「ダニー・ボーイ」はアイルランド民謡です。アイルランド出身の作曲家スタンフォードがこの曲をクラシックの世界にいざないました。また、「ダニー・ボーイ」はアメリカに渡ったアイルランド人たちの心の歌でもありました。
「ダニー・ボーイ」がクラシックに根付くまで
ロンドンデリーは「ダニー・ボーイ」の故郷と言われる街です。19世紀、街角でこの曲を演奏していた盲目のバイオリン弾きの演奏を、民謡収集家のジェイン・ロスが記録しました。そして、1855年に発表された「アイルランドの古い音楽」という楽譜集の一曲として知られるようになりました。
この曲には名前がなく楽譜には「曲名不明」と書かれていました。この曲がいつからクラシックの曲として演奏されるようになったのかはハッキリしません。
スタンフォードの代表曲の一つ「アイルランド狂詩曲」の第一番は「ダニー・ボーイ」のメロディーで埋め尽くされています。この曲が作曲された1901年の時点で、すでにイギリスでは「ダニー・ボーイ」がアイルランドを象徴するメロディーとして知られていたことがうかがえます。
スタンフォードは1852年にアイルランドで生まれ、イギリスで活躍した作曲家です。イギリス王立音楽大学の設立にも関わり、教育者としても輝かしい業績を残しました。
スタンフォードはこの学校でホルストやヴォーン・ウィリアムズなど後の大作曲家を数多く育てました。弟子のホルストたちはイギリスの民謡を取り入れた作品で知られています。しかし、スタンフォードは民謡を引用することには否定的でした。
そんなスタンフォードも年を重ねるにつれ、故郷の音楽の魅力に気づいていきました。41歳から20年の歳月をかけ6曲が作られた「アイルランド狂詩曲」そこにはアイルランドの民謡のメロディーやリズムがいきづいています。
彼が人生の後半に見つめたのは、生まれ故郷のアイルランドだったのです。
スタンフォードが伝えた「ダニー・ボーイ」は、今なお美しく響き渡っています。
移民の「心の歌」から世界の名曲へ
世界中の様々な歌手や演奏家がその魅力を伝えてきた「ダニー・ボーイ」ロンドンデリーの名前のない歌が「ダニー・ボーイ」として発表されたのは1913年のことでした。
イギリスの弁護士にして作曲家のフレデリック・ウェザリーが歌詞をつけました。「ダニー・ボーイ」が世界的に広がった背景には海外に渡った人たちの存在があります。
19世紀半ば、アイルランドを大規模な飢饉が襲いました。飢えと病気が蔓延し、苦しい生活から新天地を求め200万もの人々が海外への移住を余儀なくされました。特にアメリカは最大の渡航先でした。
各地で身を寄せ合うようにし暮らしていたアイルランドの人たち。彼らにはみんなで歌える祖国の歌というものがほとんどありませんでした。
そこに登場したのがウェザリーが歌詞を書いた「ダニー・ボーイ」です。懐かしい郷愁が彼らを惹きつけました。
1914年、第一次世界大戦が勃発。「ダニー・ボーイ」は厳しい戦時下でアイルランド移民だけでなく、世界中の人々の心をうつ曲として広まっていったのです。
「ららら♪クラシック」
ダニー・ボーイ
心打つアイルランドのメロディー
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