があったと言います。

 

もし、カトリーヌが子供を生まなかったらアンリにもっと若い愛人ができてしまうかもしれません。愛人関係を続け自分の立場を守りたいという計算がディアーヌにはあったのです。ディアーヌの目論見通りアンリとカトリーヌはその後12年間で10人もの子供をもうけました。

 

ディアーヌとカトリーヌの対立を決定的にしたのがシュノンソー城でした。アンリ2世は当時国のものとなっていたシュノンソー城をディアーヌに贈ったのです。

 

シュノンソー城を手に入れたディアーヌはさらに莫大な資金を投じて好み通りに改装。当時最も有名な造園家に庭作りを依頼した庭園には、国中から届けられた色とりどりの花が咲き誇ったと言います。

 

年をとらない美魔女の秘密

ディアーヌは年をとらない美女と呼ばれていました。彼女の美貌の秘密は毎日の日課にあったと言います。

 

まず、夏も冬も日の出前に起床。ベッドから出てすぐ全身に冷水を浴びます。朝食は1杯の自家製スープのみ。午前中は森で2~3時間乗馬をし、午後は公務にいそしんだと伝えられています。若さを保つためには規則正しい生活が大切なのかもしれません。

 

愛憎劇の終わり

フランスの歴史に残る三角関係が続いていた1559年、国王アンリ2世が40歳の時に悲劇が起こりました。馬上槍試合に出場したアンリ2世が、相手の槍を目にうけ瀕死の重傷を負ったのです。ディアーヌがお見舞いに来たがりましたがカトリーヌが禁止したため、アンリ2世は愛するディアーヌに会えぬまま息を引き取りました。

 

これを機にカトリーヌは積年の恨みを果たしました。アンリ2世がディアーヌに贈った宝石は全て返還させ、シュノンソー城も自分のものにしたのです。アンリ2世という後ろ盾のいないディアーヌは正妻の言葉に従うしかありませんでした。

 

そして、ディアーヌに対抗するかのようにカトリーヌはシュノンソー城に2つ目の庭園を造りました。こうして20年以上も続いた愛憎劇の幕は閉じました。

 

シュノンソー城を手に入れたカトリーヌは、その後実権を握りプロテスタントの大虐殺を引き起こしたことで歴史に悪名を刻みました。

 

一方、ロワール渓谷を離れたディアーヌはパリ郊外のアネット城に移り住み、彼女の終の棲家となりました。愛する国王の死から7年、ディアーヌはこの世を去りました。

 

しかし、死の間際でもディアーヌの外見の美しさは衰えず30代にしか見えなかったと言います。アネット城の教会に埋葬されたディアーヌですが、彼女の遺体はフランス革命のさいに掘り出され村の共同墓地に移されたため長く行方不明となっていました。

 

ディアーヌの死因が判明

ところが2008年、共同墓地の清掃作業の時ディアーヌの遺骨が発見されディアーヌの意外な死因が明らかになりました。彼女の骨にはの成分が大量に残っていたのです。また、アネット城に保管されていたディアーヌの毛髪からも大量の金の成分が検出されました。

 

16世紀のフランスでは金は太陽を表し、それを体に取り込むことで健康を保ち年をとらないと信じられていました。ただし、それは観念的な意味で金の精神を取り込むということだったのですが、ディアーヌの場合、金そのものを細かくし水やアルコールに混ぜて飲んでいたと考えられます。

 

透けるように白く美しかったディアーヌの肌は金の中毒による慢性的な貧血のせいだと考えられます。また金の中毒になると肝臓が悪くなります。ディアーヌはその障害のせいで亡くなったのでしょう。

 

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フランス・ローワル渓谷 古城に秘められた物語

コメント

  1. いつの時代も、乳離れ出来ないオトコはダメだね。
    この王様の血を今に伝えるのは、母后カトリーヌお気に入りのクロード王女なのが、因果応報だと思った。

  2. 真夏の事故で、アンリ2世の身体は壊疽を起こしてムシもわいていて、腐臭も凄まじかったハズだから、むしろ、そのタイミングでカトリーヌ王妃はディアーヌを呼び寄せたのではないかなと。
    絶世の美男子も、死を目前にして顔がむくんで、腐臭が充満する寝室に、ムシがたかっている状態のアンリをディアーヌが見たら、失禁のあげく卒倒して百年の恋も覚めた状態にはなるだろうから、それをアンリに見せつけた方が、カトリーヌの溜飲は下げられたと思う。
    この頃のカトリーヌは夫への愛を断ち切り、自己愛に傾倒していたから夫を独占するより、夫と愛人を仲違いさせて、夫を孤独の淵に追いやることに快感を得たのではないかな。

  3. この三角関係の1番の被害者は、ディアーヌの2人の娘達だろう。
    最終的にディアーヌがシュノンソー城を手放したのは、娘達からせがまれたため。
    なぜなら、ディアーヌがシュノンソー城を所有出来る時間は、彼女が生きている間に限られていて、娘達の相続財産にはならないから。
    容姿が悪くて自分より格下だと思っていたカトリーヌによって、自分の娘達が洗脳されていることは思いもしなかったのではないだろうか。