桂小金治の晩年 認知症との闘いを妻が初激白|爆報!THEフライデー

TBSテレビの「爆報!THEフライデー(ばくほうザフライデー)」芸能人の認知症で桂小金治さんについて放送されました。落語家でありながら俳優や司会を行う元祖マルチタレントの桂小金治(かつらこきんじ)さんは1975年から15年間続いた「それは秘密です!!」の司会に。感動の再会シーンでは人目をはばからず涙する姿で「泣きの小金治」の異名をとり昭和の名司会者としてテレビ界を長年支え続けました。しかし2000年以降テレビの露出は激減。彼の軽快なトークを耳にすることはなくなりました。そして2014年11月3日、桂小金治さんは認知症との闘いのさなか肺炎で亡くなりました。

 

桂小金治さんと認知症の闘いは80歳を過ぎた頃から突然始まったと言います。その全てが綴られた桂小金治さんの日記には想像を絶するスピードで進行する認知症の恐怖がありました。

 

2012年1月8日「ママに聞いたら今日は9日だって。ボケかな」
これは認知症の初期症状の一つである見当識障害。今日が何月何日何時であるか、今自分がいる場所がどこなのか、基本的な情報を正確に認識することができなくなる障害です。この時はまだ桂小金治さんも妻もただのモノ忘れ程度にしか考えていませんでした。

2012年1月15日「昨日何したっけ?が思い出せない。駄目な自分に失望する」
近時記憶とは数日前の出来事などの新しい記憶のこと。通常、脳内の海馬で一旦記憶され、その後必要に応じて長期記憶となることもありますが、認知症の場合この海馬が正常に作動しなくなり新しい記憶が残りにくくなると言います。皮肉にも日記を書いていたことにより自分の身におきている異常を知ってしまったのです。

2012年1月20日「ボケじゃない。単なるモノ忘れです。ボーッと生きていたらボケるぞ。じゃあ、どうしたら良い!判らないんで困ります」
ボケという現実を簡単には受け入れることはできず、自分自身にカツを入れることで打開策を模索していました。この頃には妻の良子さんも異変に気付き始めたものの、真面目で完璧主義者だった夫を傷つけたくないと何も言わなかったと言います。

2012年3月1日「今日何をしたっけ?が思い浮かんでこない!しっかりしろよ!」

2012年12月4日「ボケのせいにするな。一進一退はしっかり心に止めろ!一日の自覚がうすい。もっと気にして生きていこう」

2012年12月23日「何もしないで生きていることがつらい。ならばどうしたらいいんだろう」

 

さすがに限界だと感じた妻・良子さんは桂小金治さんを説得し病院へ。桂小金治さんの認知症は想像以上に進行していました。そして良子さんは医師から本人に告知するかどうか選択を迫られました。良子さんは桂小金治さんに普段通りの生活を送って欲しいと告知しないことを選択しました。しかし、認知症はさらに加速していきました。大好きだったテレビの視聴も、数分前の記憶が消えていくためテレビの内容も理解できなくなっていました。徐々にふさぎこみ言葉数も少なくなっていきました。良子さんはデイサービスを提案しました。デイサービスを終えて帰宅した桂小金治さんは生き生きとしていたと言います。それは桂小金治さんがデイサービスにお世話になりに行くのではなく、営業の仕事だと勘違いしていたからです。87歳になっても人を楽しませたいという落語家としての気持ちに変わりはなく、仕事が生きがいだった彼にとってデイサービスは落語家・桂小金治に戻れる場所だったのです。そして3か月後、桂小金治さんは天命を全うしました。原因は認知症患者が陥りがちな誤嚥性肺炎でした。

 

最後は言葉もしゃべれなくなった桂小金治さんですが、最後まで献身的に支えてくれた妻・良子さんに最後のメッセージを残しました。それは手で「3」と「9」を作ったものでした。認知症は悪化すると家族の名前すら忘れてしまう病ですが、桂小金治さんは最後まで妻の存在を忘れることなく感謝の気持ちを伝え、そのまま息を引き取りました。実は亡くなる前の桂小金治さんの日記にはこんな文章が。

「1日の自分が思い出せない。それも良しとして何しろ頑張りましょう。ふり返ったって思いなおしたってムダです。明日に向かって前進しましょう。そうしましょう」

桂小金治さんは最後の最後まで桂小金治として笑顔のままその人生を走り抜けました。




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