フェルメールの「デルフトの眺望」|美の巨人たち

テレビ東京の「美の巨人たち」でフェルメールの「デルフトの眺望」について放送されました。「デルフトの眺望」は実にすがすがしい絵です。まるで光を放っているかのような印象を受けます。画家の名はヨハネス・フェルメール。彼がこの世に残したのは30数点の油彩画。そのほとんどは日常の一コマです。人々の慎ましい暮らし、ささやかな幸福。静かに時が流れ、あるいは時が止まったような室内の一瞬です。そんなフェルメールがなぜ風景画を描いたのでしょうか?小説家マルセル・プルーストは「デルフトの眺望」と向き合い「世界で一番美しい絵を見た」と絶賛しています。美しさの秘密とは一体何か?描いた理由とは一体何か?その技法と意図が分かった時、画家の溢れる思いと街の秘密が解き明かされるのです。謎を解く鍵は2つの塔かもしれません。

 

「デルフトの眺望」は縦97cm、横116cm、ほぼ正方形の油彩画です。季節は初夏です。時計の針が示しているのは朝の7時10分。清々しい空気に満ちています。画面の3分の2を占めるのは空。重苦しい暗い雲が奥へ行くにしたがって白く軽くなっていきます。切れ間から射し込む優しい日差し。その光を浴びた画面右奥の町並みは目を覚ますように明るくなっていきます。一方、左側の建物はいまだ影となってまどろんでいます。鏡のような運河の透明感。手前の岸には何人かの人の姿が描かれています。

 

17世紀当時のデルフトは人口2万人程。新教会が建つマルクト広場が町の中心です。すぐそばにフェルメールが生まれた家があります。洗礼を受けた場所、結婚して住んだ家、お墓もあります。この町が画家の人生の全てでした。21世紀の今もデルフトはフェルメールと共に生きています。デルフトには世界中からフェルメールに魅せられた人々がやってきます。

 

フェルメールはなぜデルフトの眺望を描いたのでしょうか?理由の一つが画面中央で輝くデルフト新教会かもしれません。ゴシック様式の堂々たる建築には王室の墓所があります。16世紀、オランダ独立を主導したオラニエ公ウィレム1世が葬られています。1632年、フェルメールはここで洗礼を受けました。輝く新教会は町の誇りであるとともに、自らの原点だったのです。もう一つの理由がかつての火薬庫にあるのかもしれません。1654年10月12日、火薬庫に蓄えられていた40トンもの火薬が爆発し、町の大半が壊滅しました。死者1000人余り。その中にはカレル・ファブリティウスもいました。彼は光の描き方についてフェルメールに大きな影響を与え、師匠とも言われている人物です。フェルメールに先駆け、デルフトの風景も描きました。そのファブリティウスの死から6年後に描かれたのが「デルフトの眺望」でした。当時のデルフト市誌にはこう書かれています。

「かくして不死鳥は無念にも息絶えた。才能は花開き真っ盛りを迎えていたのに。しかし、その炎から幸いにも現れたるはフェルメール。そして堂々と師の拓いた道を歩み行くことに」

フェルメールが描いた場所は災害をまぬがれた唯一の場所でした。悲劇を乗り越え、力強く復興をとげたデルフトの姿を描き上げたのです。亡き師への鎮魂歌として。

 

「デルフトの眺望」には長らくある説が唱えられてきました。フェルメールは壁の質感を表現するため絵具に砂を混ぜた、その絵肌の凹凸が光を複雑に反射させるため、絵が輝いて見えると。しかし、砂だと思われてきた画面の凹凸は、絵具に含まれる鉛と油が化学反応で砂利のように固まり、絵具の層を突き破ったものと現在では考えられています。では「デルフトの眺望」が光を発しているように見えるのはなぜでしょう?そこには「ウェット・イン・ウェット」と「グレーズ技法」が使われています。

ウェット・イン・ウェット

壁には厚塗りで絵具を盛っていきます。さらに絵具が乾かないうちに上から塗り重ねます。これがウェット・イン・ウェットと呼ばれる技法です。厚く塗られた絵具に乾く前に上から塗られたことで生まれた複雑な凹凸が光を反射させ、絵に輝きを生んでいるのです。離れてみると屋根や壁は単色に見えますが、近くによってみると様々な色が複雑にまじりあっています。

 

グレーズ技法

運河の水面に使われているのがグレーズ技法です。まずは明るくしたい部分に白く下塗りをします。水の青は天然鉱石ラピスラズリから作られた顔料ウルトラマリンブルーです。フェルメールは深い青を好み多用しました。このウルトラマリンブルーを油でとき、下塗りした白の上に重ね塗りすると水面に透明感を与えることができます。




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