アメリア・イアハート失踪事件|世界まる見え!

日本テレビの「世界まる見え!テレビ特捜部」でアメリア・イアハート失踪事件について放送されました。

 

女性パイロットのアメリア・イアハートは1928年に女性で初めて大西洋の横断飛行の偉業を達成し、当時イギリスの女王と並び世界で最も有名な女性の一人と言われました。そんなアメリア・イアハートが次に挑んだのが世界一周飛行。しかし、その道中にアメリア・イアハートは機体と共に謎の失踪を遂げてしまいました。

 

1937年5月、アメリア・イアハートは多くの歓声に送られアメリカ・カリフォルニアを出発しました。彼女が目指すのは女性初の世界一周飛行。挑戦は順調に進み、40日後には全行程の4分の3を消化。約3万キロの距離を飛んだ後、燃料補給地のパプアニューギニアに到着。後は太平洋横断を残すのみになりました。そして7月2日午後1時、次の目的地ハウランド島へ向けて出発しました。太平洋上空4000kmの道のりを飛行し、18時間後にハウランド島に到着する予定でした。しかし、到着予定時刻を過ぎた午前7時42分、ハウランド島沖で連絡を待っていた沿岸警備隊がアメリア・イアハートからの不穏な通信を受け取りました。

「目的地の上空を旋回していますが島が見つかりません。あなたたちも見えません。無線も聞こえません。聞こえますか?目的地上空にいるはずなんですが。繰り返します。繰り返します」(アメリア・イアハート)

それ以降、アメリア・イアハートから通信が入ることはありませんでした。アメリア・イアハート失踪のニュースは瞬く間に広がり、彼女の安否を気遣う声がアメリカ中に広がっていきました。アメリカ政府は6隻の軍艦、64機の航空機を投入し大規模な捜索隊を編成。大規模な捜索を行いました。しかし、アメリア・イアハートはおろか、機体の破片すら見つかりませんでした。そして2週間後、捜索は打ち切られました。

 

海に墜落説

実は、十分な燃料を積んでいた場合でも向かい風などの気象条件によっては燃料を使い果たしてしまうことがあると言います。しかし、もし燃料が切れそうなら無線でそのことを言うはずです。

 

ガードナー島不時着説

事件から3年後、次の目的地だったはずのハウランド島から500km離れたガードナー島で、イギリス人探検家が女性の人骨を発見しました。調査によると、骨は167cmの白人女性のものだと言います。これはアメリア・イアハートの身長とほぼ一致していました。ガードナー島周辺からは飛行機の一部とみられる金属片、女性用と思われるイギリスのシューズの一部も見つかりました。また、アメリア・イアハートが消息を絶ってから数日後、女性からの救難信号が送られていたことも判明しました。その信号を受け取ったのは当時15歳だったベティ・ブラウン。ベティはその時の45分間の通信内容をノートに書き記していました。

「その女性は誰か私の声が聞こえますか?と助けを求め続けていたわ。私は何もできなくて胸が痛んだの」(ベティ・ブラウン)

だとすれば、アメリア・イアハートはガードナー島に不時着して助けが来るのを待っていたのでしょうか?しかし、その後の調査で見つかったシューズはアメリア・イアハートのものではないことが判明。一方、女性の人骨もなぜか紛失。それ以上詳しく分析を行うことができませんでした。しかし、ベティが受け取った救難信号は本物であると多くの専門家が認めており、アメリア・イアハートは失踪後もしばらくどこかで生きていた可能性があります。

 

日本軍関与説

マーシャル諸島共和国の元国連大使アルフレッド・カペリは驚くべき説を唱えています。ハウランド島にたどり着くことができなかったアメリアは北へコースを外れ、日本軍のいるミリ環礁へ不時着。そこで捕虜として捕まったというのです。というのも、当時ミリではアメリカを見たという目撃情報が相次いでいたのです。しかも、現地住民たちはアメリア・イアハートがミリに不時着したと信じており、捕まった女性パイロットが描かれた切手が存在しています。さらに、アメリア・イアハートの目撃情報は西へと続きます。捕虜となったアメリア・イアハートはその後、サイパンにあるガラパン刑務所に収容された可能性が高く、そうした物的証拠も見つかったと言います。それは彼女が消息を絶って7年後の1944年、サイパンで日本との戦いに勝利したアメリカ軍兵士の一人が日本軍将校の金庫からアメリア・イアハートのブリーフケースを見つけたのです。その中にはアメリア・イアハートの写真やパスポート、彼女名義のビザも入っていたと言います。これにより、多くの人々が彼女は日本軍に捕まったという説を信じることとなりました。しかし、アメリア・イアハートのブリーフケースはアメリカ軍の上層部にわたった後、なぜか行方不明になったと言います。

 

アメリカはスパイだった説

アメリア・イアハートは実はスパイでミリに不時着したのは偶然でもなんでもなく最初から仕組まれていたというのです。

「政府は彼女をスパイとして送り込み日本軍の動向を調べようとしていたんだ。つまりアメリアは緊急事態を装って予定していた航路からわざと外れミリに向かった。そしてアメリカ軍は彼女の捜索を口実に日本軍の戦力を探ろうとしたんだ」(作家ローリン・ライネック)

実際にアメリカ政府はアメリア・イアハートが姿を消して数日後に、日本にマーシャル諸島の捜索許可を申請していました。さらにその1年後、フランクリン・ルーズベルトは工作員にマーシャル諸島周辺をヨットで冒険するという名目で航海し、日本軍について報告させるという任務を行わせました。

 

こうして、様々な憶測が飛び交う中、アメリア・イアハートが消息を絶ってから28年後の1965年、全米が驚く新展開が。なんと、アメリア・イアハートとそっくりの人物がアメリカ本土で目撃されたのです。女性の名はアイリーン・ボーラム。ニュージャージー州で主婦として生活していました。彼女はスパイとして活動した後、アメリカに戻り政府の手によって名前を変え別の人生を送ったというのです。この噂について書かれた本「ザ!世界仰天ニュースは生きている」が出版され、アイリーンに世間の注目が集まりました。しかし、アイリーン本人は「私はアメリア・イアハートではありません。この噂は全くのナンセンスです」と全面否定しました。

 

2015年、マーシャル諸島のミリでアメリアの飛行機の残骸かもしれない古いアルミニウム片が見つかりました。アメリアの飛行機と同じ色の塗料が塗られているということで、現在アメリアの飛行機部品を作った会社と協力して科学的な分析が行われています。


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