ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」|ららら♪クラシック

NHK・Eテレの「ららら♪クラシック」で祖国へ届け こころの音楽 ~ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」~について放送されました。「パガニーニの主題による狂詩曲」は有名なバイオリン曲のメロディーをアレンジしたものです。曲を華麗に変身させたのはセルゲイ・ラフマニノフです。

 

先人を超える名アイデア!

曲のタイトルにも入っている「パガニーニ」は18世紀に実在した天才バイオリニスト、ニコロ・パガニーニなのです。彼が作り出したシンプルなメロディーが後の大作曲家たちにインスピレーションを与えることになりました。そのためクラシック音楽の中には沢山のオマージュ作品が存在するのです。ラフマニノフが書き上げたのはピアノとオーケストラのための「パガニーニの主題による狂詩曲」です。パガニーニの有名なメロディーとテーマにしてラフマニノフは様々な方法でアレンジしたのです。ラフマニノフは作曲当時の様子を友人に手紙につづっています。

「親愛なる友人ホロヴィッツよ!!今パガニーニの主題をつかって変奏曲を作曲しているがシューマンもブラームスも思いつかなかったすごいアイデアが浮かんだんだ!!この変奏ひとつがこの曲全体を救ってくれるぞ!!」

ラフマニノフのすごいアイデアとは一体何だったのでしょうか?それは旋律を反転させることでした。ラフマニノフはこの発見に自信を持ち、24もの変奏からなる壮大な変奏曲を一気にかき上げたのでした。

 

よみがえった音楽の泉

1917年、300年続いたロマノフ朝が崩壊。帝政ロシアの時代が幕を閉じたその年、作曲家でもあり一流のピアニストでもあったラフマニノフは祖国ロシアで最後となる演奏会を終えました。そして日々悪化する国内情勢を逃れ、家族と共にアメリカへと渡ったのです。この時、二度と祖国に戻れなくなるとは予想もしていませんでした。ビジネスの国アメリカでラフマニノフをまちかまえていたのは過酷なスケジュールで埋められて連日の演奏会でした、アメリカはすぐに彼のピアニストとしての才能の虜になったのです。しかし、作曲活動は亡命後8年間に渡って途絶えていました。その理由を友人が尋ねると、ラフマニノフは寂しそうに答えました。

「どうやって作曲するんです?もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いていないのに」

ロシアの雄大な自然こそがラフマニノフの創作の源だったのです。同じ頃、音楽界では新たな作曲技法や斬新な音楽がもてはやされていました。そのため、美しい旋律とハーモニーを守るラフマニノフの音楽は時代の評論家たちに揶揄されることもあったのです。しかしラフマニノフは例え保守的と言われようと音楽は人々の心を動かし豊かにするものでなければならないという信念を曲げませんでした。そして、その音楽を生み出すには自分自身の心が何かに動かされなければいけないこともよく分かっていたのです。

転機が訪れたのは亡命から14年が過ぎた1931年。休暇でスイスを訪れた時のことでした。果てしなく続く森、ロシアと同じように雨が降り続ける灰色の土地。ラフマニノフはそこに遠い故郷を思い出したのでした。そしてスイスのルツェルンに別荘を建てることにしたのです。より故郷の姿に似せるため庭に沢山の植物を植え、ロシアを彷彿とさせる白樺の木を植えました。3年をかけて作り上げたその場所で、望郷の思いを抱え続けていたラフマニノフの心はようやく癒されたのでした。そうして創作意欲を取り戻したラフマニノフがこの地で初めて作曲したのが「パガニーニの主題による狂詩曲」だったのです。

「音楽は心より生まれ心に届かなければならない」

その言葉通り、ラフマニノフの美しい音楽は再び人々の心に響き渡ったのです。




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