ミケランジェロ「最後の審判」|美の巨人たち

テレビ東京の「美の巨人たち」でミケランジェロの「最後の審判」について放送されました。ミケランジェロ・ブオナローティの「最後の審判」はシスティーナ礼拝堂にあり、詩人ゲーテが「人間のなし得る最大の偉業」と呼んだ永遠不滅の作品です。描かれているのは筋骨隆々とした裸体。キリストさえもそうなのです。「祭壇を飾る絵が裸体でうめつくされているなんてありえない」と当時大スキャンダルを巻き起こし、画家の死後、布が描き足されたといういわくつきです。

 

「最後の審判」とはキリストが再臨し生者も死者も全ての魂が召喚され裁きを受けるという新約聖書の一説です。中央には再臨したキリストが右手を掲げ裁きを告げています。傍らにいるのは愛と慈悲の象徴である聖母マリア。二人の周りには裁きを見守る人の姿が描かれています。キリストの右側には金の天井の扉の鍵と銀の地上の扉の鍵を握りしめた聖ペテロ。反対側には聖ヨハネが運命の宣告を固唾をのんで待っているようです。キリストの下にラッパを吹く天使たちがいます。その中に本を持つ2人の天使が。大きな本には地獄へ落ちるもの。小さな本には天国へのぼる者の名が記されているのです。全ての魂が画面の左下からのぼって来ます。天使からキリストの裁きを伝えられ天国へ行く者はそのまま左上へ。天国へのぼった者は幸福と安堵の表情を浮かべています。一方、地獄へ行くものは右下に描かれています。非情な表情で拳を上げる天使が、生前悪行をした人間を次々と地獄へ突き落しています。地獄の入り口では悪魔の化身へびをまとった地獄の裁き主ミノスが待ち構えています。

 

ミケランジェロは神のごとき才能と称賛された天才です。彫刻こそが最高の芸術と信じていましたが、教皇は絵画を求めました。私は画家ではないと拒否しましたが、ユリウス2世はシスティーナ礼拝堂の天井画の制作を命じました。30代のミケランジェロは捕らわれの身となり長さ500mを超える天井と格闘しました。初めて手掛けたフレスコ画はバチカンの最高傑作と大絶賛されました。その天井画から30年後、60歳になったミケランジェロは再び礼拝堂のフレスコ画の制作を命じられました。それが祭壇画「最後の審判」です。

 

「最後の審判」はミケランジェロが60歳から6年もかけ描き上げた大作です。以来500年間、見るものを惹きつけてきました。その魅力は400人近くの人物によって作り出されるカオスの世界。それまでの最後の審判の描き方とは全く違っていました。キリストの裁きを知らせる天使には羽がなく、聖人たちには光輪がありません。キリストとマリアでさえ。本来、最後の審判は宗教画らしく秩序ある画面構成で描かれるものなのですが、ミケランジェロの手にかかると混沌とした群像表現に。しかも裸体です。ルネサンスの詩人ピエトロ・アレンティーノは「享楽的な浴場ならともかく至高の聖堂の内陣には適さない」とミケランジェロを非難しました。

 

実はミケランジェロが異常なほど肉体美にこだわった背景にはある事件があったと言います。1506年、ギリシャのロードス島で一体の素晴らしい彫刻が見つかったのです。それがラオコーン。ヴァチカンに運ばれた彫刻を見たミケランジェロは大いに触発されました。30代で描いたシスティーナ礼拝堂の天井画「天地創造」は神が世界を作り、最初の人間アダムに命を吹き込み、ノアの箱舟へと続く壮大な物語です。ミケランジェロは神や聖人たちの崇高さを表現するために古代彫刻のような肉体美で描きました。人物たちの体はラオコーンのような躍動感にあふれています。大きく捩じったポーズのアダムの体も逞しく美しい肉体です。「最後の審判」のキリストもアダム同様、若くたくましい姿です。よく見るとキリストとアダムは似ています。

「人間は神の姿に似せて創られたものであり、この世界で真に美しくまた真実をっ語るものは裸体である」(ミケランジェロ)

「最後の審判」でも肉体で精神や感情を描くことにこだわり独特な世界観を作り上げました。従来の宗教画のルールにとらわれず肉体で荘厳さや美しさ、強さを表現し大祭壇画を作り上げたのです。

 

1981年から1994年までシスティーナ礼拝堂では大規模な修復が行われました。そこでミケランジェロが一度描いた部分を削り取り、修正を加えていたことが分かりました。フレスコ画は漆喰の上に描きます。紙に描いた下絵に穴を開け、反乾きの漆喰の上に下絵をおき茶色の顔料を押し付けていきます。これがスポルヴェロという技法。うつした下絵をガイドに描いていきます。しかし、ミケランジェロの描き方は一般的な絵画技法とは違い独特でした。絵を描く時、通常は明るい色に暗い色を後からのせ、明暗をつけていきますが、ミケランジェロは逆でした。何層にも重ねられた肌の色は肉体の厚みを表現し、最後に白をのせることで筋肉の盛り上がりや影を作り出してます。ミケランジェロは平面なフレスコ画に彫刻のような立体感を表現したかったのです。気の遠くなるような作業を続けること6年、ミケランジェロは登場人物391人という大祭壇画を描き上げました。ところが、祭壇画だというのにその顔はどれを見てもひどく醜いのです。

 

「最後の審判」の30年前に描かれた天井画は天地創造の場面にふさわしい人物表現で描かれています。崇高さ荘厳さを漂わせ美化された宗教画にふさわしい表情です。一方、「最後の審判」は生々しい表情で、その顔は宗教画に登場する人物というより生身の人間のようです。よく見てみると日焼けした老女、ローマの下町の娘、喜びキスをする者まで。ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂という教皇専用の礼拝堂にあえて庶民を描きメッセージを込めたのです。地位も名誉もここでは関係ない、全人類のための礼拝堂なのだと。絵を描くことは本意ではありませんでした。しかし、ミケランジェロは彫刻のように人物を描き独自の肉体美を生み出しました。ヴァチカンという権力の中で自らのスタイルを貫き、天才が作り上げた礼拝堂は500年の時を経ても変わらぬ美しさを漂わせています。

 

生涯を芸術だけに注いだミケランジェロの言葉があります。

「私には芸術というとんでもない妻がいるのです。私はこの妻に悩まされいつも手一杯なのです」




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