カズオ・イシグロをさがして|ETV特集

NHK・Eテレの「ETV特集」アンコールでカズオ・イシグロをさがして放送されました。カズオ・イシグロは現代イギリス文学を代表する作家です。これまで6作の長編小説を発表。40か国語に翻訳され世界中で幅広く愛読されています。カズオ・イシグロの作品に共通するテーマは記憶です。主人公たちが記憶を辿り自らの運命を受け入れていく姿が静謐な文体で描かれます。「Never Let Me Go(わたしを離さないで)」は2005年に出版されたカズオ・イシグロの代表作です。

 

記憶というテーマは遠く離れた生まれ故郷と関係があります。カズオ・イシグロは長崎市に生まれ5歳まで過ごしました。カズオ・イシグロの実情はあまり知られていません。人前に出て作品や自身の考えを語ることは多くありませんでした。

 

2011年3月、映画「わたしを離さないで」が公開されました。原作はベストセラーとなったカズオ・イシグロの小説です。主人公は31歳の女性キャシー・H。臓器を提供する人たちの世話をする介護人という仕事をしています。物語の舞台は1970~90年代にかけてのイギリス。キャシーが記憶を辿り自分の人生を回想していきます。田園地帯に佇む寄宿学校ヘイルシャムで過ごした少女時代からキャシーの回想は始まります。外の世界と隔離された寄宿学校の日々。幼いキャシーと親友ルース、トミー。彼らは特別な役割を担っていました。彼らは他人に臓器を提供するために生み出されたクローン人間でした。成人し役割を果たし命を終える、短く定められた人生はキャシーの思い出となって積み重ねられていきます。カズオ・イシグロは人間の記憶が物語の最も大切な要素だと考えています。

 

「キャシーが自分の時間は限られていると知ったとき、過去を振り返り仲間たちを思い出そうとする。大切な思い出、振り返りたくない思い出。誰にも奪えないものと彼女は思う。彼女が生まれたのは残酷な世界で彼女は多くのものを奪われほとんど全てを失った。彼女は最後に『誰にも奪えないのはこの思い出よ』と言う。だから彼女は思い出に価値を与える。鮮明なまま消えないようにとっておこうともする。だから私のすべての作品で誰かが過去を回想することがとても重要なんだ。」(カズオ・イシグロ)

 

登場人物たちの命を短く限られたものにしようと考えたカズオ・イシグロ。執筆までに長い時間がかかった一番の理由は物語の設定に悩んだためです。ヒントとなったのは90年代の終わりに誕生したクローン羊ドリーです。細胞から新たな命を誕生させるクローン技術をカズオ・イシグロは作品に用いることにしました。寄宿学校ヘイルシャムで学ぶキャシーたちは臓器提供のためにクローン技術で生み出された子供です。しかし、彼らは自分たちの運命を知らされずに育っていきます。ある日、見かねたヘイルシャムの若い教師がキャシーたちに課せられた役割を明かしてしまいます。

 

カズオ・イシグロは5歳の時、父の仕事の都合で長崎からイギリスに渡りました。移り住んだのはロンドン郊外の住宅地でした。

「私はとても幼かった。それに私たち家族は1、2年で日本に帰国するつもりでした。つまりこれは一時的な訪問だと思っていました。だからそれほど変化したと感じられませんでした。ある種の興味深い休日と思っていたのです。大きな変化だとは理解出来ていませんでした。私はすぐに英国での生活になじみ楽しみました。イギリス人の子供たちと同時に学校に入学したんです。どちらかというと家の中は日本的でした。価値観などあらゆることがね。だから家では日本の子で外ではイギリスの子でした。特異な育ち方だったですね。外見が非常に異なる外国人の私は人気者になれるか嫌われ者になるかいずれかでした。だから私は短時間で相手を魅了する必要がありました。それを上手にこなすようになっていました。」(カズオ・イシグロ)

 

3年前に他界したカズオ・イシグロの父・鎮雄さんは生涯を海洋学の研究に捧げました。カズオ・イシグロはイギリスの大学で英文学を学びました。当時はミュージシャンを目指していたと言います。大学院に進んだ後、カズオ・イシグロは様々な仕事に就きました。24歳の時にはホームレスのための福祉施設で働いたと言います。カズオ・イシグロが小説を書くようになったきっかけは故郷の記憶と関係があります。1982年に書かれた「遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫) [ カズオ・イシグロ ]」はカズオ・イシグロの初めての長編小説です。物語の主人公はイギリスの郊外に暮らすエツコ。彼女が自身の過去を振り返ります。エツコが回想するのは故郷・長崎の人々が織り成す日常と光景。それはまさにカズオ・イシグロ自身の記憶と風景でした。

 

カズオ・イシグロが世界に認められるようになったのは1989年。長編小説3作目が英国文学界の最高峰であるブッカー賞に選ばれたのです。「日の名残り (ハヤカワepi文庫) [ カズオ・イシグロ ]」です。舞台はイギリス。主人公は貴族の館の老執事スティーブンスです。第二次大戦後、館の主がかわったことをきっかけにスティーブンスは人生を振り返ります。一途に仕えてきた主人や密かに心を寄せていた女性の面影を追憶します。自らの老いと時代の変化で自尊心が揺らぐ中、自分の人生の美しい記憶を辿ろうとする切ない姿が描かれています。

 

カズオ・イシグロはこの作品を世に出す前に一つの決断をしていました。国籍を日本からイギリスに変えたのです。

「そのころ気づきました。もはや日本で暮らすことは出来ないと。日本語を話せないし習慣も分からないのですから。私は自分自身に日本人になれるか問いかけました。そして無理だと気づいたのです。日本に来るとここがよく知る場所のように思えます。しかし、あらゆる意味で滞在が最も難しい国でもある。日本語が話せないことも手伝いました。相手の言うことが全て理解できそうで実際には出来ません。ですから世界中で最も訪問が難しい国なのです。そのころ私は決断しなくてはならないと思った。私は本当にイギリス人なのか。感傷的には日本人であり続けたいと感じていました。イギリス人になることは裏切りなのかもしれない。しかし両親も英国籍が最善の選択と感じていました。英国教育だけで育った私は後戻り出来ませんでした。」(カズオ・イシグロ)

その後、作品の幅はさらに広がっていきました。2000年には「わたしたちが孤児だったころ 」を発表。舞台は日中戦争最中の上海。自分の両親を探そうとする探偵を主人公とした物語です。上海はカズオ・イシグロの祖父が暮らした土地でした。彼は祖父の記憶の光景を物語にしたのです。

約5年に1作のペースで小説を書き続けてきたカズオ・イシグロ。2005年に発表したのが「わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) [ カズオ・イシグロ ]」です。クローンとして生まれたキャシーは物語後半で寄宿学校ヘイルシャムを卒業した後のことを回想します。キャシーたちはコテージと呼ばれる施設に移ります。そこで臓器提供の日を待ちます。外出を許されるようになった彼らは外の世界に足を踏み出すようになります。彼女たちは自分の親をあてどもなく探そうとしました。結局、キャシーやルースたちは自分の親を探し出すことはできませんでした。キャシーはルースとトミーを残し、コテージを去ろうと決心します。そして、医療施設の介護人となり、自分と同じ運命を背負う仲間の最期をみとるようになりました。

 

「『人生は短いから尊い』とだけ言いたかったわけではない。人間にとって何が大切かを問いかけたかった。設定は有効だった。人間とは何かクローンは『人間』なのかと考え始めるからだ。人生の短さを感じた時、我々は何を大切に思うだろうか。この作品は悲しい設定にも関わらず人間性に対する楽観的な見方をしている。人生が短いと悟ったとき金や権力や出世はたちまち重要性を失っていくだろう。人生の時間が限られていると実感した時このことが重要になってくる。この作品は人間性に対し肯定的な見方をしている。人間が利益や権力だけに飢えた動物ではないことを提示している。赦し、友情、愛情といった要素こそが人間を人間たらしめる上で重要なものなのだ。」(カズオ・イシグロ)

離れ離れになった3人はあるとき再会し、幼少期から憧れだったノーフォークに向かいます。ルースは一足早くこの世を去りました。残されたキャシーとトミーは運命に逆らい生き延びようと決意。そして一つの噂を聞きつけました。互いに愛し合っていることが証明でき、絵の才能があれば臓器提供を猶予してもらえると言うのです。寄宿学校時代の校長エミリー先生を探し出し、トミーの描いた絵を持参しました。

課された宿命から逃れることができなかったキャシーとトミー。ついに、トミーの命が絶たれる日が来ました。

「太陽はもう建物の裏に隠れています。私と大切な記憶は以前と少しも変わらず鮮明です。私はルースを失いトミーを失いました。でも、二人の記憶を失うことは絶対にありません。」(「わたしを離さないで」より)




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