菊池直子 17年間の逃亡生活の真実

2012年、オウム真理教の事件が大きな節目を迎えました。最後まで逃げ続けた特別手配の容疑者3人が相次いで逮捕されたのです。そのうちの一人が菊池直子(きくちなおこ)です。菊池直子の風貌は17年間の逃亡生活で別人のように変わっていました。

2012年6月3日午前10時、一人の男性が警視庁本庁に訪ねてきました。男性は菊池直子の潜伏先の情報を握っていました。菊池直子はサクライチズコと名乗っていたと言います。情報を受け午後2時には20人を超える捜査員が神奈川県相模原市の住宅を取り囲みました。女が姿を見せたのは午後8時過ぎ。こうして菊池直子は身柄を確保されました。

1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起こりました。死者13人、6000人以上の被害者を出しました。卑劣な犯罪は宗教法人「オウム真理教」の仕業でした。次々に実行犯が逮捕され一連の事件が全貌をあらわにするなか、姿を消した一人が菊池直子でした。サリン製造を手伝ったなどとして特別指名手配。東京都庁小包爆弾事件でも関与の疑いがもたれていました。

逃亡のはじめ、菊池直子は林泰男と行動を共にしカップルを装っていました。千葉県に4日間潜伏するも、すぐに愛知県名古屋市へ。水商売についていた女性信者を頼りに、彼女が暮らす寮に住みつきました。2人の生活を支えていたのは水商売をしていた女性信者でした。林泰男は水商売をしていた女性信者と生活を共にすることを決め、菊池直子には他の男と逃げるように言いました。

菊池直子が次に身を寄せたのは埼玉県所沢市。オウム真理教の4人の男信者と生活を共にしました。1996年11月14日、一緒に潜伏生活をしていた男の一人が警察に出頭。かけつけた警察官がアパート前でもう一人の身柄を拘束。アパートに入った時には他の信者たちはいませんでした。

置き去りにされた菊池直子のノートには、男性信者への恋愛感情と葛藤が克明につづられていました。思いを寄せた信者の一人である林泰男は、1996年12月3日に石垣島で逮捕されました。所沢から逃げた菊池直子は高橋克也と2人で新横浜や川崎のラブホテルを転々としました。

逃亡資金がなくなった2人は役所で人が書き込む書類を盗み見し、他人になりすますことにしました。当時は名前と住所の申告だけで住民票を手に入れることができたのです。こうして菊池直子は櫻井千鶴子という名前を手に入れました。そして2人は川崎に借りたアパートで2年間暮らしました。

1999年、菊池直子は人材派遣会社に登録し事務の仕事に就いていました。2001年7月、2人はアパートをうつりました。サリン事件で苦しんでいる被害者がいる中、2人は休日に山登り行ったり普通に出歩いていたと言います。

2006年に派遣先を変え職場が横浜の物流倉庫になりました。その職場で知り合った男と菊池直子は付き合うようになりました。男は菊池直子に結婚を申し込みました。

2007年に菊池直子は交際相手に真実を打ち明けました。それでも男は菊池直子と暮らすことに決め、2人はウエディングドレスとタキシードで記念撮影を行いました。

2007年3月、2人は東京町田のアパートに新居をかまえました。新しいパートナーを得た菊池直子は以前にも増して大胆になりました。新婚旅行と称し広島や四国の四万十川へ旅行。旅先では嬉々として記念写真まで撮っていました。驚いたことに菊池直子は男の実家にも足を運んでいたのです。

2008年4月から菊池直子は神奈川県海老名市の運送会社で事務員として働き始めました。近隣の住民とも親しくなり、そろって居酒屋などにも出かけていました。2010年12月、2人は相模原市の古い一軒家に引越しました。周辺の住民は2人を仲の良い夫婦だと思っていたと言います。

2012年1月1日、平田信容疑者が逮捕されました。3月に菊池直子の交際相手が兄を東京に呼び出しました。そして兄に全てを打ち明けたのです。

6月3日に、兄が警察に通報し菊池直子は逮捕されました。取調べで菊池直子は「麻原は嫌いです。でも、オウムの教えは正しいと思います。」と語ったと言います。

「1000年後に残したい報道映像2012」

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