ロシアにあるエルミタージュ美術館は、18世紀にロシア皇帝の宮殿としてつくられロシアバロック様式の傑作と言われる王宮です。冬宮、小エルミタージュ、新旧エルミタージュ、劇場の5つの建物で構成されています。
エルミタージュで波乱万丈な人生を送り、その生涯を閉じたロシアの女性エカテリーナ・アレクセーエヴナ。ドイツの片田舎の貴族出身だったエカテリーナは、後のロシアの皇帝となる皇太子ピョートルと結婚。そして夫の死後、自ら女帝の座に就きました。
18世紀初頭、初代ロシア皇帝ピョートル大帝はヨーロッパに比べ整備が遅れていたロシアの近代化を決意。サンクトペテルブルクをロシアの都にふさわしい街に作り上げました。ピョートル大帝が当時最先端技術を用いて建設したペテルゴフ宮殿は、フランスのベルサイユ宮殿をモデルにしたものと言われています。こうして、サンクトペテルブルクはロシア革命の翌年の1918年まで約200年間、政治、経済、文化の中心として繁栄を続けました。
エカテリーナはドイツの北部ポンメルンの貴族出身。帝国ロシアの皇太子ピョートルに嫁いだのは16歳の時でした。母方の一族がロシア皇帝の一族と姻戚関係にあったのが縁でした。彼女は容姿には恵まれませんでしたが、聡明で活力に満ちていたと言います。ロシア語を寝る間を惜しんで勉強し、嫁ぐ前に日常会話をマスターしました。
しかし、ピョートルには愛人がいてエカテリーナを束縛し、隙あらば修道院に幽閉しようとしていました。そんな夫との夫婦生活がうまく行くはずもなく、結婚から6年後、エカテリーナは愛人を作り始めました。王妃でありながら次々に愛人を作ったエカテリーナは自分だけの居場所を作りました。それがフランス語で隠れ家を意味するエルミタージュです。
1762年1月5日、夫ピョートルが皇帝に即位。すると、ピョートル3世はプロイセンとの戦争で勝利目前に和睦。占領地を返却し賠償金も要求しなかったため国内で不満が爆発しました。即位から半年後の6月28日、クーデターが発生。クーデターを起こしたのはピョートル3世に不満を抱いていた近衛軍や貴族でした。
夫の死 女帝として即位
捕らえられたピョートル3世は8日後に突然病死。そんな皇帝の死因を発表したのはエカテリーナでした。死因は持病の痔が悪化したというもの。エカテリーナはピョートル3世の葬儀に出ませんでした。そして33歳のエカテリーナが女帝として即位しました。
21人いたと言われるエカテリーナの愛人たちの中で最も寵愛を受けたのがグリゴリー・オルロフです。端整な顔立ちで背が高く筋骨隆々としていたと言います。
オルロフは政治家や外交官を輩出した名門オルロフ家に生まれ、クーデターを起こした近衛軍の将校でもありました。
ダイヤの呪い
かつて「ムガールの星」と呼ばれ原石は787カラットもあったオルロフ・ダイヤ。ダイヤの最初の持ち主は、インドの世界遺産タージ・マハルを作ったムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンでした。
彼は王座に君臨する一方で、その地位と富を狙われていました。そんな中ダイヤを寺院に収めると「かの石に触れる者に災いあれ」という言葉を残し、ダイヤに触れるものに天罰が下るよう呪いをかけたと言います。
その後、息子に皇帝の座をおわれ幽閉されました。妻の墓であるタージ・マハルを見ながら無念のうちに死去。以来、ダイヤを手にした者はなぜか不審な死をとげるようになりました。
1751年、フランス人の兵士ベッセルがダイヤを盗み出した後、ケンカに巻き込まれ撲殺されました。ベッセルの次にダイヤを手にしたタナー船長は飲酒過多で急死。さらに、タナー船長からダイヤを買い取ったイギリスの宝石商は強盗に殺害されました。まさに呪いのダイヤです。
1774年、オランダ・アムステルダムで競売にかけられ50万ドルで競り落とされました。このダイヤを競り落とし、エカテリーナに贈ったのがグリゴリー・オルロフです。エカテリーナはそのダイヤを大いに喜び王尺に嵌め込みました。
「ムガールの星」と呼ばれた呪いのダイヤは、2人とロシアの運命を大きく変えることになりました。
皇帝暗殺疑惑
クーデターのわずか8日後に死亡したピョートル3世。エカテリーナは国民にむけ持病の痔が悪化して死亡したと発表しましたが、痔が悪化して死亡することなどあり得るのでしょうか?
暗殺犯がエカテリーナに送った手紙には、ピョートル3世の死に関わった懺悔が書かれています。その暗殺犯とはアレクセイ・オルロフ。エカテリーナの愛人グリゴリー・オルロフの弟です。
実はアレクセイ・オルロフはクーデターで拘束されたピョートル3世の護衛の一人で、幽閉中のピョートル3世に近づける数少ない人物でした。オルロフ兄弟のはからいで女帝になれたエカテリーナ。ロシアに嫁いで17年、ついに大帝国ロシアをその手中におさめました。
愛人たちの末路
しかし、愛人グリゴリー・オルロフにはダイヤの呪いがふりかかりました。オルロフはエカテリーナ2世との結婚を望むも、エカテリーナ2世はオルロフを捨て新たな愛人を作ってしまいました。
失意のオルロフは晩年、呪いがかかったのように激しい錯乱状態に陥り精神を病んだまま死去しました。
オルロフの他にもエカテリーナの愛人たちの末路は悲惨なものでした。
愛人セルゲイ・サルトゥイコフはロシアを追放され、愛人ランスコイは催淫薬の濫用で不審死を遂げました。
その後、オルロフダイヤを受け継いだロマノフ王朝6人の皇帝は、2人が暗殺、1人が処刑、3人が不審な病死をとげています。そして、300年続いたロマノフ王朝は1917年に滅亡しました。
「世界遺産ミステリー」
愛と野望の宮殿エルミタージュ
~女帝エカテリーナの呪い~
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