眼光鋭き孤高の指揮者エフゲーニ・ムラヴィンスキー。旧ソ連時代、半世紀ものあいだ世界屈指のオーケストラ「レニングラード・フィル」の首席指揮者として君臨した人物です。監視の厳しい社会に生きながら信じる音楽のためにはどんな圧力にも屈しなかった男です。
「鉄の結束」のオーケストラ
エフゲーニ・ムラヴィンスキーはごく限られた手の動きと鋭い眼差しに、100名を超す楽団員全ての意識を集中させ一糸乱れぬアンサンブルを作り出しました。堅く結ばれた楽団員との絆は今もクラシック界の伝説です。
鉄壁とも言われたアンサンブルの秘密は、リハーサルにありました。細かく区切り一音一音納得するまで突き詰める、リハーサルは一曲につき1週間~10日続きました。
ムラヴィンスキー夫人アレクサンドラ・ヴァヴィリーナさんは現役の音楽家です。実は彼女は元レニングラード・フィルの首席フルート奏者でした。
妥協は決して許さないという姿勢は、他人以上に自らにも向けた姿勢でした。リハーサルを離れても1日4時間スコアと向き合い緻密に分析することが晩年まで日課でした。
70年代来日 巨匠の生い立ち
ムラヴィンスキーが日本に来たのは70年代に4回だけです。「鉄のカーテン」の向こうの幻の指揮者ゆえ演奏会は貴重で人々を熱狂させました。
ムラヴィンスキーは1903年、サンクトペテルブルグの貴族の家に生まれました。当時は帝政ロシアの時代、貴族は特権階級として豊かに暮らしていました。
しかし、14歳の時にロシア革命が起こりました。貴族の身分は剥奪され財産も全て没収されました。音楽院の受験でも貴族の出身だという理由で入学を拒絶されたことも。レニングラード・フィルの指揮者になってからも共産党が亡命を恐れて厳しく監視しました。
飛行機が嫌いで鉄道と船を乗り継いでやってきた日本。普段とは違う笑顔を見せていたと言います。
信じる音楽のために
ムラヴィンスキーの音楽人生に欠かせない作曲家がいます。ドミートリ・ショスタコーヴィチです。2人の信頼はあつく、ムラヴィンスキーは彼の交響曲全15曲のうち7曲の初演を手掛けています。
しかし、当時はスターリンによる厳しい圧政が続く時代。1948年、ショスタコーヴィチに事件が起こりました。彼の作品が体制にふさわしくないと批判され、ソビエト連邦作曲家同盟の特別会議に呼び出されたのです。
この時、ムラヴィンスキーが立ち上がりました。指揮者生命をかけ演奏会であえてショスタコーヴィチを取り上げたのです。曲目は交響曲第5番。
「ららら♪クラシック」
解剖!伝説の名演奏家
幻の指揮者 ムラヴィンスキー
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