神秘の天体 月 ~神話から科学まで~|地球ドラマチック

NHK・Eテレの「地球ドラマチック」で神秘の天体 月 ~神話から科学まで~が放送されました。

 

時の経過を示す

月は人類に大きな影響を与えてきました。暗い夜を照らし毎晩少しずつ姿を変えていく月は遥か昔から人々の知的好奇心を刺激する存在でした。絶えず変化し続ける月は時の経過をはかるのに最適な天体です。そのため昔から月の変化に基づいた暦が世界各地で作られてきました。太陽の光を反射して輝く月は地球から見ると毎日変化します。月の満ち欠けのサイクルは約27日。月が地球の周りを1周する時間です。

 

古代の人々を魅了

月は人々が周りの世界を理解する糸口にもなりました。初期の人類は月が様々な姿を見せる理由について深く考えなかったかもしれません。しかし次第に月と太陽の関係に気づき始め、その規則性について考えるようになりました。イギリスにあるストーンヘンジは人類が太陽と月の関係を解き明かそうとしていた証拠の一つです。ストーンヘンジは天文観測所で巨大な暦の役割も果たしていたと考えられています。大昔から人は月に思いをたくしてきました。満月が暗闇にのまれ再び姿を現すように、死後の復活という願いを反映させることが出来たからです。

 

神話の源

古代の人々は自分たちの世界観を神話という形で表現しました。どの神話でも太陽と月は重要な役割をしめ、多くの場合対照的な2つの神として擬人化されました。古代エジプトの神話では天空の神ホルスは宇宙の秩序を再現する存在です。ホルスの頭ははやぶさの形をしていて、右目は太陽の象徴、左目は月の象徴です。ホルスは別の神との争いで左目を失います。しかしトートに左目を復活させてもらいホルスは再び調和をもたらすことができました。さらにトートはホルスの仕事を助けるため暦も考案。月の満ち欠けに基づいて時の経過を定める暦です。こうしてトートは時を司る神にもなりました。

 

暦の始まり

5000年前のメソポタミアでは3つの文化が目覚しい発達をとげました。農業、天文学、文字です。農業生産をあげるためには太陽と月の動きを把握し記述すること、すなわち暦を作ることが欠かせません。暦は社会生活の形成にも役立ちました。集団の動きを系統立てる基準がなくては社会生活は成り立たないからです。昔の人々にとって太陽は季節を知る目安で、月は日と月の経過を知る目安でした。この月の満ち欠けを基準にした暦が太陰暦です。太陰暦の1年は12ヶ月で354日。太陽暦より短いため季節とズレが生じます。そのズレを補正するため太陰暦に太陽の動きを組み合わせた暦もできました。3年に1回、閏月を1ヶ月加えて帳尻が合うようにしたものです。

 

潮の満ち干を生む

月が自然のサイクルに与える最もわかりやすい例が潮の満ち干です。潮の満ち干は月の引力によって海面が引っ張られることで生じます。時間によって陸地になったり海水に満たされたりする干潟は潮の満ち干が生み出すものです。生物の多様性にとんだ干潟を人間は様々な形で利用してきました。

 

生物に与える影響

カブトガニも潮の満ち干に合わせて繁殖を行う生き物の一つです。春、満潮になるとカブトガニは海岸でパートナーを見つけ繁殖を行います。渡り鳥のシギは何千キロもの旅をしながらカブトガニの繁殖時期を正確に見極め、産み落とされた卵を食べに来ます。シギもまた月のサイクルを利用して食べ物を見つけているのです。内陸でも月は生物の行動に影響を及ぼしています。多くの捕食動物が毎晩変化する月の光に合わせた狩の技術を発達させてきました。

 

豊じょうのシンボル

人間も様々な形で月から影響を受けています。徐々に膨らんで満月になり欠けて消え、また満月になるというサイクルを繰り返します。その光景は妊娠した女性のイメージに重なります。また女性の生理周期は約28日。月が地球の周りを1周するサイクルとほぼ同じです。そのため月は男性と女性どちらのイメージでとらえられていても大昔から出産、豊饒、男女の関係といった要素と結びつけて語られてきました。

 

古代文明の神

天体と神話には深い結びつきがあります。人は天体や自然現象に思いをめぐらせ、多くの物語を生み出しました。古代メソポタミアでは月を擬人化した神シンが崇められていました。シンは季節の変化を司り豊饒をもたらす神でした。

 

イスラム暦の基準

月はイスラム社会で特別な役割を担っています。理由の一つは砂漠を旅する時、灼熱の太陽を避けて夜に移動していたからです。その時、旅人が道しるべとしたのは月と星でした。そのため月はいまでもイスラム社会において重要なシンボルとなっているのです。イスラム教の祭礼は現在も太陰暦に基づいて行われています。

 

キリスト教にも影響

月のイメージはキリスト教にも影響を及ぼしています。聖書におさめられたヨハネの黙示録には聖母マリアを思わせる女性が太陽をまとい星の冠をいただき月の上に立った姿で登場します。聖母マリアが太陽、星、月いわば天空全体を身にまとっているわけです。これは非常に強力なシンボルです。聖母マリアは人間ですが神に非常に近い存在です。月に聖なるイメージがたくされていたことが分かります。

 

神話から科学まで

満月の時期になると出産が増えるというのは科学的な裏づけのない迷信です。なぜそのような迷信が今でも信じられているのでしょうか。月には昔から豊饒のイメージがあり様々な神話や伝説と結びついているからです。例えばギリシャ神話に登場する女神アルテミスは月の女神であると同時に出産の守り神でもありました。

 

暗黒のシンボル

多くの伝説で月の不思議な力は女性と結びついています。月に明るい部分と暗い部分があるように月の不思議な力は善の場合もあれば悪の場合もあります。悪の力を体現した存在が魔女です。古い時代、魔女というのは聡明で物知りな若い女性たちを助ける良い存在でした。特に性に関する知識を教える役割をになっていました。また女性が妊娠すると出産の手伝いもしました。しかし中世になると魔女のような存在は不謹慎なものと見なされ疎外されるように。そして悪魔とつながりがあり夜だけ現れホウキに乗って空を飛ぶといった邪悪なイメージを植え付けられました。魔女は月の暗い側面を象徴する存在になったのです。月には人の不安や心配、悪意を刺激するイメージがあります。特に満月は人間に強い影響を与え悪いことを引き起こすと信じられてきました。狼男や吸血鬼といった怪物も月の力と結びついています。月と同様に姿を変えるという特徴もありました。

 

占星術が天文学を生んだ!

神話や宗教など様々な精神文化に影響を与えてきた月は一方で自然科学の発達もうながすことになりました。古代から14世紀以降のルネサンス期にいたるまで天文学者の主な仕事の一つはホロスコープを作ることでした。権力者が占星術で未来を知りたがったからです。多くのホロスコープには占星術で重要な12の星座の間をぬうように動く惑星と月が描かれています。ホロスコープを描くには惑星の動きを把握しなくてはなりません。そのために観測用の機器が作られ惑星の位置を予測するための方程式が考え出されました。天文学はいわば占星術の道具として古代から発展してきたのです。占星術の基本原則を書き記したのは古代ローマの天文学者プトレマイオスです。特に「アルマゲスト」という著書は天文学の基本として長い間大きな影響力を持ちました。占星術の教科書となった「テトラリブロス」という著書には人が生まれた時の星の位置と、その人の未来との関係が書かれています。プトレマイオスは月食や日食がいつ発生し、どれくらい続くのかを予測する理論を確立していました。

 

権力が利用した天文学

日食は月が太陽の正面を横切り太陽を覆い隠してしまう現象で約6ヶ月に1度、世界のどこかで発生します。太陽全体が隠される皆既日食の場合、最長で7分間世界は闇に包まれます。天文学の知識がない人々はそれを恐ろしい災厄の前兆ととらえ恐怖におののきました。科学的な知識が権力に結びつくことを知っていた王たちは自らの権力を高めるために天文学を利用しました。

 

古代の宇宙観

昔の天文学者にとって月食は重要な観測対象でした。月が赤くなる前や後に月面に丸い影がかかることがヒントとなり地球は丸いという結論が導き出されました。遅くとも紀元前4世紀には地球は丸いと分かっていました。古代ギリシャの哲学者アリストテレスも「天体論」という著書の中でそのような見解を述べています。時代が進むと科学的な宇宙観よりも宗教的な宇宙観が力を持つようになりました。天空は神の領域であり人間はその運命に従うしかないと考えられるようになったのです。古代の天文学者や哲学者は宇宙は完璧な秩序に基づいて動いていると考えていました。古代ギリシャの学者は宇宙を完璧な秩序と調和にみちたシステムととらえ「コスモス」と呼びました。古代の宇宙観では月は地球と天空の境界上に位置していました。7世紀後半、イスラム文化の黄金時代が始まりました。科学と芸術が目覚しい発達をとげ天文学も大きな進歩をみせるようになりました。しかし地球は宇宙の中心であるという考え方は変わりませんでした。天文学者たちは肉眼での観察に加え、いろいろな道具を使って天体の位置をかなり正確に計測していました。14世紀頃にぜんまい仕掛けが発明されると天文学者たちは天体の運行時間をより正確に計算できるようになりました。

 

動いているのは天か地か?

歴史の大きな転換点となったのはコペルニクスが「天体の回転について」という著書を発表した年です。コペルニクスはそこで地球のほうが太陽の周りを回っているという地動説をとなえました。従来の考え方を完全に覆す説でした。この説がとなえられてから人々は以前とは違う目で夜空を見上げるように。永遠に変わることのない天上界という概念も薄れ宇宙の神秘的なベールが少しずつはがされていくようになったのです。地動説がさらに決定的なものになったのは17世紀のことでした。1609年11月30日、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが自分で作った望遠鏡を夜空に向け、月の観測を始めました。彼は月面に山や丘、谷のようなものがあるのを発見。続けて木星に望遠鏡を向けると木星の周りにも衛星が見えました。地球の周りを月が回っているように木星の周りを回る天体が存在したのです。ガリレオは天体観測によって宇宙の神秘を次々に解き明かしていきました。しかしガリレオの地動説は当時のローマカトリック教会の教えと対立する危険な考えでもありました。1632年にガリレオは「天文対話」という著書を発表し、地球は太陽の周りを回っているというコペルニクスの地動説を引き継ぎさらに発展させました。しかしガリレオは異端者として裁判にかけられ生涯軟禁の刑が下されました。ローマカトリック教会が地動説を認めガリレオの裁判は誤りだったと公式に認めたのは1992年のことでした。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

コメントは管理人の承認後に表示されますのでしばらくお待ち下さい。管理人からの返信はありませんのでご了承ください。