佐々木剛は今…火災で大やけど&顔を失いホームレスに|爆報!THEフライデー

佐々木剛(ささきたけし)さんは1968年に芸能界デビュー。大人気ドラマ「柔道一直線」で主人公のライバルを演じ、一躍人気二枚目俳優の仲間入りを果たしました。そして「仮面ライダー」の主人公、一文字隼人役に抜擢。憧れのスーパーヒーロー、佐々木剛さんの人気は不動のものになりました。

プライベートでも妻との間に3人の子供をもうけ、まさに幸せの絶頂でした。

火災で大やけど

ところが1982年2月15日、佐々木剛さんは妻と深夜まで酒を飲み泥酔したままアパートで就寝。石油ストーブをつけたままでした。石油ストーブの火が干していたタオルに引火。部屋は瞬く間に炎に包まれました。

妻を助け出した佐々木剛さんは何とか火を消そうと布団をかけようとし火まみれに。アパートは半焼、隣の家は全焼するほどの大火災になってしまいました。

助け出された佐々木剛さんは病院へ緊急搬送されました。全身の70%を火傷し、生死の境を三日三晩さまよいました。包帯で全身を巻かれ入院を余儀なくされていた佐々木剛さん。半年後、初めて鏡に写った自分を見て愕然としました。2倍以上に膨らんだ顔は焦げた醜い傷跡で覆い尽くされていたのです。

顔を失った俳優

役者復活を夢見て行った5回もの皮膚移植。しかし、顔は元に戻りませんでした。イケメンヒーロー一文字隼人は役者の命、顔を失ってしまったのです。かわりに入院と度重なる手術で借金がのしかかりました。その額1000万円にもなりました。

火災から1年後、妻子を養い借金を返すために佐々木剛さんは役者の道を捨てました。就いた仕事は警備員。醜い傷のコンプレックスから人目を避けた仕事ばかりを選びました。佐々木剛さんはドラマの役柄を演じていると思い込み、ただ働き続けたと言います。

その後、焼き芋売りで生計を立てるようになった佐々木剛さん。ある日、子連れの女性から「あなた仮面ライダーに出てた人でしょ?」と言われました。すると佐々木剛さんは「似てるって言われるけど違うんですよ。あの人、火事で死んだらしいですよ」と言ってしまいました。佐々木剛さんは自分の中で自分を殺してしまったのです。

ホームレスに…

その日から佐々木剛さんは稼いだ金をすべてにつぎ込みおぼれるように。廃人のようになった佐々木剛さんに家族は愛想をつかし離婚。家庭も崩壊しました。

いつしか働く気力も失い、金もつきた佐々木剛さんは、車の中で寝泊りするホームレスにまで落ちていました。

男の友情

ところが、石橋正次(いしばししょうじ)さんが佐々木剛さんの人生を大きく変えてくれました。石橋正次さんは、佐々木剛さんと同じ劇団出身で友人であり良きライバルでした。

それは火災から10年目のある日、佐々木剛さんが石橋さんの元を訪ねた時でした。石橋さんが「舞台(士魂)に出てみないか?」と言ってくれたのです。しかし、佐々木剛さんは火傷のコンプレックスで役者復帰など想像もできなかったと言います。

ところが、舞台の宣伝チラシには出演するか分からない佐々木剛さんが載せられていました。しかも、載っていたのは輝いていた頃の写真でした。石橋さんは佐々木剛さんが舞台に出てくれることを信じていたのです。

まるで青春ドラマのような男の友情。佐々木剛さんは親友の期待にこたえるため、必死で台本を覚えました。そして役者・佐々木剛さんは再び舞台に戻ってきたのです。

奇跡のカムバック

それから、ホームレス生活を抜け出すため日光江戸村の住み込み役者となり生計を建て直しました。借金もすべて返済し、失った時間を取り戻すように芝居に打ち込みました。そして2011年、劇場版「仮面ライダー」に出演しライダー2号の声を演じました。

現在、佐々木剛さんは役者業と平行して居酒屋のマスターもしています。店名は仮面ライダーの佐々木剛さんらしく「バッタもん」です。復帰直後、まだ生活が苦しい時期を支えてくれたライダーファンへ、少しでも恩返ししたいと立ち上げたお店です。

一夜にして人生のどん底を経験し、奇跡のカムバックを果たした佐々木剛さん。彼はこれからもヒーローとして輝き続けます。

「爆報!THEフライデー」

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