ケネディ大統領暗殺事件の黒幕|マサカの世界衝撃事件

TBSテレビの「マサカの世界衝撃事件6」でケネディ大統領暗殺事件の黒幕について放送されました。第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディは多くの国民の目の前で命を奪われ世界を衝撃を与えました。逮捕されたのはリー・ハーヴェイ・オズワルド。誰もが本当にオズワルドが単独でやったことなのか、裏に彼を操っていた大物がいたのではないかと、事件はアメリカ史上最大のミステリーとなりました。この事件にはソ連陰謀説、CIA陰謀説、キューバ陰謀説など様々な説が唱えられてきました。そして今年、当時の調査に関する文書が一部公開されることになっています。そんな中、今最も有力な陰謀説が紹介されました。

 

ジョン・F・ケネディはアメリカ史上最も若くして大統領に選ばれた国民的な英雄です。マリリン・モンローをはじめとする数々の女性と浮名を流すプレイボーイでもあり、支持率や人気は非常に高かったと言います。事件は大統領就任から2年後の1963年11月22日に起こりました。テキサス州ダラスで演説を行った後、妻を隣に乗せオープンカーでパレードを行っていた時でした。銃弾が3発発射され、そのうち2発がジョン・F・ケネディの首と頭部に命中。即死でした。ジョン・F・ケネディ暗殺のニュースは全世界に駆け巡り、アメリカ国民は悲しみにくれました。警察は直ちに銃弾の軌道から狙撃が行われたビルを特定。ビル内の捜索を行い犯行に使われたと思われるライフル銃を発見。そして犯行から1時間20分後、そのビルで働いていた男を大統領暗殺の容疑者として逮捕しました。逮捕されたのはリー・ハーヴェイオズワルド(24歳)でした。しかし、オズワルドが単独で犯行を行ったという彼自身の証言には多くのアメリカ市民が疑問を持っていました。なぜなら、オズワルドがいた教科書倉庫ビルはパレードの後方でしたが、当時の聞き込み調査から銃声は複数の方向から聞こえたというからです。

 

ケネディ大統領の暗殺2日後、ダラス警察の駐車場で移送されていたオズワルドが突然侵入してきた男に至近距離から発砲され殺されました。すぐに取り押さえられ現行犯で逮捕されたのはダラス市内でナイトクラブを経営していたジャック・ルビー(52歳)でした。警察はルビーにあらゆる質問を投げかけましたが、何も語らないまま1967年に獄中で病死しました。直接的な加害者が全員死んだことで事件は迷宮入りとなりました。

 

ケネディ暗殺後、副大統領から新大統領に就任したリンドン・ジョンソンは事件を調べる特別調査チーム「ウォーレン委員会」を組織。9ヶ月の調査の末、公表された報告書には「ケネディ大統領暗殺半はリー・オズワルドただ1人。そのオズワルドはルビーに単独で殺された」と書かれていました。この報告書に国民は疑惑を一層深めました。市民の疑惑をおさめるため、1976年に政府の新たなる調査チームとして「下院暗殺調査委員会」が発足。この委員会のメンバーだったロバート・ブレイキー氏はウォーレン報告に異をとなえ、アメリカ史をひっくり返すとんでもない説をとなえました。

「暗殺の裏に陰謀があったと判断しました。首謀者はマフィアに違いありません」(ロバート・ブレイキー氏)

 

警察署内で容疑者を殺害されるという失態をおかした警察は、事件の背後関係を独自に調査していました。その結果、オズワルドとルビーを繋ぐ一人の黒幕の存在が浮かび上がったのです。それはアメリカ南部のマフィアのボスであるカルロス・マルセロでした。マルセロはダラスでは数多くのカジノを所有するなど権勢を誇っていました。ナイトクラブを経営していたジャック・ルビーは当然のように裏社会と繋がりがあり、特にマルセロとの関係は深かったと言います。また、オズワルドの祖父はマルセロの下で賭博の胴元をしていました。2人は裏社会においてマルセロと繋がりがあったのです。マルセロにはケネディを暗殺する強烈な動機がありました。それはマフィア一掃政策です。ケネディの弟ロバート・F・ケネディは司法長官をつとめていました。真面目で熱血漢といわれたロバートは就任直後からマフィア壊滅を目標に掲げ、連日大物マフィアを起訴していました。そんなロバートのことをマフィアたちは憎悪の目で見ていました。カルロス・マルセロはマフィア一掃政策の余波を受け、1961年に国外追放されてしまいました。しかし数週間後、マルセロはマフィア仲間の協力でアメリカに密帰国しました。マルセロはケネディ大統領への殺意を抱いていました。オズワルドとルビーを使って暗殺の計画を立てていたとしてもおかしくありません。事件後、警察はマフィア一掃作戦による因縁を考慮し、マルセロを重要な容疑者としてマークしていました。しかし、決定的な証拠をつかめずにいました。

 

事件から20年後の1985年、テキサス州テクサーカナ連邦政府矯正施設にマルセロが服役することになりました。

「当時、カルロス・マルセロが管轄内で服役していたんです。いい機会なので彼がまだニューオリンズの顔役なのか探ることを目的に接近したんです。最初はケネディ暗殺について調べる気はありませんでした」(FBI捜査官トーマス・キンメル氏)

服役中のマルセロはジャック・レニンガムという男と仲良くなっていました。レニンガムとマルセロは年齢が近かっ

たこともあり、すぐに打ち解け刑務所内では常に一緒に過ごすようになりました。

「俺たちはウマが合ったんだ。彼が犯した数々の凶悪犯罪に目をつぶれば、あんなに楽しい話し相手はいなかったね」(ジャック・レニンガム)

「FBI捜査官にマルセロの情報をよこせば刑務所から出してやると言われたんだ。断る権利を尋ねたら、あるわけがないと一蹴されたよ」(ジャック・レニンガム)

そして実際にレニンガムはマルセロと同じ監房に移されました。レニンガムはマルセロに許可を得てラジオを置きました。それは警察が用意した盗聴器付きのラジオでした。

「『ヤツは俺の子分だ。あの日あいつは俺の命令に従っただけだ』って言ってたんだ。口が滑ったと思ったんだろう。やつはすぐに話題を変えた。俺は内心恐怖に震え上がったよ」(ジャック・レニンガム)

しかし、警察の調査はなぜかここで終了。マルセロが大統領暗殺の罪で逮捕されることも、事実が公になることもありませんでした。

「大統領を殺したと本人が言ったんだ。テープを使えば間違いなく有罪にできたはずだ」(ジャック・レニンガム)

レニンガムはその後、半年後に刑務所を出所しました。彼にたくされた任務が遂行された証です。

警察は決定的な証拠をつかみながら、なぜかマルセロを逮捕しませんでした。そしてマルセロ自身も自分が絶対に逮捕されないと分かっていました。なぜならマルセロはアメリカの根幹に関わる重大な弱みを握っていたからです。

 

1950年代、キューバはアメリカの友好国で巨大なカジノを持ちアメリカマフィアの資金源でもありました。ところが、1959年、カストロによる革命政府が誕生。カストロ率いるキューバは社会主義国であるソ連との結びつきを強め、アメリカとの関係は半ば断絶しました。この時CIAはカストロ政権はアメリカ政府のためにならないと判断し、大統領にも秘密でカストロ暗殺計画を立てていました。問題はその計画のパートナーでした。

「CIAは1960年の夏頃からカストロ暗殺をマフィアと共謀していました」(ノンフィクション作家ラマー・ウォルドロン)

しかし、情報が事前に漏れ暗殺計画は失敗。そんな中、1961年にケネディ大統領が誕生し、その翌年にキューバ危機が起こりました。ケネディはソ連のフルシチョフとギリギリの交渉を続け、アメリカは絶対にキューバへ侵攻しないという約束と引き換えにソ連もキューバから核ミサイルを撤去することで和解しました。しかし、キューバ危機が去ってもカストロは国連による核査察を拒否。アメリカ政府はこの後もキューバが核武装しているのではないかという不安に怯え続けることになりました。そんな時、ケネディ大統領のもとにカストロ政権に不満を持っていたキューバ政府のナンバー3フアン・アルメイダからある話が持ち込まれたと言います。それはアメリカが全面支援をしてくれるならカストロを暗殺するというもの。万が一アメリカ政府がカストロ暗殺に関わっているということが世に出てしまえば再び核戦争の危機はまぬがれません。しかし、ケネディ大統領はアルメイダと手を組み、カストロを暗殺すること決断しました。それはアムワールド計画と名付けられ、実行日は1963年12月1日に決まりました。しかし、この状況をカルロス・マルセロが嗅ぎつけました。計画の発覚を恐れるアメリカ政府が真犯人であるマルセロを追求するはずがないというのが、マルセロが考えた悪魔の完全犯罪だったのです。

 

当初、マルセロはケネディがパレードをする3か所で暗殺計画をスタンバイしていたと言います。シカゴで実行犯に選ばれたのはオズワルドと同じカストロ信奉者の若者でした。しかし、事前の通報で男は拘束されました。彼の家のベッドの上からライフル銃と実弾3000発、パレードのルートマップが発見されました。すでに群衆がパレードをまちかまえる中、警護班の説得でケネディはパレードを中止しました。警護班は続けて予定されていたタンパ、ダラスでのパレードも中止するようにケネディに進言しました。しかし、ケネディにはパレードを中止にはできない事情がありました。この時すでにアムワールド計画の実行日まで1ヶ月。ケネディはタンパとダラスでの演説を通してキューバにメッセージを送ることになっていたのです。

「演説の内容はアルメイダへの支持を表すためにCIAが書いたものです。ケネディはメッセージを効果的に伝えるため、あえて暗殺の危険を冒してタンパを訪れたのです」(ノンフィクション作家ラマー・ウォルドロン)

それを知っていたマルセロはダラスで計画を実行することを決断。マルセロの指示通り、オズワルドは職場であった教科書倉庫ビルからケネディ大統領を射殺しました。その日の夜、ジャック・ルビーは姉の家にいたと言います。翌日、オズワルドはルビーに射殺されました。そのジャック・ルビーは3年後に獄中で病死。彼にオズワルド殺害を指示したとされるマルセロも刑務所を1993年に出所した直後83歳で病死。事件に直接関わった者たちはみなこの世を去りました。


カテゴリー: 事件

  1. あさい❗
    言いたいことは沢山ありますが
    今は私も含め生きていられるか分かりませんが
    2038ねんを待ちたいと思います

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