笹森理絵さん(40歳)は、小さい頃から人とは違う自分に苦しんできました。
理絵さんは1970年、神戸市に生まれました。本を読むのは大好きで3歳でひらがなの読み書きが出来る程、頭の良い女の子でした。4歳で漢字まで書けるようになったのに、はっきり喋ることができませんでした。幼稚園では友達の輪に入らず、自分の世界に浸っていました。
小学校では興味のある授業には異常に熱中しましたが、興味をそそられない授業にはついていけませんでした。出来る科目と出来ない科目の差がありすぎて、先生も親も戸惑いました。自分ではマジメにやっているつもりなのに、なぜ出来ないのか分かりませんでした。
さらに、忘れ物の常連で、しつけを問われたこともありました。さらに、理絵さんは片付け方がわからず、学校の机も部屋も散らかっていました。でも、散らかっているという感覚が鈍く、足の踏み場がなくなるまでは気にならなかったと言います。努力が足りないと責められ悩んでいるうちに円形脱毛症になってしまいました。
理絵さんは怠けているのではなく、脳の病気「ADHD(注意欠如・多動性障害)」でした。ADHDは、集中力や衝動などをコントロールする前頭葉の働きに先天的な障害があると考えられています。ADHDの特徴は不注意、じっとしていられない、思いついたらすぐ動く衝動性。発達障害なので治るということはありません。
さらに、理絵さんはADHD以外にもアスペルガー症候群という先天性の脳の機能障害がありました。アスペルガー症候群は、言葉を使った社会的コミュニケーションが苦手という特徴があります。さらに、体中の過敏と手先の不器用さもありました。
原因が脳にあると知らずに中学生になった理絵さんの部屋はますます散らかっていきました。忘れ物、探し物もあいかわらずでした。
一方、人体や化石、恐竜、歴史書など他の女の子とは違うことに興味を持っていました。相変わらず数学は苦手でしたが、国語と英語と社会はトップクラスの成績で高校、大学へと進学しました。
しかし、電車のアナウンス音やエンジン音、ホーンが異常に怖かったと言います。極力電車に乗る時間を減らすため、自宅から一番近い大学へ通いました。考古学者になりたくて史学を学びましたが、計算が苦手で不器用なため夢は叶いそうにありませんでした。
それでもバイクのエンジン音は大好きで、バイクを通じて知り合った9歳年上の笹森史郎さんという恋人が出来ました。史郎さんと大学卒業と同時に結婚。仕事の関係で東京で暮らしていた史郎さんの元に移り住みました。結婚して4年、2人の男の子を出産した理絵さんは神戸に戻りました。
ところが、長男の玖音(くおん)くんは3歳になっても自分の名前が言えず、絵の書き写しができず、折り紙も見本通りできず、他の子の輪に入れませんでした。しつけが足りないのではと周りに言われ、理絵さんは玖音くんに厳しく接しました。息子は母親に怯え近づこうとしなくなりました。
逃げ道を求めるように理絵さんは昼間働きに出ることにしました。しかし、臨機応変に対応することができず仕事を辞めることになってしまいました。心を病み神経科に通うようになりました。
そんなある日、偶然立ち寄った書店で「片づけられない女たち [ サリ・ソルデン ]」という本を見つけました。どうせ片づけられない人をバカにした本だと思っていましたが、そこに書いてあったことは自分に当てはまることばかりで脳の機能障害と書いてあったのです。
理絵さんは通っていた神経科から専門医を紹介され幼児期からの記録、通知表などを持って訪ねました。そしてADHDでアスペルガー症候群だといわれたのです。できないのは努力不足ではなく脳のせいだと言われ笹森理絵さんは救われました。32年間の悩みが晴れた気分だったと言います。
そして、自分にあまりにも似ている長男も検査してもらい高機能自閉症であることが分かりました。
この診断で理絵さんの子育ては劇的に変わりました。
現在、笹森理絵さんは発達障害を持つ当事者として、そして発達障害児の母として両方の視点から発達障害の人の日常生活の困難や接し方を伝える活動をしています。
「ザ!世界仰天ニュース」
片付けられない女性の理解されない苦しみ
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