桜の木に恋して~日本人と桜の物語~|歴史秘話ヒストリア

桜に恋した平安貴族

京都の清水寺のすぐ隣に不思議ないわれを持つ桜があります。それは地主神社の境内にある地主桜。一見、小ぶりで何の変哲もない桜ですが、日本人の桜好きに大きな影響を与えたとも言われています。

延暦13年、貴族の館で花見が行われていました。この頃の貴族の花見といえば、桜よりもが一般的でした。梅は中国大陸の唐で珍重されていました。当時、先進国だった唐にならって日本でも梅が大事にされていたのです。しかし、嵯峨天皇が現れたことで事態は一変しました。

嵯峨天皇

弘仁2年の春、地主神社の桜を見た嵯峨天皇は、桜見たさに3回も車を引き返させたと言います。嵯峨天皇を何度も引き返させた地主神社の桜は、一重と八重が同じ枝に咲く一際美しい桜でした。

桜の清楚な美しさに嵯峨天皇はすっかり心を奪われました。以後、毎年神社に命じ桜の枝を宮中に献上させるようになったと伝えられています。

桜に惚れ込んだ嵯峨天皇が、弘仁3年に開いたのが花宴。これは記録上、初めての公式な桜の花見となりました。これがきっかけになったのか、貴族たちの間にも桜の花見が急速に広まっていきました。

藤原定家は、御所の桜の美しさにとりつかれ、御所に侵入し桜の枝を折り家に持ち帰ってしまいました。翌朝、発覚し天皇から問いただされる騒ぎに。

また、藤原俊家は御所の桜の美しさに神聖な場所にも関わらず歌を歌いだしてしまいました。慌ててかけつけたガードマンも桜に魅了され一緒に踊りだす始末。

さらに、中宮彰子は美しいと評判の奈良の興福寺の桜のことを聞きつけ、家来たちに命じ桜を根っこから引き抜いて都へ持ち帰ろうとしました。これに興福寺の僧侶たちが怒り騒ぎに。

なぜか人々を惑わせ正気を失わせてしまう桜は、王朝文学にも大きな影響を与えていきました。

史上最大の花見 美女たちのバトル

戦国乱世を制し天下を統一した豊臣秀吉は、62歳のとき自らの人生を振り返り「女性たちを労う手立てはないものか」と考えました。

豊臣秀吉

そこで思いついたのが花見。秀吉は奈良や滋賀などから700本の桜を集め植林。花見専用の山を作り上げたのです。

しかも、この花見は桜を見るだけでなく、茶屋など8つの娯楽施設を建設。花見のテーマパークに仕立て上げたのです。また、側室や女中など1300人の女性に1人3着ずつ着物を新調。現代の金額で39億円もかかったと言われています。

慶長3年3月15日、醍醐の花見が始まりました。しかし、記録によると宴の席で、松の丸と淀の間で盃を争う大喧嘩が起きたと言います。女たちにとっては、秀吉にもらう盃の順番は寵愛の証。女のプライドにかけて決して譲れないものでした。

ことの詳細は分かりませんが、秀吉の差し出す盃をめぐり松の丸と淀のどちらが先に受け取るかで対立が起こったと考えられます。女たちを喜ばせるつもりが、秀吉にとっては何とも後味の悪い結末になりました。

明治 桜の危機 男たちの闘い

駒込に高木孫右衛門という植木職人がいました。高木家は江戸時代から代々植木の手入れを手がけてきました。街から次々と桜が消えていく様子を目にしていた高木は、心を痛め仕事の合間をぬって桜を探し歩き枝を分けてもらいました。桜は環境の変化に弱く、移植して育てるのは現在でも難しい作業です。

高木は試行錯誤を重ねながら粘り強く取り組み、自分の家の畑に桜を根付かせていきました。高木が集めた桜の品種は84種類にも及びました。いつしか高木の畑は、絶滅しかけていた貴重な江戸の桜の避難所となっていたのです。

この高木の桜に惚れ込んだのが、江北地区の代表者である清水謙吾。当時の荒川は度々氾濫を起こしており、堤防を作る計画が進んでいました。清水はこの荒川堤に桜並木を作り村を活気づけたいと考えていました。

高木も清水の申し出を快く受け入れ、村の有志で荒川堤に桜を植える試みが始まりました。その中でとりわけ熱心だったのが船津静作。桜については素人だった船津は、植物の専門家に教えをこい品種ごとの育て方を学んでいきました。

そして計画が始まってから24年後の明治43年、春の訪れと共に荒川堤の桜が一斉に咲き誇りました。花をつけた桜は78種類、3200本にも達しました。国内外から人が殺到し、この年には皇族も訪問するほど大反響を呼び起こしました。

その貴重さが認められ天然記念物にも指定。荒川堤で増やされた桜は小石川植物園新宿御苑など各地の研究施設に移植されました。

アメリカ・ワシントンのポトマック川の沿岸に咲き誇る桜並木も、荒川堤から移植されたものです。明治45年に日米友好の証として贈られたのが始まりでした。

しかし、太平洋戦争で荒川堤の桜は燃料として切り倒されることに…

それから30年以上経った昭和56年、アメリカ・ワシントンの人々が、かつて贈られた荒川堤の桜を枝わけし贈り返してくれました。現在、足立区ではかつての桜並木を再現する取り組みが地元の人たちの協力のもと進められています。

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