ストーンヘンジ 巨石建造物の謎を追う!|地球ドラマチック

NHKEテレの「地球ドラマチック」でストーンヘンジ 巨石建造物の謎を追う!が放送されました。新石器時代の脅威の建造物ストーンヘンジは、約4500年前からイギリス南部ソウルズベリーのなだらかな丘におびえています。研究者たちは何百年もその歴史の解明に挑んできました。しかし、巨大な遺跡は今も謎に包まれています。古代の人々はなぜ風をふきすさぶ丘にこれほど巨大な建造物を作ったのでしょうか?15年に及ぶ調査の末、ついにストーンヘンジの謎が解き明かされようとしています。

 

新石器時代最大級の建造物

ストーンヘンジは新石器時代最大級の建造物として世界にその名を知られる遺跡です。毎年130万人以上が訪れ、誰もがその謎に魅せられています。約4500年を経た今も人々はその巨大な姿に息をのみます。

ストーンヘンジはイギリス南部ソウルズベリーの平原にたつ巨大なストーンサークルの遺跡です。巨大な石は重さが40トンに及ぶものもあり、約40km離れた場所から運ばれ積み上げられました。内側にある小さめな50個の石ブルーストーンでさえ1個の重さは1トン以上あり、240km彼方のウェールズ地方から運ばれました。ストーンヘンジが作られた年代は長年の考古学調査によって解明されてきました。紀元前3000年頃、ここにはブルーストーンだけで作られたシンプルなモニュメントがあり、巨大なストーンサークルはその500年程後に建造されました。ストーンヘンジの構造は冬至の日没とリンクするように意図的に配置されていると考えられています。ストーンヘンジの正面に向かって真っすぐに伸びるアベニューは、何らかの儀式に使われたと考えられています。一年で最も昼が短い冬至の日の夕方、大勢の巡礼者がこの道を通ってストーンヘンジへと向かったのかもしれません。

 

近くに巨大集落が!

しかし近年、考古学者たちはある問いに悩んできました。なぜ、こんな風が吹きすさぶ平原が特別な場所として選ばれたのかです。考古学者マイク・パーカー・ピアソンはこれまで15年に及ぶ発掘調査を行いストーンヘンジの新たな謎に挑んできました。2003年、発掘チームはストーンヘンジから3km離れたダーリントン・ウォールズで謎の解明に繋がる重要な発見をしました。それは土塁で囲まれた新石器時代の大きな集落の後でした。集落跡からはストーンヘンジを築いた人々の痕跡が初めて発見されました。これまで誰も見たことのないほどの大量の住居後が広い範囲から見つかりました。新石器時代の巨大モニュメントのそばに大きな集落が存在したのは単なる偶然とは考えられません。遺物の年代測定からダーリントン・ウォールズに人が住んでいたのは約4500年前と判明しました。まさにストーンヘンジの巨石建造物が作られたのと同じ頃です。

2つの場所の繋がりを示す証拠は他にもあります。ダーリントン・ウォールズでは雄鹿の角でできたつるはしも沢山見つかりました。周辺の硬い岩盤を削るのに恰好の道具です。ダーリントン・ウォールズの集落跡からは大勢の人々が何かのおりに一堂に集まっていたことを示すものも見つかりました。何万もの土器の欠片です。新石器時代の土器の発見はイギリスの考古学界にとって大ニュースでした。土器の欠片は古代の人々の生活を知るヒントとなるからです。

 

土器から分かる食生活

土器の内側には目には見えない油などの小さな分子がこびりついています。それらは当時の人々が食べたものの痕跡です。分析の結果、膨大な量の肉を食べていたことが分かりました。当時としては驚くほど贅沢な食事であり、新石器時代に並外れた規模で調理が行われていた証拠です。盛大な宴会がもよおされていたことが分かりました。当時の人々にとって肉は特別な時だけにふるまわれる贅沢品でした。発掘された動物の骨は8万本にのぼり、そのうち9割以上が豚の骨でした。ダーリントン・ウォールズに住みストーンヘンジを作った人々は、この村で他とは比較にならないほど大規模な宴を開いていたのです。さらに骨の分析結果から豚の多くが遠方から持ち込まれたものであることも判明しました。人々は一体何を祝いにこの地に集まってきたのでしょうか。

 

真冬の祝宴

豚の骨を科学的に分析した結果、大半が生後9か月程度のものであることが分かりました。新石器時代、豚は家畜化されていましたが、まだ放し飼いで自然の繁殖サイクルに任されていました。子供は普通春に生まれるので生後9か月は真冬です。つまり、豚がふるまわれた宴は真冬に開かれていたのです。それはストーンヘンジで行われたという冬至の日の巡礼の儀式と時期的に重なります。ダーリントン・ウォールズでは年に一度、冬至の時期に盛大な巡礼の儀式と宴が行われていたことが分かりました。しかし、人々はなぜわざわざこの場所にやってきて宴を共にしたのでしょうか?

 

人々はどこから来たのか

研究者たちは豚の骨に育った地域特有の化学物質が含まれていることに注目しました。大量の豚の骨から化学物質を抽出し、豚が育った地域を調べれば宴にやってきた人々がどこからやってきたのか突き止められるのです。分析の結果、豚の育った地域はイギリス全土に及んでいました。中にはスコットランド北東部で育った豚もいました。新石器時代に豚を連れて途方もない距離を移動したのです。今から4500年前、ストーンヘンジの丘はイギリス全土に知れ渡っていたようです。新石器時代の人々にとってストーンヘンジは重要な巡礼の目的地でした。しかし、冬至の日没はどこでも見られるのに人々はなぜここに巨石のモニュメントを築いたのでしょうか?その謎に迫るにはそれ以前のことを調べる必要がありました。

 

謎の鍵を握る人骨

大きな手掛かりは巨石の側の穴から見つかりました。大量の人の骨の欠片です。100年前の発掘調査で巨石建造物の周りのオーブリーホールという56個の穴から火葬した人骨が発掘されました。しかし、当時の技術では分析できなかったため人骨は調査されず全て穴の一つに鉛の飾り板と共に戻されました。2003年、マイク・パーカー・ピアソンたちはその骨を再び掘り出す許可を得ました。中の骨の状態に考古学者たちは失望しました。何十人分もの骨の欠片が混ざり合った状態で発見されたのです。入り混じった骨を読み解く作業は骨考古学者のクリスティ・ウィリスに任されました。作業は10年もの年月を要しました。そして、近年進む骨の解読によってストーンヘンジがなぜあのような場所に建造されたのか、その謎が解明され始めました。

 

はじめは墓地だった!

巨石建造物が築かれる前、ここには広大な墓地があったことが判明しました。墓地は新石器時代では先例がないほど広大なものです。一番古い骨は紀元前3000年にさかのぼると判明しました。巨大なストーンサークルが作られるより500年も前です。

 

埋葬された人たちとは?

新石器時代の人の骨には争いや病気といった苦難の跡が残されているものがあります。新石器時代のイギリスは穏やかでない時代でした。しかし、ストーンヘンジから発掘された骨には暴力の痕跡はありませんでした。埋葬された骨の多くは体力のある大人の男女で、病気や外傷の跡はありませんでした。ストーンヘンジで見つかった骨は争いや病気によるダメージがなく、火葬された骨は細心の注意を払って扱われていました。それは、埋葬された人が生前尊敬され高い地位にあったからに違いありません。

 

特別な弔い 火葬

ストーンヘンジの遺骨は当時としてはかなりの高温で焼かれていたことが分かりました。温度は700~1000℃程。新石器時代の人々はまだ金属の存在を知らず、素朴な道具だけで暮らしていました。そのような社会で死者をかなりの高温で火葬するのは手間も労力もかかる特殊なケースだったと考えられます。そのような特別な骨が葬られたストーンヘンジには特別な存在理由があったのでしょうか。

 

骨の中に謎を解く鍵が!

長時間、激しい火を燃やすと地面にはその痕跡が残ります。現代の科学技術は地面に残る数千年前の火葬の跡を検出することができます。しかし、ストーンヘンジ周辺にはそのような痕跡は一切見つかりませんでした。では、亡骸はどこで焼かれ遺骨は遥々運ばれてきたのでしょうか。

ストロンチウム同位体は食べ物から体内に取り込まれる化学物質です。ストロンチウムのタイプは土地ごとに異なり、人物が元いた場所を知るのに役立ちます。ストロンチウム同位体を分析した結果、埋葬されていた遺骨の3分の1は遠方から運ばれたものだと分かりました。何百キロも離れた者の他、ストーンヘンジと関わりの深い人々もいました。

 

古代の人々の魂の聖地

ピアソンはストーンヘンジがイギリス中の重要人物のための墓地だったと考えています。考古学に一つの新しい説が打ち立てられようとしています。ストーンヘンジは新石器時代の人々の魂の聖地でした。地方の重要人物の亡骸は火葬の後、長い旅を経てストーンヘンジに運ばれ弔いの儀式と共に永遠の眠りについたのです。重要人物を埋葬することによって神聖化された場所に巨石建造物が築かれても不思議ではありません。しかし、なぜそもそもストーンヘンジが聖地に選ばれたのでしょうか?

 

答えは地形に隠されていた!

ピアソンはその答えがソウルズベリー平原の独特な地形にあると考えています。上空から見るとストーンヘンジまで二本の平行線が伸びています。アベニューと呼ばれるこの道はストーンヘンジが作られた頃には存在していました。そして、それは冬至の日の日没の方向を指し示しています。

ピアソンは1950年代の発掘調査のさい、アベニューの内側に複数の真っすぐの溝が発見されたことを知りました。その溝はアベニューと同じように冬至の日の日没の方向を指し示していました。溝は人が掘ったものだろうと考えられていましたが、人工的に作られたものではなく氷河期に自然に形成されたものだったのです。その景観は新石器時代の人々にとって何か特別なサインに見えたのかもしれません。ピアソンはこの特別な景観こそが聖地ストーンヘンジ誕生のきっかけだったと考えています。それこそが、この土地が大切な人を葬る場所として選ばれた理由かもしれません。

 

TREASURES DECODED:EP.THE MYSTERY OF STONEHENGE
(イギリス 2017年)




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