「エンターテイナー」は1970年代に公開された映画「スティング」の音楽です。作曲したのはアフリカ系アメリカ人のスコット・ジョプリンです。
ジョプリンが活躍したのは、まだ奴隷制度の名残があった時代。白人からの差別は凄まじいものがありました。ジョプリンは一つの野望を抱き続け音楽と向き合い続けました。
クラシックのような大衆音楽!?
ジョプリンの「エンターテイナー」が一躍注目を集めるきっかけとなったのは、1973年のアメリカ映画「スティング」です。舞台は1930年代、詐欺師たちの生きざまを描いた物語に軽快でリズミカルな音楽がピタリとハマり大人気の曲となったのです。
作曲者スコット・ジョプリンが得意としたのはラグタイムと呼ばれる大衆音楽です。19世紀から20世紀初めにかけて流行し、歓楽街の酒場などで黒人のピアニストたちが盛んに演奏していました。「エンターテイナー」はそんなラグタイムの代表作です。
踊り出したくなるような躍動感、何度も聞きたくなる親しみやすさは酒場に集まる人たちを大いに熱狂させたと言います。
ラグタイム王が夢見たもの
開拓地で過酷な労働を強いられてきたアフリカ系アメリカ人たち。1860年代に奴隷解放令が出されたものの、依然として白人からの差別に苦しめられていました。
そんな時代に生まれ育ったスコット・ジョプリン。家族はみな音楽好きで幼い頃からピアノに親しんだ彼は、厳しい生活ながらも白人の教師についてクラシック音楽の手ほどきを受けました。
10代半ばに家を出てミズーリ州の酒場で演奏するピアニストになりました。ジョプリンは1899年初めてのラグタイムの作品を出版しました。
しかし、その表紙はジョプリンにとって屈辱的なものでした。描かれているのはボロきれを拾い歩く黒人の姿。かたわらには「拾っている男こそスコット・ジョプリンだよ」という文字。つまり、ジョプリンが集めたぼろきれのような音楽とめいうった皮肉な表紙だったのです。
それでもめげることなく作曲を続けたジョプリンは「メイプル・リーフ・ラグ」という作品を出版。彼は友人にこう打ち明けました。
この曲は僕をラグタイムの王様にするよ。
(スコット・ジョプリン)
この予言は的中し空前の大ヒット。以後も名作を発表する中で「エンターテイナー」が誕生したのです。
しかし、どんなに努力しても白人たちからは「ラグはしょせん黒人の音楽だ」と蔑まれていました。口惜しさをぶつけるかのように本格的にクラシック音楽の作曲にとりくんだジョプリン。そして1911年、脚本から作曲までを手掛けた歌劇「トゥリーモニシャ」を発表しました。
しかし、黒人蔑視の風潮はやむことがなくオペラの上演は失敗。精神を病んだジョプリンは志半ばの48歳で亡くなりました。その後、ジャズの流行とともにやがて忘れ去られていったジョプリンのラグタイム。
再び彼の音楽に光が当てられたのは死後半世紀以上経った1970年代でした。「エンターテイナー」の大ヒットとともにジョプリンの音楽が改めて見直されたのです。
「ららら♪クラシック」
スコット・ジョプリンの「エンターテイナー」
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