ベンジャミン・フランクリンとウィリアム・ヒューソン|世界まる見え!

アメリカ建国の父として知られるベンジャミン・フランクリンは、17世紀半ば今で言う外交官のような役目を担いイギリスのロンドンで暮らしていました。そんなベンジャミン・フランクリンが住んでいた家を、1997年に彼の功績をたたえる博物館に改装することになり工事が始まりました。すると、地面の下から28人分の人骨が発見されたのです。

 

しかし、この家が建ってから300年近くが経過し、その間にベンジャミン・フランクリン以外にも何人もの人が住んでいます。そこで考古学者サイモン・ヒルソン博士が骨の年代を特定することにしました。すると、人骨は1700年代半ばの物であることが判明。その時期はまさしくベンジャミン・フランクリンが住んでいた時期とぴたりと一致。ベンジャミン・フランクリンとは一体どんな人物だったのでしょうか?

 

もともとフィラデルフィアの印刷業者だったベンジャミン・フランクリンは、事業で成功した後、科学の研究に打ち込み発明家としても活躍。特に彼の名を一躍有名にしたのは雷の正体を暴いたことです。凧を使った実験で、それまで神の怒りと思われてきた雷が実は電気であることを実証しました。また、遠近両用メガネの仕組みを発明したのもベンジャミン・フランクリンだと言われています。さらに、サマータイムを考案したのも彼だとされています。

 

晩年は政治家に転身。当時アメリカはまだ建国前。いくつかの国により分割され支配を受けていた植民地でした。その中の一つフィラデルフィア植民地の代表としてベンジャミン・フランクリンは支配国のイギリスに赴任。彼は家族をフィラデルフィアにおいて、イギリスで一人で暮らしていました。

 

そんな彼を気遣い家族のように接していたのが、大家のマーガレットと娘のポリーでした。2人の温かさにベンジャミン・フランクリンは癒され、イギリスでの暮らしを楽しんだと言います。では、そんな温もりのある家の下からなぜ大量の人骨が出てきたのでしょうか?

 

ウィリアム・ヒューソンは、ポリーの恋人で後に夫となった人物です。ウィリアムは年の離れたベンジャミン・フランクリンとも気が合い、2人は良き友人同士となりました。注目すべきはウィリアムの職業。彼は解剖学者だったのです。

 

当時はまだまだ体の中の仕組みなど詳しく分かっていない時代。新たな医学を目指すには人体の解剖が不可欠でした。大量の人骨はベンジャミン・フランクリンによるものではなく、ウィリアムが研究のため密かに解剖したものでした。しかし、これほど大量の遺体をウィリアムはどうやって手に入れたのでしょうか?

 

当時の人々は、死ぬことよりも解剖されることを恐れていました。人は死後もう一度生き返ると信じられていたため、肉体をバラバラにされると魂が戻れなくなってしまうと思ったからです。こうした理由で解剖できる遺体は入手困難でした。

 

そこで、解剖学者たちは死体泥棒と手を組むことにしました。彼らは夜な夜な他人の墓をあばいて死体を盗み解剖学者に届けていました。また、ウィリアムは人体をより知るために動物も解剖していました。ウィリアムのもとにはいつしか学生たちが集まり新たな知識を吸収していきました。その後、ウィリアム・ヒューソンは特に血液やリンパなどの仕組みを研究し、ついには「血液学の父」と呼ばれるまでになりました。

 

しかし1774年、解剖を行っていたウィリアム・ヒューソンは、誤って自分の指を傷つけ敗血症にかかってしまい34歳で亡くなりました。大切な友をなくし悲しみにくれたベンジャミン・フランクリンは、しばらくしてアメリカに帰国。そして、生涯をかけてアメリカ独立に尽くしアメリカ建国の父となりました。

 

「世界まる見え!テレビ特捜部」
ベンジャミン・フランクリンとウィリアム・ヒューソン



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