古墳のミステリー|歴史秘話ヒストリア

NHK総合テレビの「歴史秘話ヒストリア」でコーフン!古墳のミステリーが放送されました。前方後円墳は古代日本人が作った世界のどこにも例がない不思議な形のお墓です。一体なぜこんな形をしているのか、いまだに解明されていません。

 

不思議なカタチの謎

前方後円墳は全長400メートルを超える巨大なものから15メートルに満たない小さなものまで、その数は約4800基あります。北は岩手から南は鹿児島まで、全国各地で見つかっています。前方後円墳とは、その名の通り前が四角形で後ろが円の墓です。一体なぜこんな形なのか、今まで様々な説が唱えられてきました。

[前方部祭壇説]
江戸時代から学者が唱えていた説です。後円墳は死者が葬られた墓の本体で、前方部はそれを祀る場だったという説です。しかし、各地の古墳で調査が行われたものの前方部から祀りの場は見つかっていません。

[天円・地方説]
古代中国では天を円、地を方と考え円形と四角形別々の祭壇を作って祀っていました。天壇、地壇と言います。古代日本にこの考えが入ってきたとき、この2つの祭壇を合体させ一緒に祀るようにしたというのです。しかし、この説を裏付ける証拠も見つかっていません。

前方後円墳の形の謎はいまだに解明されていない古代史最大のミステリーの一つなのです。そんな中、一つの説が近年注目を集めています。新説を唱えているのは辰巳和弘(たつみかずひろ)さんです。

奈良県桜井市にある箸墓古墳は全長280メートル、3世紀半ばに作られた最古の前方後円墳と言われています。壺のような形をしています。古代の中国では不老長寿の仙人たちが住む理想郷「ユートピア」が壺の中にあると考えられていました。つまり、古墳が壺の形をしているのは仙人の住むユートピアを再現しようとしたものと考えられるのです。ツボの中に不老長寿のユートピアがあるという思想が入ってきたとき生み出されたのが前方後円墳だったのかもしれません。

 

よみがえる王の記憶

はにわは古墳の飾りとして並べられた素焼きの焼き物です。普通、バラバラの破片で出土することが多く、もともとどのように並べられていたのかまでは分からないケースがほとんどです。しかし群馬県にある保渡田八幡塚古墳は完成後まもなく火山の噴火により丸ごと埋まってしまいました。そのため、作られた当時の配置がそのまま地中に残されていたのです。王と考えられるはにわはファッションを変えて7体ありました。これらはみな同一人物です。王のはにわそれぞれを中心に7つの場面に分けられていると考えられるのです。亡くなった王をただ葬るだけでなく、生前の輝かしい姿を永遠にとどめて人々に見せ続ける、古墳にはそんな壮大な目的が秘められていたのです。

 

ユートピアへ向かう船

全国各地にある前方後円墳のほとんどは中を見ることができません。破壊されていたり天皇陵として立入禁止になっていたりするものが多いからです。ところが九州には中の石室まで調査され公開されている古墳が沢山あります。福岡県の王塚古墳もその一つです。古墳の中は2つの部屋からなっています。奥の部屋は高さ4メートル、広さ8畳ほど。規則正しく描かれた三角形の模様が壁を埋め尽くしています。そして靫(ゆぎ)と盾のような模様も描かれています。どちらも攻撃を防ぐための武器です。カラフルな模様は石室の空間を悪霊などから守る魔除けの意味があると考えられています。

福岡県にある五郎山古墳の石室には船が描かれています。船の上には四角形の棺が、上空には星が描かれています。船は星空を旅しているのです。そして奥の壁に描かれているのが船の目的地、つまり来世です。これが古代の人々が考えるあの世の世界。沢山の人物が描かれています。ここに描かれている人物は保渡田のはにわに似ています。被葬者は来世でも現世と同じように暮らすことを願って絵が描かれたのです。

奈良県にある巣山古墳で2006年に発見がありました。古墳の堀から巨大な船の部材が発掘されたのです。壁画に描かれていた来世への船が実際に出土した初めての例でした。

 

前方後円墳は3世紀から400年もの間作られ続けました。しかし7世紀に入るとその伝統はパタリと途絶えてしまいました。奈良県にある見瀬丸山古墳は最後の前方後円墳と言われています。ここは古代の天皇・大王の墓だとされています。大王の棺がただ一つだけおさめられているはずの石室になぜか2つの棺があることが近年明らかになりました。しかも手前の棺よりも奥にある棺の方が40年も新しいものでした。もともとあった2トン近くもの大王の棺が動かされ、新しい棺が奥に押し込まれていたのです。石室の大幅な模様替えを行ったのは、当時大王に匹敵する権力を誇った豪族・蘇我氏でした。こうして自らの権力を大掛かりにアピールしていたのです。方墳は仏教とともに入ってきた新しい世界観をうつしています。蘇我氏は古より続いてきた前方後円墳の伝統を捨て、新たに仏教の導入を積極的に推し進めました。これ以降、天皇や豪族たちは古墳の代わりに巨大な寺院を建てることで権力の大きさを誇示するように。そしていつしか前方後円墳にあらわされた古代人の世界観は忘れ去られてしまったのです。


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