ベートーベン 交響曲第6番「田園」|ららら♪クラシック

ルートヴィヒ・ファン・ベートーベンは、オーストリア・ハイリゲンシュタットの森を歩きまわり耳が聞こえなくなっていく悲しみを癒しました。そして生まれたのが交響曲第6番「田園」です。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートヴェン

宮沢賢治が愛した「田園」

日本にはベートーベンをこよなく愛した人物がいます。岩手出身の詩人で童話作家の宮沢賢治です。彼の有名な写真は、農作物の不作を嘆き田畑を眺める様子と思っていたら大間違い。実は田園地帯を歩くベートーベンの肖像画を真似て同じポーズで撮ったのです。

宮沢賢治は「運命」や「第九」よりもとりわけ「田園」を愛したと言います。彼の詩や小説の中には「田園」にインスピレーションを受けた作品がいくつもあります。

豊かな自然のイメージ溢れる「田園」には楽章ごとに情景を表す言葉が添えられています。

第1楽章 「田舎に着いたときの愉快な気分」
第2楽章 「小川のほとり」
第3楽章 「田舎の人々の楽しい集い」
第4楽章 「雷と嵐」
第5楽章 「嵐の後の喜びと感謝」

ベートーベンの田園への思い

ベートーベンは、毎年夏になるとウィーンのハイリゲンシュタットを訪れました。自然豊かでウィーンの人々がレクリエーションを楽しむ場所です。「田園」は1808年、この地で作曲されました。

しかし、初めてこの地に来た時ベートーベンは絶望の淵にありました。耳が聞こえなくなるという音楽家として致命的な病が進行していたのです。耳鳴りがやまず、聴覚は日に日に悪化。耐えかねたベートーベンは弟たちにあてて遺書を書きました。

私はほとんどまったく希望を失った。命を絶つまでにあと少しのところであった。私をひきとめたものはただ「芸術」である。自分が使命を自覚している仕事をなしとげずにこの世を見捨ててはならないように思われたのだ。

後に「ハイリゲンシュタットの遺書」と名付けられたこの手紙には、難聴の果てに見出した自らの決意がつづられています。

来る日も来る日もハイリゲンシュタットの森を歩きまわり、新たな音楽の構想を練ったベートーベン。そして完成したのが「田園」。豊かな自然への深い愛を描いた交響曲です。

「田園」が書かれたのはナポレオンが絶えず戦争を起こしていた時代。「田園」は平和な風景そのものだったのです。田園の豊かな実りと平和な生活が続くように。この曲はそんな願いが込められているのかもしれません。

「ららら♪クラシック」
ベートーベンの「田園」

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